『中村哲という希望 日本国憲法を実行した男』を読んで
佐高信×高世仁 著<旬報社>

 信と仁を名に持つ評論家とジャーナリストが、まさしく信と仁を貫いて“日本国憲法を実行した中村哲”を讃え、偲んだ対談だった。信が「はじめに」を書き、仁が「おわりに」を書いて、第一章「戦わないために闘う」、第二章「テロリズムとグローバリズム」、第三章「「義」に生きる」、第四章「平和とは戦争がないことではない」という構成のなかに、二人の対談と中村の残した言葉を引用しつつ高世の説く解説を折り込んでいた。

 「リメンバー中村哲」と題した「はじめに」にて「軍備で暮らしは守れない」ことを中村は実践で示した。軍拡に賛成しない人、つまりは平和憲法を守れと叫ぶ人は頭がお花畑だとタカ派ならぬバカ派は叫ぶが、アフガニスタンの地で中村は平和をつくりだしたではないか。そして、世界の人は中村に拍手を送っているではないか。その、いわば日本の宝をなぜもっと大切にしないのか。…中村は「一触即発の大地で、丸腰こそが事業達成の最大前提である」と語った。丸腰こそが勇気だと激することなく中村は語ったのである。…治安の悪いアフガニスタンで、中村は平和憲法が大事だと強調した。「あれは世界中の人が憧れている理想であってね、守る努力はしなくちゃいけないんだ」そう語った中村は亡くなってしまった。 そして、いま、この国の人たちは理想の平和憲法を改悪し、平和をつくりだした中村を否定しようとしている。それでいいのか。いいわけはないだろう。世界の誇れる憲法と中村を改めて高く掲げて軍拡路線に対決しようと、この本は企てられた。P3~P6)と綴られていた本書を感慨深く読んだ。


 第一章の解説タイトルは「中村哲医師、七三年の歩み」「中村哲の国会参考人発言をめぐって」「中村哲と戦争」「平和憲法と中村哲」「「私の後継者は用水路」―中村哲医師の「緑の大地計画」」。対談タイトルは「軍拡の岸田か平和の中村か」「平和を具体的につくった」「岸田軍拡の原点」「「自衛隊派遣は有害無益」」。

 二〇〇一年の国会参考人発言の…いろいろ考え方はありますけれども、テロという暴力手段を防止する道に関しましても、これは暴力に対しては力で抑え込まないとだめだということが何か自明の理のように議論されておる。 私たち、現地におりまして、対日感情に、いろいろ話はしませんけれども、日本に対する信頼というのは絶大なものがあるのですね。それが、軍事行為に、報復に参加することによってだめになる可能性があります。…現地に即して言いますと、例えば自衛隊派遣が今取りざたされておるようでありますが、…当地の事情を考えますと有害無益でございます。かえって私たちのあれを損なうということははっきり言える。…私たちが必死でとどめておる数十万の人々、これを本当に守ってくれるのはだれか。私たちが十数年間かけて営々と築いてきた日本に対する信頼感が、現実を基盤にしないディスカッションによって、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去るということはあり得るわけでございます。…P30~P31)は、当時、僕も聴いたが、その堂々たる物言いと、地に足のついたどころかしっかりと根を張った説得力のある言葉の力強さに感銘を受けた。自民党をぶっ壊すと言って総裁になった清和会の首相のもとでのことだったが、あれから四半世紀、清和会の首相たちは本当に自民党をぶっ壊してしまったなとつくづく思う。

