(小河内ダム)
再び「猿の群れに襲撃される」ことがない様に、速足で、小河内ダムを目指して「奥多摩むかし道」を下って行きます。
ここから先は多分、落石による通行止めで入れなかったのでしょう。
落石の応急対応が済んだので、上の写真の様に、「通行止め」の看板を脇に移動したみたいです。
左側は急な崖で、右側は大きな岩です。
足元にはやたらと大きな落石が多く、注意深く歩いて行きます。
落石の直撃を受けたのでしょう、歩行者用の鉄パイプの手すりは、あちこちで、ぐにゃぐにゃに曲がっています。
更に歩いて行くと、樹々の隙間から、ハッキリとゴールの「小河内ダム(奥多摩湖)」が見えました!
小河内ダムでは、昼食の「ダムカレー」が待っています!
ようやく、「奥多摩むかし道」が終わり、舗装道路に出ました。
「水根バス停」へ400メートルの標識がありました。
水根バス停の前が「小河内ダム」なので、もう一息です!
水根バス停の前の上の写真の石段を上ると、そこはもう「奥多摩湖」でした。
「奥多摩湖」は、青い空と水を豊富に蓄えたエメラルドグリーンの素敵な景色でした。
上の写真は、ダムの近くの「水と緑のふれあい館」で、ダムに関する資料や奥多摩の歴史等を展示しています。
私は、ここの「ダムカレー」を食べるのを楽しみにして、延々と「奥多摩むかし道」を歩いて来たのですが・・・
しかし、何と!、本日休館です!
ショック!!
お腹が空いたな〜・・・
「奥多摩湖」は、登山、釣り、キャンプなどのレジャーの拠点です。
かって、ここには小河内村がありましたが、ダム建設に伴い、湖の底へ沈んでしまいました。
これにより、954世帯が移転を余儀なくされました。
また、ダム工事は、87名もの尊い犠牲者のうえに完成しています・・・
最近、熊が盛んに出没している旨のポスターが、至る所にベタベタと貼られています。
出没の場所の地図を見ると、これから歩こうとしている対岸の「湖畔の小道」で、至る所に出没しているみたいです。
う〜ん・・・、まずいな〜!
熊が盛んに出没している「湖畔の小道」の遊歩道は諦めて、仕方なく、車が多くて歩道の無い「青梅街道」を歩くことに変更します。
上の写真の「水根橋」を渡ります。
左側に連なって見える5本の白いコンクリートのゲートは、「余水吐(よすいはき)水門」です。
(左側が、5門のローラーゲートの「余水吐水門」)
「余水吐水門」は、大雨のときに放流しています。
「小河内ダム」は、上水道の用水と発電が目的の「日本一の重力式コンクリートダム」です。
人口増加や工業地帯の発展を受けて、東京では水道の需要が急増したため、昭和32年に竣工しました。
「小河内ダム」としてよりも、そのダム湖である「奥多摩湖(小河内貯水池)」の名前の方が知られています。
小河内ダムは、上の写真の様に、のっぺりとした「堤体」で、「堤体」には対になった「エレベータ棟」(手前の建物)と「展望棟(奥の建物)」があるだけです。
「展望棟」入り口の事務所の受付のオジサンに会釈して、階段を上り、「展望室」へ向かいます。
上の写真の左下の白い建物が「多摩川第1発電所」です。
小河内ダムで貯留された水は、ここでダム式発電に使われたのちに多摩川に放流され、下流2か所の取水堰で水道原水として取水されます。
奥多摩湖は、”東京都の水がめ”と呼ばれているものの、現在、東京都の水道水の多くは、利根川水系に依存しており、小河内ダムからは多摩地域への給水に限られています。
湖面に浮かぶのは「巡視艇」(赤丸印)と「ドラム缶浮橋」(画面を左右に横切る黄色の点々)です。
展望塔の2階には、上の写真のダムのジオラマがありました。
上の写真の奥多摩周辺のイラストマップが、3階の床一面に描かれていました。
上の写真の様に、在りし日の「小河内線」の写真が展示されていました。
へ〜、こんな蒸気機関車で、ダム建設材を運搬していたんだ!
(小河内線については、「多摩川を歩く・小河内線廃線跡」を見てね。)
「ダムカレー」を食べられなかったので、空腹なまま、食堂を求めて歩いて行きます・・・
振り返ると、小河内ダムの左側に5門の「余水吐水門」が見えます。
(大麦代の広場)
大麦代の広場に、飲食の売店がありました。
珍しくて美味しそうな「鹿肉ジビエ饅頭」を食べたかったのですが、今日は売り切れとのこと。
仕方なくどこにでもある様な上の写真の「アメリカンドッグ」を食べて飢えをしのぎます。
ここまで歩いて来て疲れ果てたので、この売店の前の「大麦代」バス停から、路線バスに乗って、奥多摩駅経由で、新横浜に帰ります。
(小河内ダム全景図:現地案内板より)
小河内ダム
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