(写真は「安政遠足侍マラソン」のポスター)
安中宿は、板倉3万石の城下町です。
NHKドラマ「八重の桜」の八重(綾瀬はるか)の夫の新島襄(オダギリジョー)は、安中藩士でした。
安中宿には、今も、この新島襄の旧宅が、そのまま残っています。
また、安中城主の板倉勝明が、軍事訓練として始めた約30キロの「安政遠足(侍マラソン)」は、現在まで150年以上も続いており、今年は5月12日(日)に開催されます。
実は、このマラソンコースと、旧中山道の碓氷峠越えの山道が、何と!ピッタリと重なります!
従って、このマラソンの前日あたりに、私の「中山道・碓氷峠越え」のスケジュールを持って来れば、マラソン参加者用の道順の表示が完備されていて、私も山道に迷うことも無いのでは・・・
グッドアイディア!
(私って何て頭が良いのでしょうか!)
4月12日付のフェイスブックに記載された軽井沢情報によれば、現地の天候は吹雪とのこと・・・
碓氷峠越えの時期をいつにしようか、と迷っていましたが、暖かくなった来月の安政遠足マラソン前日あたりを狙います!
さて、話を中山道踏破の一人旅に戻します。
安中宿に入り、意外に感じたのは、昔ながらの商店街が、寂れずに店を続けているし、江戸時代の面影を残す大きな蔵のある商家が、以下の数々の写真の様に多く残っている事です。
江戸時代以降、明治、大正時代へと、ずっと寂れないで栄え続けていた、という事なのでしょうね。
・本陣跡
見落としそうな「安中宿本陣の石碑」は植栽に隠れかけ、その横の「安中宿本陣跡の案内板」は、字が消えかかっています。
本陣の跡は、安中郵便局の敷地の端にありました。本陣職は地元の有力者なので、明治になってから郵便局長になった、ということなのでしょうかね。
・醤油醸造元工場(有田屋)
・便覧舎址
有田屋の向かいの石造りの倉庫の前に「便覧舎址」の石碑があります。
説明板によると、日本最初の図書館・東京書籍館と同年の明治5年に創立された私設の図書館だそうです。
・旧碓氷郡役所
上の写真の旧碓氷郡役所は、もともとは領内の農民を統治した郡奉行役宅ですが、明治時代に入ってからも使われていた施設で、内部には中山道の資料が展示されています。
(無料)
・安中教会
上の写真の安中教会は、日本人の手により創設された日本最初の教会だそうです。
・武家長屋
旧碓氷郡役所あたりから、この武家長屋の辺りは、「大名小路」と呼ばれ、安中藩士の家が並んでいたそうです。
写真の武家長屋は公開されており、当時の武士の生活の
雰囲気を知ることが出来ます。
・新島襄旧宅
街道の左手の新島襄旧宅の標識に従って、住宅の中の狭い道を左右に折れて進むと、NHKドラマ「八重の桜」の八重(綾瀬はるか)の夫の新島襄(オダギリジョー)の実家がありました。
ここは、安中藩士であった新島襄の父母が住んでいた家です。
新島襄は、安中藩士として生まれ、18歳のときに幕府の
海軍操練所で、数学・航海術・英語を学びます。
そして函館から国外脱出し、ボストンの神学校で学び、帰国、帰国した2日後に人力車を飛ばして、この両親の住む家へ駆けつけたそうです。
・杉並木
やがて国道18号を横切り、しばらく歩くと、街道沿いに僅かに杉並木が残っており、説明板が立っています。
(高札場跡)
・山田屋(八本木旧立場茶屋)
写真の立派な建物は、江戸時代には有名な「立場茶屋」だったそうです。
立場とは、宿場と宿場の間に設けられた休憩所のことです。
今も普通の民家として生活しています。
・地蔵堂
山田屋の前に、地蔵堂があります。
説明板に、ここの地蔵菩薩は室町初期の作で、”江戸時代”には、日本三大地蔵の一つだった、とあります。
(”江戸時代の日本三大地蔵”ということで、現代の日本
三大地蔵ではないみたいで・・・)
ふ〜ん、何だか貧弱なお堂で、そんな風には見えませんけど・・・
でも、100年に1回の御開帳があり、この三大地蔵はこの時しか見られないそうです。
・自性寺
自性寺の看板には、ここが新島襄の先祖の墓、とあります。
・琵琶久保の石碑群
街道はやがて、国道18号に合流し、しばらく歩くと、消えかかってほとんど読めない「郷原村戸長役場跡」の標識があり、ここから左手の狭い道に入ります。
この狭くて暗い道の右手に写真の「琵琶久保の石碑群」がありました。
左手の眼下には、碓氷川の風景が広がります。
広重の浮世絵「松井田(安中の次の宿場)」は、この辺りで描かれたそうです。
坂道を登ってゆく大名行列の先頭部分が描かれています。
安中宿から松井田宿までは、約10キロの長丁場です。
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