
(写真は、芭蕉句碑の後方に忍びよるオオトカゲ・・・?)
神流川の橋を渡ると、すぐにY字型の分岐点があり、この分岐点に写真の常夜灯が立っています。

この常夜灯を右に入れば新町宿です。

新町宿に入り、神社や本陣跡などを見て回りますが、石碑や説明板以外に宿場町の面影を残すものは、ほとんどありません。

・八坂神社

小さな土蔵造りの八坂神社の境内に、写真の芭蕉の句碑が立っています。

「傘(からかさ)に 押し分け見たる 柳かな」

(春雨の中に、柳が雫を垂れている風情にひかれて、
おもわずちょっと、その柳を傘でおしわけてみた
ことだ。)
江戸時代に、この近くに「柳茶屋」と呼ばれていた名物茶屋があり、この茶屋の前に大木の柳があったそうです。
旅人は、この名物茶屋に腰掛けて、この芭蕉の句碑を眺めていたそうです。
帰宅してから、上記の芭蕉の句碑の写真の背景の右上の辺りをよく見ると・・・

写真を撮った時には、全く気が付きませんでしたが・・・
写真を拡大してみると、芭蕉句碑の後方の滑り台の上に、オオトカゲらしきハ虫類が・・・

ぞぞ〜っ・・・
何じゃこりゃ!!

当然、トカゲか何かの造り物ですよね・・・
でも、子供用のすべり台に、何故、こんな気味が
悪い物が・・・

まさか本物ということは・・・?
ないですよね・・・
気になって眠れません・・・
新町在住の方、真相を教えて!
(諏訪神社)


・明治天皇行在所(あんざいしょ)

写真は、明治天皇の御巡幸の際に泊まられた家で、家の前は小さな公園になっています。
・旅籠高瀬屋跡の碑

小林一茶が、ここに泊まり、常夜灯の寄付金を強要されたという旅籠の高瀬屋の跡の碑がありました。
・小林本陣跡

本陣の名残りは何も無く、写真の小林本陣の跡があるのみです。
・日本スリーデーマーチ発祥の碑

新町宿の外れには、温井(ぬくい)川がながれており、この川の袂に、ここ新町が、歩け歩け運動の発祥の地であるという写真の「日本スリーデーマーチ発祥の碑」が立っています。
碑文は、中曽根元総理が書いたもので、ここ新町宿から、歩け歩け運動が全国に広がったそうです。

広重の浮世絵は、この温井川に架かる橋を描いています。

左手後方の富士山の様な形をした山は、赤城山です。
中山道の浮世絵は、英泉でスタートしますが、ここ新町宿以降しばらくは、英泉と広重が入り乱れます。

この経緯は、当初は、広重の「東海道五十三次シリーズ」を大ヒットさせた保永堂が、二匹目のどじょうを狙って、美人画で有名だった英泉を起用して、「中山道六十九次シリーズ」を企画します。
しかし、このシリーズの制作中に、版元が、保永堂から錦樹堂に移り、絵師も英泉から広重に代わるという、ややこしい経緯が発生します。

そして完成したのが、英泉と広重の合作による「木曾街道六十九次シリーズ」だった、という訳です。
でも、何故、制作中に、この様な2版元・2絵師体制になってしまったか、という原因は不明らしいです。
宿場町を抜けると、しばらくは殺風景な道路が続きます。



・古い屋敷

広大な敷地の土塀と倉のお屋敷です。この土地の名家なのでしょうね。
・烏川土手
中山道は、やがて、烏川の土手に突き当たります。

しばらくは、右手に運動公園などを見ながらこの土手沿いに、延々と歩きます。

天気も良く、土手沿いの快適なウォーキングです!

いくら歩いても、広大で荒涼とした原っぱが続くだけで川の流れは見えません。
やがて、土手の下に三菱鉛筆の工場が見え始め、それを
過ぎると、右手に川の流れが見え始めました。
・烏川

当時は、土手の下に、舟渡し場があり、対岸の岩鼻村へ渡ったそうです。

柳瀬橋を渡り、対岸の岩鼻へ向います。


烏川を渡ると、高崎市です。
新町宿(群馬県新町)から倉賀野宿(高崎市倉賀野町)までは、約6キロです。
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