 自衛隊派遣を始めて七年後になる二〇〇八年の国会参考人発言では…対日感情につきましても、これは少しずつ陰りが見えてきておるということは私は是非伝えておく必要があると。かつて広島、長崎というのは現地では有名でありまして、アフガン人の知識人のほとんどは、アフガニスタンの独立と日本の独立が同じ日だというふうに信じている人が多いくらい親日的なんですね。ところが、最近に至りまして、米国の軍事活動に協力しているということがだんだん知れ渡ってくるにつれて、私たちも身辺に危険を感じるようになりました。 かつては、我々、外国人、欧米人と間違えられないために日の丸を付けておれば、まず山の中のどこに行っても安全だった。ところが、今その日の丸を消さざるを得ないという状況に立ち入っているというのが現実であります。…ペシャワール会のワーカーである伊藤君が死亡した後、現地の治安当局と地元住民が話合いをしまして地域治安委員会というのをつくり、そこが我々を防衛するという形を取っておる。…治安問題というのは基本的に警察の問題であって軍隊の問題ではないということが私たちの基本的な認識でありまして、…陸上自衛隊の派遣は有害無益、有害無益という言葉が嫌ならば百害あって一利なしというのが私たちの意見でありまして、要するに軍事面に関与せず、そういった地域の自治体制に沿った形での治安体制の確立、これは十分可能なことではないかと思います。…外国軍が入ってきてから治安が悪化したという事実はこれはどうしようもない事実だというふうに、これはアフガン人のほとんどが認めておるところであります。P36~P41)となってしまうわけだ。

 対談のなかで高世仁が戦争を抑止しよう、戦争を止めようっていう人はいっぱいいるんだけど、平和を具体的に目の前でつくった人はいないんですよ。それを、干ばつという自然との闘いの中で、つまり、三度の飯をちゃんと食べて、家族と一緒に住めるっていう状況をつくるっていうことが、これが平和なんだよっていうことで、平和を具体的に現実としてつくったっていうところがすごく説得力があって。…平和とは戦争がないっていうことじゃないよと。一番大事なのは生存する権利だっていう。…そういう意味でいうと、非常にある意味視野が広い形で訴えてますよね、平和を。P44)と述べていたが、まったくその通りだと思う。…軍備増強したら守れるのかということですよね。軍備増強するってことは、戦前の日本を考えれば、必ず民生の予算を削るっていうことですからね。戦前の日本は軍事予算が五割以上になったわけでしょう。だから貧しくなって、満州とか他の国を分捕ろうとしたわけで、本当に苦しくなったからっていうよりは、軍備に金を使うから苦しくなったわけですよ。そのからくりを忘れて、軍備増強して圧迫されるのは民の暮らしっていうことですよね。…【佐高】、そうですね。中村さんが自衛隊を派遣しちゃいけないと言ってるのは、日章旗が安全のサインになってるからなんだと。日本人であることは、アフガニスタンではすごく安全で、私も現地に行って分かったんですけど、もう別格なんですね。…それが自衛隊派遣でひっくり返される。自衛隊が来ると私たちが危なくなると言っています。【高世】(P54~P55)と述べ、解説のほうで中村の言葉を引用していた。特に響いてきたのが以下の四つ(P64~P66)。

 僕は憲法九条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、九条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。 言ってみれば、憲法九条を具現化してきた国のあり方が信頼の源になっているのですこの人に聞きたい 中村哲さんに聞いた」マガジン9(2008/4/30)
 世界に冠たる平和憲法を戴く一小国民として、私は日本人であることを誇りに思っているダラエ・ヌールへの道 アフガン難民とともに』1993年、石風社
 日本もまた、九〇億ドルをもって米英にならって参戦した。いや、日本国民は「参戦」という意識すらなく、米英に卑屈な迎合をしたとしか思えなかった。 太平洋戦争と原爆の犠牲、アジアの民二〇〇〇万の血の代価できずかれた平和国家のイメージは失墜し、イスラム民衆の対日感情はいっきょに悪化した。対岸のやじ馬であるには、事態はあまりにも深刻だった。世界に冠たる平和憲法も、「不戦の誓い」も色あせた。アフガニスタンの診療所から』2005年、ちくま文庫
 米軍の空爆を「やむを得ない」と支持したのは、他ならぬ大多数の日本国民であった。戦争行為に反対することさえ、「政治的に偏っている」と取られ、脅迫まがいの「忠告」があったのは忘れがたい。以後私は、日本人であることの誇りを失ってしまった。「何のカンのと言ったって、米国を怒らせては都合が悪い」というのが共通した国民の合意のようであった。 だが、人として、して良い事と悪い事がある。人として失ってはならぬ誇りというものがある。日本は明らかに曲がり角にさしかかっている。空爆と「復興」 アフガン最前線報告』2004年、石風社

