『虫』を読んで
江戸川乱歩<春陽文庫>

 映画『乱歩の幻影』に登場した木下芙蓉こと文子(常盤貴子)が気になっての再読。劇中で弓子(結城モエ)が長々と繰り返していた「 虫虫虫虫…」のリフレインが、原作中に虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫、虫・・・・・・・P136)と愛憎ならぬ愛造の台詞として十七度も繰り返す形で現れていたとは驚いた。二十七歳の愛造が小学校時代から密かに慕っていた三年ばかり下の級だったP96)彼女の美しい死体を腐乱させる忌まわしいものとして呪詛するかのような呟きだった。

 弓子の妄想とは異なり、当然ながら、乱歩が殺したものでも彼の分身たる明智小五郎が殺したものでもなく、“厭人病者”たる征木愛造が強烈な愛憎に囚われて殺めたものなのだが、征木がいつまでも忘れることができなかったという丁寧なおじぎをしたときの文子の巧みな嬌羞P102)とのフレーズの“嬌羞”という用語に惹かれた。通常の漢字変換では候補に現れない造語的なもののようだが、含羞を滲ませた無自覚なる嬌態とも言うべきもののインパクトを指して絶妙だと思った。

 今でいうストーカー殺人を描いた本作の白眉は、やはり死体描写だと思われるが、たまたま時期を同じくして観た手塚アニメラマ『千夜一夜物語』での原作にはないと思われる女護ヶ島のエピソードにおいてインパクトのあった“蛇と桃色”が本作に彼女は物狂わしき妖女となった。振りさばいた髪の毛は、無数のヘビともつれ合って、着衣をかなぐり捨てた全身がまぶしいばかりに桃色に輝き、つややかな四肢がそらざまにゆらめき震えた。柾木は、その兇暴なる光景に耐えかねて、ワナワナと震いだしたほどである。P117)と現れていたことに奇遇を覚えた。

 半ば狂せる征木と、木下芙蓉の死体とが、土蔵の二階で、さし向かいであった。燭台のたった一本のろうそくが赤茶けた光で、そこに恥もなく横たわった花嫁御の冷たい裸身を照らし出し、それが、へやの一方に飾ってある等身大の木彫りの菩薩像や、青ざめたお能の面と、一種異様の、陰惨な、甘ずっぱい対照をなしていた。P132)で始まり、非現実的なろうそくの光が、からだ全体に、無数の柔らかい影を作った。胸から腹の表面は、さばくの砂丘の写真のように、蔭ひなたが、雄大なるうねりをなし、からだ全体は、夕日を受けた奇妙な白い山脈のように見えた。気高くそびえた峰つづきの不可思議な曲線、なめらかな深い谷間の神秘なる陰影、柾木愛造はそこに、芙蓉の肉体のあらゆる細部にわたって、思いもよらぬ、微妙な美と秘密とを見た。
 生きているときは、人間はどんなにじっとしていても、どこやら動きの感じをまぬかれないものだが、死者にはまったくそれがない。このほんのわずかの差違が、生体と死体とを、まるで感じの違ったものに見せることは、恐ろしかった。芙蓉はあくまでも沈黙していた。あくまでも静止していた。だらしのない姿をさらしながら、しかりつけられた小娘のように、いじらしいほどおとなしかった。
 柾木は彼女の手を取って、ひざの上でもてあそびながら、じっとその顔に見入った。強直の来ぬ前であったから、手はクラゲのようにグニャグニャしていて、そのくせ、非常な重さだった。皮膚はまだ、ひなた水ぐらいの温度を保っていた。…急に目の前の死骸がゾッと総毛立つほど恋しくなって、それが遠い昔のお人形でもあるように、芙蓉の上半身をだき上げて、その冷たいほおに、かれのほおを押しつけるのであったが、そうしてじっとしていると、まぶたが熱くなって、目の前がふくれ上って、ポタポタと涙が流れ落ち、それが熱いほおと冷いほおの合わせめを、あごのほうへツーツーとすべっていくのが感じられた。
P133~P135)として過ごした翌朝は、芙蓉のみずみずしいむくろは、悲しくもすでに強直して畳の上に横たわっていた。だが、それは、ある種の禁制の生き人形のようで、決して醜くなかったばかりか、むしろ異様になまめかしくさえ感じられた。P135)となり、かれは、魂のない恋人のむくろに、こうまでかれをひきつける力が潜んでいようとは、想像もしていなかった。死骸であるがゆえに、かえって、生前の彼女にはなかったところの、一種異様の、人外境の魅力があった。むせ返るような香気の中を、底知れぬどろ沼へ、はてしも知らず沈んでいく気持ちだった。悪夢の恋であった。地獄の恋であった。それゆえに、この世のそれの幾層倍、強烈で、甘美で、物狂おしき恋であった。P136)となる。

