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00:日本橋

膝の痛みもほぼ消え、気候もウォ-キングに最適な時期になりましたので、いよいよ中山道を、東京・日本橋から京都・三条大橋まで歩くことにします。



日本橋の上の道を、
東海道と反対方向へ歩きだせば、それが中山道です。

終点は、どちらも京の三条大橋なのに、始点の日本橋から逆方向に歩きだす、というのが面白いですよね!



写真下の
「三越」は、呉服商「三井越後屋」として、江戸庶民の憧れの的だったそうです。

 
三越の前の道(国道17号)が中山道です。





 
 浮世絵は、栄泉の「日本橋 雪之曙(あけぼの)」です。

 朝日が昇り、日本橋の魚河岸は、早朝から魚を運んできた舟で混雑しています。



 魚河岸の背後は、白い漆喰(しっくい)の壁の蔵が並び壮観です!

 左端の男は、天秤棒で魚を運ぶ男で、隣の男は天秤棒を肩に担いでいます。

 橋の上の右端では、二人の人足が大八車を押していて、その横で芸者が二人で話をしています。

 絵の中央の開いた傘には、「霊厳島 竹内」と書かれており、チャッカリとこの浮世絵の版元の宣伝をしてます。

 開いた傘の右は、頭巾を被り裃を着た男がお供を連れて歩いています。

ちなみに、栄泉は「木曽街道六十九次」で、上記の様に日本橋の雪景色を描いています。

これに対し、広重は、下記の様に「東海道五十三次」で、早朝に日本橋を渡る大名行列を描いています。

 広重の絵は、橋を横からではなく正面から描いた非常に珍しい構図です。 



 両脇に木戸を配し、その木戸が開いたことで、これから東海道五十三次の旅がスタートする事を示しています。

 橋の向こうからは大名行列が姿を現します。 

 手前の天秤棒を担いでいる魚屋は、道を開ける様に、静かに脇へ移動しています。

橋の右の袂は、犯罪者を晒し(さらし)の刑にした晒し場だったので、木戸で覆い隠して、2匹の犬で暗示しています。


・ひな人形師10人が店を構えた十軒店(じっけんだな)跡




・今川橋跡



・昌平橋




・湯島聖堂

下の写真の湯島聖堂は、
幕府直轄の当時の最高学府です
。案内板によると、ここが
筑波大学やお茶の水女子大の発祥の地だそうです。






(湯島聖堂の庭の孔子像)


・神田明神



上の写真の神田明神下の
銭形平次で有名な神田明神は、将軍家が江戸城下の総鎮守としたため、江戸時代には参拝客が多かったそうです。




・東京大学



 東京大学の敷地は、
加賀の前田家の上屋敷の跡地です。

 加賀”百万石”だから、やはりこの様に広い屋敷だったんでしょうね。

 上の写真は、
加賀藩主・前田斉泰が将軍家から溶姫を迎えるために建てられた朱塗りの門赤門)で、瓦には徳川の葵の紋と前田の家紋がみえます。



(安田講堂)



(加賀藩主・前田利常が造った池で、夏目漱石の「三四郎」で有名な三四郎池)


・かねやす



本郷3丁目の信号の角のビルの
衣料品店「かねやす」の前に、写真の江戸時代の川柳の

 ”本郷も かねやす までは 江戸のうち”

があります。

 
これは、
大岡越前守が、江戸城から「かねやす」の土蔵までの範囲を”江戸”と定め、この間の家々については、瓦葺きなどの防火対策を施させた為だそうです。


・円乗寺

白山1丁目の信号を左折し、浄心寺坂を下ると、大森の「鈴が森」で火あぶりにされた
八百屋お七の墓で知られる円乗寺があります。



行ってみると、円乗寺は驚くほど小さな寺でした!



写真中央の
お七の供養塔を、この寺の住職が建てたのだそうです。

・巣鴨・地蔵通り商店街



”おばあちゃんの原宿”として、平日でもお年寄りで大賑わいです。

 地蔵通り商店街といえば「塩大福」です。

 美味い!



この
巣鴨の商店街が、まさしく旧中山道の街道なのですね!

この ”おばあちゃんの原宿”のメインストリートが、江戸時代に中山道のとげぬき地蔵のお参り等で賑わっていたというのは全く知りませんでした。
 驚き!


・真性寺

地蔵通り商店街の入口にある真性寺に、写真の
江戸六地蔵があります。



江戸六地蔵とは、旅の安全を願って、品川、新宿、巣鴨等の各街道の出入口6ヶ所に置かれました。


・とげぬき地蔵・高岩寺(こうがんじ)

このお地蔵様をこすると”トゲを抜く”様に病が治るということで、今日も大勢のお年寄りの長い行列で、近寄ることも出来ません!



日本橋から板橋宿まで、10キロです。

01:板橋へ

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