(写真は、「そば切り発祥の里」のソバ)
国道19号を進み、本山宿の表示の右の道に入ると、「中山道本山宿」の標柱があり、その先に秋葉神社と石塔が並んでいました。
本山宿は「ソバ切り発祥の地」として有名です。
本山宿で「ソバ切り」が発明されるまでの蕎麦は、丸めて、そのまま茹でて食べていたそうです。
ところが、ここ本山宿で、現在の様な、包丁で切った長い蕎麦が発明され、全国に広がったそうです。
へ〜!そうだったんだ!
まもなく、街道沿いに「本山そばの里」の看板が見え、その奥の畑の横に、ソバ打ち体験も出来るという、写真の食堂施設がありました。
上の写真の「そば切り発祥の里」の看板には、芭蕉門下の森川許六の
「そば切りといっぱ もと信濃国本山より出でて あまねく
国々にもてはやされける云々」
という紹介文が書かれています。
ここでは、地元のおばさん達がソバ打ちした手作りそばを食べさせてくれる店です。
おばさん達5〜6人が、世間話に花を咲かせながら食堂でのんびりと働いていました。
私も作りたてのソバを注文します。
食堂の壁には、太田南畝の狂歌である写真の
「本山の そばを名物と誰も知る 荷物をここにおろし大根」が貼られています。
おばさん達が作ったお土産もいろいろ展示してあったので、写真のソバ饅頭を買いました。
そば粉の中に、栗の粒がたくさん入っていて、あっさりした甘みで美味しかったです。
本山宿の町並みは、大火に見舞われることもなかったので、出梁(だしばり)造りの古民家が並び、江戸時代にタイムスリップしたような感覚にとらわれます。
宿場町の中心に、出梁(だしばり)造りの家が、写真の様に3軒連なっていますが、そのうちの1軒には、旅籠「川口屋」の看板が下がっています。
他にも、屋号が下がった趣きある家が何軒もあリ、往時の雰囲気が残っています。
川口屋の向い側の奥に、立派なお宅があり、その家の敷地内の右手に大きな「明治天皇本山行在所跡」の碑があり、左手に「私有地につき立入禁止」の板が建っていました。
このお宅にお住まいの方は、多分、本陣の子孫なのでしょうね。
屋根は、雀が羽を広げたようなあの立派な「雀おどり」です!
宿場の外れまで来ると、「秋葉常夜灯」と「秋葉大権現碑」が建てられていました。
宿場町を抜けて、真っ直ぐに坂を下りてゆき国道に合流し、国道19号とJR中央線に沿って歩いてゆきます。
暫く歩くと、中山道は右手の細い道に入ります。
街道沿いの工場の裏手に写真の「日出塩の青木跡」の説明板がありました。
説明板には、
「貴人の塚の上に大桧があった。
”洗馬の肱松 日出塩の青木 お江戸屏風の絵にござる”」
とあります。
更に暫く細い田舎道の街道を歩いてゆき日出塩集落に出ると、「日出塩の一里塚跡」の標柱がありました。
日出塩集落は、本山宿と次の贄川宿の間の「立て場」だったそうですが、現在は、JR中央線の無人の日出塩駅があるものの寂しい集落です。
(立場とは、宿場町の中間に設けられた茶屋や売店などの休憩施設です。)
道祖神などを見てから日出塩集落を抜けると、中山道は再び国道19号に合流します。
右手下に奈良井川を眺めながら、激しくトラックが行きかう国道の歩道を、歩いてゆきます。
トラックの排気ガスにやられながら、国道19号を歩くこと約30分、ようやく「これより南 木曽路」の道路標識が!!
いよいよ木曽路か〜
ついに「夜明け前」の世界に入ったゾ!!
夜明け前 (第1部 上) (新潮文庫) | |
島崎 藤村 | |
新潮社 |
”木曽路はすべて山の中である。
あるところには岨(そば)づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、
あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。”
広重の浮世絵は、宿本山宿の外れで、上り坂が終わり、緩やかな下り坂が始まる場所を描いています。
台風の後なのでしょう、倒れかけた松の木の大木が往来の妨害にならない様に、2本の棒で支えています。
路上には、松笠や松葉が散乱し、既に切り倒された松の木の大木に、2人の木こりが腰掛けて焚き火をしています。
2人の子供は、集めた小枝を竹かご一杯に入れて家に帰ろうとしています。