(阿蘇神社)
上の写真の「羽村堰(せき)」の「玉川上水」の取水口に建つ「玉川兄弟の銅像」をあとにします。
「多摩川の河口」から、下の写真のここ「羽村堰」まで、多摩川沿いに「たまリバー50キロ」という歩道(兼自転車道)がほぼ整備されています。
暫くは、この多摩川沿いの「たまリバー50キロ」の延長上の堤防の土手を歩いて行きます。
上の写真は「羽村那賀 雨水排水樋管」ですが、雨水排水樋管は、雨水を集めて多摩川に流しています。
(「桜づつみ公園」の桜並木)
(羽村市浄水場)
幼稚園の運動会の練習でしょうか?
「阿蘇神社」の鳥居があります。
多摩川沿いの「たまリバー50キロ」の延長上の土手の歩道の終点には、再び、写真の「阿蘇神社」の鳥居がありました。
どうやら、こちらの鳥居は本殿の鳥居で、先ほどの鳥居は参道の入口の鳥居ということみたいです。
推古天皇の時代の601年の創建という古くて由緒ある神社です。
上の写真の椎(しい)の木は、平将門を討った藤原秀郷が、940年に社殿を造営したときに手植えした椎だそうです。
(阿蘇神社の出口の鳥居)
阿蘇神社から先は、多摩川沿いの土手の歩道も途切れてしまいます。
ここからは、多摩川は、徐々に段丘が迫ってきて、渓谷になっていきます。
川の刻む谷がだんだんと深くなり、川からずっと高い一般道を歩かざるを得なくなります。
ここからは、極力、多摩川から離れない様に歩いて行きます。
勘だけを頼りに、川に近いであろうと思われる一般道を、いい加減に歩いて行きます。
多摩川から離れないために、一般道歩きのルールとしては、分岐点があれば、多摩川のある左側の道を選びます・・・
選んだ道が行き止まり、というのも結構ありましたが・・・
「小作(おざく)取水堰」が見えて来ました。
前回の「羽村取水堰」と同様に、こちらの堰も、多摩川から水を取り入れるための堰で、昭和55年の完成です。
前回の「羽村堰」とこの「小作堰」から取り入れた水は、水門から地下の導水管で、東京と埼玉にまたがる「狭山丘陵」の貯水池へと送られています。
狭山丘陵では、村山貯水池などに貯められていて、現在も、東京都の上水道として使用されています。
ps.
ここまでの「多摩川を歩く」については、「中山道を歩く 」の中程の「多摩川を歩く 目次」の一覧表の見たい項目をクリックしてね。
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