 だが、仔細に見ると、もう目がやられていた。白目の表面は、灰色の斑点で、ほとんどおおい尽され、黒目もソコヒのように混濁して、虹彩がモヤモヤとぼやけて見えた。そして、目全体の感じが、ガラス玉みたいに、すべっこくて、堅くて、しかもひからびたように、うるおいがなくなっていた。そっと手を取ってながめると、親指の先が、かたわみたいに、手のひらのほうへ曲り込んだまま、動かなかった。
 かれは胸から背中のほうへ目を移していった。…ちょっとからだを持ち上げたひょうしに、背中の畳に接していた部分が、ヒョイと彼の目に映った。それを見ると、彼はギョクンとして思わず手を離した。そこにはかの「死体の紋章」といわれている青みがかった鉛色の小斑点が、すでに現れていたのだった。…とにかく、目に見えぬばい菌のごときものが、恐ろしい速度で、秒一秒と死体をむしばみつつあることは確かだった。相手が目に見えぬえたいの知れぬ虫だけに、どんな猛獣よりもいっそう恐ろしく、ゾッとするほど不気味に感じられた。
P137)となるのが現実で、防腐処理を施そうと奔走したのだけれども、案外にも、芙蓉の姿は、かえって、朝見たときよりも美しくさえ感じられた。さわってみれば強直状態であることがわかったけれど、見たところでは、少しむくんだ青白い肉体がつやつやしくて、海底に住んでいる、ある血の冷い美しい動物みたいな感じがした。朝までは、まゆが奇妙にしかめられ、顔全体が苦悶の表情を示していたのに、今の彼女は、聖母のようにきよらかな表情となって、かれがふさいでやったくちびるのすみが少しほころび、白い歯でニッコリと笑っていた。目がうつろだったし、顔色がロウのように透き通っていたので、それは大理石に刻んだ微笑せるソコヒ(盲目のくしき魅力)の聖母像であった。P143)ものが、翌日には芙蓉は寝返りでも打ったように、一晩のうちに姿勢がガラリと変わっていた。昨夜までは、死骸とはいえ、どこかに反発力が残っていて、無生物という気持ちがしなかったのに、今見ると、彼女はまったくグッタリと、身も心も投げ出した形で、やっと固形を保った、重い液体のひとかたまりのように、横わっていた。さわってみると、肉が豆腐みたいに柔らかくて、すでに死後強直が解けていることがわかった。だが、そんなことよりも、もっとかれを打ったのは、芙蓉の全身に現れた、おびただしい死斑であった。不規則な円形をなした、鉛色の紋々が、まるで奇怪な模様みたいに、彼女のからだじゅうをおおっていた。
 幾億とも知れぬ極微なる虫どもは、いつふえるともなく、いつ動くともなく、まるでとけいの針のように正確に、着々とかれらの領土を侵食していった。かれらの極微に比して、その侵食力は、実に驚くべき速さだった。
P145~P146)と死体の描写が延々と続く作品であり、タイトルの『虫』がここからきていることからも本作の主題が“死体”であるのは明らかだと思った。

 そのうえで、死斑を覆うべく死化粧を施し、人形師が生き人形の仕上げでもするように、芙蓉の全身を塗りつぶした。そして、不気味な死斑が見えなくなると、今度は、普通の絵の具で、役者の顔をするように、目の下をピンク色にぼかしてみたり、まゆをひいてみたり、くちびるに紅を塗ってみたり、耳たぶを染めてみたり、その他五体のあらゆる部分に、思うままの色彩をほどこすのであった。この仕事にかれはたっぷり半日もかかった。最初はただ、死斑や陰気な皮膚の色を隠すのが目的であったが、やっているうちに、しかばねの粉飾そのものに異常に興味を覚えはじめた。かれは、死体というキャンバスに向かって、妖艶なる裸像をえがく、世にも不思議な画家となり、さまざまな愛のことばをささやきながら、興に乗じては冷たいキャンバスにくちづけをさえしながら、夢中になって絵筆を運ぶのであった。
 やがてでき上がった彩色された死体は、妙なことに、かれがかつてS劇場で見たサロメの舞台姿に酷似していた。生地の芙蓉も美しかったけれど、全身に毒々しく化粧をした芙蓉は、いっそう生前のその人にふさわしく、いい難い魅力を備えていた。むしばまれて、もはや取り返すすべもなく思われた芙蓉のむくろに、このような生気が残っていたことは、しかも、それが生前の姿にもまして悩ましき魅力を持っていたことは、柾木にとってむしろ驚異であった。
P147~P148)とテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」江戸川乱歩の美女シリーズにも顕著に窺えた乱歩のピグマリオンコンプレックス嗜好が綴られていた。
by ヤマ

'25. 9.10.『虫』<春陽文庫>



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>