 第二章の解説タイトルは「中村哲医師に学ぶ異文化との共生」「いまアフガニスタンは?」「「グローバル化による生存の危機」―アフガニスタンから見た世界と日本」。対談タイトルが「メディアが嫌いな理由」「アメリカの空爆はテロリズム」「中村哲亡き後」「テロリズムの背景、共同体のおきて」「アメリカと金融資本主義」。

 異文化との共生についての解説で引用されていた中村哲の言葉…外国人が犯しやすい過ちは、自分たちが見慣れないものを見ると、つい自分たちの物差しでもって、違いがあるものを良い・悪い、それから遅れている・進んでいる、劣っている・優れているという目で裁いてしまう。このことが現地で外国人が住みにくい条件を作ってきた。トラブルも起きやすい。私たちとしましては、命ということを中心として、仕事を進めてきましたP105)(2019年9月9日、川崎市総合福祉センターホールでの講演)や人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも私は「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信から自由である。何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。…P111~P112)(天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』2013年、NHK出版)に共感を覚えながら、改めて今や世界中を席巻している排外主義や強欲資本主義、己がファースト主義すなわち利己主義の“些かも悪びれるところのない蔓延”の品格の無さを思わずにいられない。

 対談では「アメリカと金融資本主義」(P113~P119)と題されたものがとりわけ印象深く、利息を取らない“イスラム金融”だとアメリカの金融資本主義が入っていけないから、目の敵にしているのだという遣り取りが目を惹いた。人権を口実にした経済体制の欧米化【民主化】を企てた戦争というわけだ。このタイトルの対談の最後に高世が…実はアメリカ軍が駐留した時代にはびこった麻薬で中毒者がいっぱい出ている。本来はいわゆる国際社会がその尻拭いをしなくちゃいけないはずです。…P118)と述べていた。そして「いまアフガニスタンは?」と題した解説で米紙『ワシントン・ポスト』による調査報道をまとめた『アフガニスタン・ペーパーズ』(邦訳、岩波書店)は、二〇〇一年までのタリバン政権時代には、厳格な取り締まりで麻薬生産は激減したが、「二〇〇一年にアメリカが侵攻し、ターリバーンを権力の座から引きずりおろすとすぐに、アフガニスタンの農民はふたたびケシの種をまきはじめた」と指摘している。麻薬はいわば米軍のアフガニスタン侵攻の「置き土産」であり、重い負担となってタリバン政権にのしかかっている。P124~P125)と補足していた。

 章末に据えられた解説「グローバル化による生存の危機」にて引用されていた中村哲の『辺境で診る辺境から見る』2003年、石風社)からの言葉アフガニスタンでは対テロ戦争を契機とする空爆で数千名が死亡し、大旱魃による飢餓地獄をさらに悲劇的なものにした。この中にあって、「復興支援」の名目を国際社会が意図的に持ち込もうとする近代的価値観は、到る所で抵抗に遭遇した。人権を守る筈であった自由とデモクラシーが混乱を徒に増幅し、人々の生存を脅かしている。タリバンの「圧制」から女性の権利を解放する筈であった戦いは、物乞いの寡婦たちを激増させ、外国人相手の売春の自由まで解放してしまった。農村社会と遊牧社会ではごく当然の子供たちの手伝い――それは次世代への生産技術の不可欠の伝承でもある――が、抑圧された「小児労働」として、人権侵害の烙印を押された。伝統的生活や文化のあり方まで批判し、軍事力や経済力にものを言わせて、これを変えようとするのが、グローバリズムの「民主的」と称する素顔である。
 グローバリズムとは、強国の経済システムが延命するための方便であり、推進する当人たちも制御できない、高度資本制社会の膨張の帰結と見ることができるEC諸国や日本がアメリカによる報復戦争に反対することができず、消極的にでも協力せざるを得なかった背景には、世界金融資本の牙城を守らねば自国の経済もたちゆかぬ事情があったからである。
 生産と消費を無限に膨張させねば延命できぬ世界は、一つの行き詰まりに到達している。近代的生産方式は、自然からの搾取が無限大に出来るという錯覚、自然と人間の関係も倒錯に基づいている。その結末は、単に道義的な退廃というだけではなく、人類生存に関わる重要な問題を孕んでいる。 アフガンを襲う未曽有の旱魃が、地球温暖化によることは更に象徴的である。戦争と旱魃に見舞われた「アフガニスタン」は決して他人事ではない。私たちが知るべきは、自分たちの足元にも忍び寄る「グローバル化による生存の危機」である。遠からず、その光と影を論ずるだけでなく、わが身の日常空間にそれを実感することになるに違いない。これを克服するのは、軍事力や目先の経済対策でないことだけは確かである。P133~P136)に圧倒され、P111に続いて再掲された今、周囲を見渡せば、手軽に不安を忘れさせる享楽の手段や、大小の「権威ある声」に事欠かない。私たちは過去、易々とその餌食になってきたのである。このことは洋の東西変わらない。一見勇ましい「戦争も辞さず」という論調や、国際社会の暴力化も、その一つである。経済的利益を求めて和を損ない、「非民主的で遅れた国家」や寸土の領有に目を吊り上げ、不況を回復すれば幸せが訪れると信ずるのは愚かである。人の幸せは別の次元にある。 人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。以下の一節を含む人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも私は「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信から自由である。何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。P136~P137)との言葉がが沁みてきた。


