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写真館 1900年~1940年 駒崎家所蔵アルバムより


昭和8年3月 庭にジョーロで水やりをする曾祖母貞子
戒名のなかには 
「観庭大姉」という文字も見られた
さいたま三室の祖母の実家、
昭和初期の様子です
そこからお嫁に来た私の祖母於栄は
大正8年頃にすでに亡くなっている
曾祖母にあたる貞子とある(武笠銀介の妻は政子・貞子)

周囲一里(4km)といわれた
祖母実家の庭で写したと思われる
昭和2年10月とある
祖母於栄の弟(14世当主銀介長男)の一家
刈谷高崎など遠方に赴任したため
こちらは 行事で一家帰省した際の写真
帽子姿で正装している様子
美しく咲き乱れる秋の花 
家庭の花園のなかで撮られた貴重な一葉

大門の庭  100年近い歳月がすぎた
北足立郡大門村1746番地
約千坪の駒崎徳良の庭で撮したと思われる
大正8年(1919)4月12日撮影
祖父徳良 子供は男4人女5人の9人
そのうち右側三女琴子(好子)は
兄2人姉2人弟2人妹2人の真中
と常々自慢していた
撮影では 動かないよう 
頭の後ろを固定具で抑えられていたという
庭での撮影が常だった祖父徳良
子煩悩 植木好き 
妻於栄を亡くし とし(こと)が伯爵家での行儀見習いから下がり
鳩ヶ谷石田家から嫁いで来るあたりかと思われる





1940年3月 慶應義塾大学経済学部卒業記念アルバムより 駒崎友治



驚きのお宝写真です
父友治の頭髪が豊かに
整えられておりますが
驚きはそこではありません
全クラスに登場する 前列中央の、
明るい背広の方は、
塾長の
小泉信三氏です。
たまたま(かどうか不詳ですが)友治は先生から二人目に偉そうに座っておりました

小泉塾長がこの後戦争で大事な子息を失われ
ご自身も焼夷弾で顔を大負傷されたことは
多くの人々の記憶に残る悲惨な戦争実話です

大正~昭和初期 駒崎友治のおおぜいの 親兄弟姉妹親戚




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