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『恋は緑の風の中』['74] 『14歳の栞』['21] | |||||
監督 家城巳代治 監督 竹林亮 | |||||
14歳の映画とくれば、最も印象深いのは当地出身の廣末哲万監督の『14歳』['07]なのだが、このところ続けて、その14歳を捉えた新旧作品を観る機会を得た。 先に観たのは、今や半世紀前になる『恋は緑の風の中』。この原田美枝子のデビュー作が話題になったのは、合評会の課題作に『大地の子守唄』が挙がったときだったか、『青春の殺人者』だったか、はたまた『愛を乞うひと』のときだったか忘れたが、思い掛けなく観る機会を得た。十四年後の『ぼくらの七日間戦争』に繋がる系譜の作品だったのだなと驚いた。また、三年先立つ『小さな恋のメロディ』['71]の影響も受けていたように思う。 アリスの歌う♪黒い瞳の少女♪で始まるクレジットタイトルの二番目に「協力 埼玉県深谷市」と大きく出てきて驚いた。そういう作品だったのかと思った。それに相応しく実に明るく健康的でついつい笑ってしまうほどだったが、それでいて、いわゆる啓発映画的上っ面に流れないよう腐心していて感心した。宮沢りえの『僕らの七日間戦争』は中学一年生だったが、原田美枝子のこちらは二年生。目覚め始めた性の問題と性教育に触れながら、子供でも大人でもない微妙な年頃を描いていたが、いくら母親(水野久美)譲りの邪気の無さとはいえ、余りに率直なジュンイチ(佐藤佑介)のキャラクターに透ける現実感の乏しさには、些か唖然とした。 だが、朝から恋人と散歩を楽しむ保健のフジイ先生(三田佳子)に「どこへ行くの?」と問われてジュンイチが応える「緑の風の中!」や、ユキコを守ろうとして不良青年と喧嘩したことを心配する母から闘うことより逃げることを求められ、「悪い奴なんかに合わせて生きていけるかい!」と返す姿は、やはり清々しい。 ラストで矢庭に驟雨に見舞われる川を挟んでジュンイチとユキコが歩いていた場面に流れていたのは♪パダンパダン♪だったろうか。今と違ってエンドロールが延々と流れたりしないから、確認できなかったが、十四歳の二人では如何ともし難い恋の別れだった。 ハナエにしてもジュンイチの妄想に現れるユキコにしても、とても中二とは思えない発育の胸が眩しかったのだが、演じた二人は幾つだったのだろう。すると、すかさず当時、原田美枝子は十六歳だったと教えてもらった。ハナエのほうは記憶がないとのことだったが、画面に映し出された量感は原田美枝子以上だったように思う。DVDを貸してくれた映友が「特に色気満載お母さんな水野久美さんは出色で、怪獣映画などにない存在感でした」と記していたが、同感だ。息子のクラスメイトたちが集まってきた家で「こういうの聴くともうダメ」と言って部屋のテーブルを隅に寄せ、キャロルの♪ファンキーモンキーベイビー♪のなかで踊り始めて子供たちを誘い込んでいた。思い掛けない息子とのキスに思わず感じ入ってしまう部分も含めて、素直で率直な感受性の瑞々しい女性だったように思う。ジュンイチの母ナツコには、脚本を書いた いえき・ひさこの願望が託されていたのかもしれない。 翌月になって観た『14歳の栞』は、先ごろ観たばかりの『大きな家』['24]から三年遡る竹林監督作品だ。こちらは現代の十四歳の中学二年生三十五名を捉えたドキュメンタリー映画ということもあって、クリエイティヴな劇性とは異なる日常性のなかに息づく少年少女の姿を観たくて足を運んだものだ。 あと三年で古希を迎える僕は、後一年三ヶ月で高校生になる中学二年の時分に何を考え、どんなふうに友人たちと付き合っていたのだったっけと遠い昔の日々を振り返る気持ちを促されたのだが、バスケ部の練習に疲れ果てていたあの時分はまだ日記も付けていなかったから、記録として残っているものが成績表のほかに何もないような気がする。映画を観ながら、中二にもなれば、けっこう一人前にものを言い、したり顔もしていたことを思い出しつつも、具体的な像を結ぶものが殆どなく、早熟な級友が中津川フォークジャンボリーに出掛けて、ダムから落ちて亡くなったことに衝撃を受けたことくらいしか覚えていない。 本作でも幾人かが問い掛けられていた「将来は何になりたいとかある?」といった問いに「何も無いけれども強いて挙げれば、高等遊民かな」などと言っていたのは、mixiのプロフィールの「好きな言葉」の欄に挙げた「自分の納得する一日を持て」に添えて記している(小学校6年生の時、卒業記念に学習塾の先生から色紙に書いてほしい言葉を選べと言われ、選ばずに自分で考えてもいいかと尋ねて書いてもらったのだが、そのときにベタ褒めされたせいで自分でも好きになった。)時分のことなのか、中二の頃だったのか思い出せないが、本作で「なりたくない大人は?」と問われて「社畜」と答えていた文芸部女子のような感覚は、その言葉自体はまだ流通していなかった時代の僕にもあったような覚えがある。だが、何になりたいかは無くても、どういう大人になりたいかとの問いに対する答えはあって、器が大きくて教養のある人物になりたいと言っていた記憶があるが、それが十代の時分であることに間違いなくとも、小六か中二か高一か定かではない。 本作で中二の三学期が選ばれていたのは、大半の者が既に十四歳を迎えていて、最後の修了式の日にはほぼ全員が十四歳になっているからなのだろうが、平成三十年度の修了式が三月二十六日だったその日付だと、中二の時の僕は、まだ十三歳のままであることが妙に可笑しかった。本作に登場していた二年六組三十五人は全員十四歳になっていたのだろうか。 あの日から今ではちょうど六年が経過しているから、全員二十歳を迎えているわけで、少し年の離れた兄姉は既に成人していて家族の話にも入っていけないから、早く大人になりたいと言っていた女子も、飲酒の仲間入りができる歳になっている。大人になるといろいろ面倒だから、むしろ赤ん坊に戻りたいと言っていた少年とはちょうど真逆だった彼女は、いま本作を見返すと、どのように思うのだろう。僕は、赤ん坊に戻りたいなどと思ったことはなかったが、十代の時分に、大人になるといろいろ面倒だという思いを強く抱いていた覚えはある。だが、いま振り返ると、それなりに面倒なことが起こったのは二十代の時分くらいで、三十代以降は幸いにして、進学受験就職結婚ほどに面倒なことにも見舞われず、むしろ大して変哲もない安穏なる日々を過ごしてきたような気がしている。 | |||||
by ヤマ '25. 3.22. DVD観賞 '25. 4. 9. キネマM | |||||
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