早朝の犬山城の見学を終わり、名鉄・犬山遊園駅から乗車して、昨日のゴール地点である名鉄・鵜沼宿駅へ戻ります。
鵜沼(うぬま)宿の入口の大安寺川に掛かる大安寺橋を渡ります。
大安寺橋の脇には、常夜灯があり趣きがあります。
また、橋の先の柳の木にも趣きがあります。
また、橋の脇には、栄泉の浮世絵「木曾海道69次(鵜沼)」のレリーフもあります。
犬山城から木曽川越しに対岸の鵜沼宿の眺めを描いた浮世絵です。
大安寺橋の先の左手には、写真の「安積門(あずみもん)」があります。
説明板によれば、
これは、大垣城の本丸の表口に建てられていた鉄門(くろがねもん)で、明治九年に安積家の自邸の門として、払い下げられた後、 各務原市へ寄付され、平成21年にここに移築されたとのことです。
この門の特徴は、正面の木部を全て鉄板で覆い、軒下を白漆喰で塗り籠めている点で、これは、火矢による攻撃から門を守るためだそうです。
その先には、写真の大きくて立派な「菊川酒造本蔵」(有形文化財)の建物があります。
その斜め向かいは、旅籠屋を修復工事した「鵜沼宿 町屋館」(有形文化財)の真新しい建物があります。
中に入ると、ボランティアのオジサンが丁寧に説明してくれます。
(偽官軍の汚名を着せられ斬首された「赤報隊の印鑑」)
鵜沼宿町屋館を出ると、その横に「鵜沼宿脇本陣」が平成22年に復元されて建っています。
中に入ると、やる気に溢れたオジサンが、興味深い話しを色々としてくれます。
それによると、この建物は、各務原(かかみがはら)市が、脇本陣坂井家の間取図を基に復元工事をしたのだそうです。
また、この脇本陣の入口の前に三基の芭蕉句碑がありますが、これは、松尾芭蕉がここに何度か宿泊したからだそうです。
”汲溜の 水泡たつや 蝉の声”
”ふく志るも 喰えは喰せよ きく之酒”
”おくられつ 送りつ果ては 木曾の秋”
更に、このオジサンが、真真偽の程は定かではないがと前置きして説明してくれたのが、下の写真の「楠の句碑」です。
この木は、1688年、芭蕉が菊酒の宴に招待されここを訪れた際に、主人の求めに応じて、楠の化石に、芭蕉本人が、即興の句
”ふく志るも 喰えは喰せよ きく之酒”
を彫ったそうです。
”どんどん写真を撮って、どんどんブログにアップして情報発信して下さいね。”
と、説明は、上段の間の説明から、雪隠の間の逸話にまで及びます。
(部屋数が15もある座敷)
(上段の間の脇の2畳もある畳敷きのトイレ)
(警護の侍用のトイレ)
(土間)
脇本陣を出ると、その横に、尾張二ノ宮神社へ上がる急な石段があります。
神社は、何と!、円墳の上に鎮座しているので、神社の石垣には、横穴式石室を残しています。
尾張二ノ宮神社の急な石段を下り、鵜沼宿を抜けて、中山道を進みます。