 第三章の解説タイトルは「「死んでも撃ち返すな!」―診療所襲撃事件の教訓」「山田堰に学ぶ―中村哲医師と日本の伝統工法」、対談タイトルが「川筋の人、中村哲」「蝶と山」「用水路建設は総合芸術」「病ではなく人間を見る」だった。「「義」に生きる」との章題は実に的確で、対談のなかで佐高信は中村さんが、金を持ってる人が威張ったり、権力を持ってる人が見下して、人をばかにしたりするのは大嫌いだと言っています。昔の侠客と似た、弱気を助け強きをくじくみたいなものが彼の倫理観のベースにあると思いますね。と述べていたが、本書の帯にも大きく記された「死んでも撃ち返すな!」とのタイトルで設けられた解説にて引用されている「死んでも撃ち返すな」と、報復の応戦を引き止めたことで信頼の絆を得、後々まで私たちと事業を守った。戦場に身をさらした兵士なら、発砲しない方が勇気のいることを知っている。 私たちPMSの安全保障は、地域住民との信頼関係である。こちらが本当の友人だと認識されれば、地元住民が保護を惜しまない。 そして、「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。私たちは、いとも安易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる。P160)(天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』2013年、NHK出版)との中村医師の言葉の重さに心打たれた。


 第四章の解説は「日本とアフガニスタン―過去から未来へ」のみで、「最高級の民間外交官」「タリバンとIS」「日本を憂える」と題する三つの対談からなっていた。対談のなかではアフガンで起こったのは、一方で戦争で国土を破壊しているのに、莫大な復興資金がつぎ込まれて、世界中からNGOや援助団体がわっと集まって、全部失敗していくというマンガみたいなこと。で、アフガンの偉い人たちが復興資金を汚職でポケットに入れ、下のほうの人は兵隊になって稼ぐという構図をつくっちゃった。【高世】(P187)、日本大使館は、自衛隊派遣にあたってPMSに通達を出しました。日の丸は危ないですよ、気を付けてくださいって。中村さんたちはその前に日の丸を消していました。その時のことを当時看護部長をやってた藤田千代子さんが、日章旗とJAPANという文字をみんな消して出発する車を見た時に涙が出たって言ってます。中村さんたちは日本を背負う気概を持つ愛国者たちなんです。まさに先ほどおっしゃった、民間外交官ですよね。【佐高】(P190~P191)といった発言が目に留まった。


 本書のP20に上下に並べて掲載されていたモノクロ写真の「用水路通水前のスランブール平野」「通水から約3年後のスランブール平野」の変貌ぶりをカラーの動画で観た覚えがある。NHKのドキュメンタリー番組だったように思うが、感動のあまりぐっと来るものがあった。

by ヤマ

'25. 8.10. 『中村哲という希望 日本国憲法を実行した男』<旬報社>


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