(昭和30年頃まで使用されていた「木製冷蔵庫」)
前回は、多摩川に架かる写真の「鮎美(あゆみ)橋」を渡るところまででした。
今回は、この鮎美橋を渡り終わった所にある「青梅市郷土博物館」に入ります。
(入館料:無料、休館:月曜)
博物館の入口には、飛行機のエンジンの残骸が、上の写真の様に展示されています。
このエンジンの残骸は、昭和20年の「八王子空襲」の時に、山林に墜落した「B29爆撃機」のものです。
「B29爆撃機」が、多摩地区まで空襲に来た理由は、武蔵野の中島飛行機などの工場があったからです。
更に、八王子駅が、中央本線、横浜線、八高線が通る鉄道の重要都市だったことも理由の一つでした。
上の写真の右側にある小さな部品の残骸は、旧日本陸軍の重爆撃機「飛龍」のエンジンの一部です。
(博物館に展示されている「飛龍」の写真)
この「飛龍」のエンジンは、飛行トラブルで墜落した残骸です。
当時、乗員12名の方が殉職されました。
12名の方が亡くなられたのは、何と!、終戦の4日前でした!
可哀そう・・・
2階の展示場へ上がります。
(国宝「赤糸威鎧(あかいと おどしのよろい)」の模造品:本物は御嶽神社所蔵。)
上の写真は「木製冷蔵庫」で、木箱の上段の棚に氷を入れ、氷の冷気で冷やしていました。
青梅市は、大正末期から昭和20年代まで、「青梅夜具地」と呼ばれた「布団カバー」等の生産が日本一で、全国の60〜80%を占めていました。
上の写真はその織機で、下の写真はその布団カバーの布地です。
(「多摩川」を「川崎の六郷」まで下る「筏流し」)
青梅、奥多摩の林業は、たびたび大火に見舞われた江戸の町の木材需要に応えていました。
その木材の運搬を担っていたのが、展示されている上の写真の「筏(いかだ)流し」です。
しかし、明治27年の青梅鉄道(現・JR青梅線)の開通により、木材の運搬は鉄道に変わり、「筏流し」は廃れていきました。
「青梅市郷土博物館」を出て、隣の古民家の「旧宮崎家」(国重要文化財)を見学します。
この建物は、青梅市成木から移築された一般的な農民の家です。
この地方独特の杉皮や茅を交互に混ぜて葺く屋根の葺き方が特徴です。
古民家の前には、明治時代から戦前にかけて、木材の輸送手段として利用されていた荷馬車も展示されています。
写真は、巨大な醤油用の仕込み樽です。
「青梅市郷土博物館」の脇の急な坂道を上って、今晩の宿の「亀の井ホテル青梅」(旧かんぽの宿青梅)へ向かいます。
ホテルのチェックインまで未だ時間があるので、荷物を預けて、徒歩15分の「青梅レトロ」へ行ってみます。
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