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所蔵写真より 昭和25年頃 

2014年海を汚さないテープが考案され 佐渡汽船のお別れテープが復活 

右は 今から60年ほど前の両津港 
出航のテープ交換風景 
ほたるの光 が拡声器から流れていた たしか…
ほら 聞こえてくるでしょう …
 ドラの音が鳴り響く 
さあ 巻テープを受け取って… 
くるくると どこまでのびていくかしら … 
さようなら  さようなら


おけさ丸が有名だが 
これは こしぢ丸と船体にあり
外国のお客様をご案内した模様
荒野のジョンウェインのように
カッコいい中年男性
その外国のお客様とのお別れテープ交換
つまり 
一連のご接待セレモニーになっていた
相川の佐渡鉱山事業所 海に近い
今なら許されない立地かもしれない

佐渡 相川のおけさ祭り&鑛山祭り
相川の街路に繰り出した
みつびしマークの船型の山車?


写したところをみると
この舟にはワルノリしていない

かな…

お仲間と
まつりの装束で

これで三日三晩
騒ぎまわり
帰ったときは傷だらけと祖母が言っていた

社宅の庭で
おけさ踊りの
装束と振り
中川薬局の前で盛り上がるまつりの様子
祝鑛山祭
と大書された
看板の前で

みつびしの鉱山社員の皆さんと

女性社員に大モテ
みな実に生き生きしている
敗戦5~6年でこの美しさ 楽しそうな表情
みつびしマンは
ネクタイ着用と規則は厳しかったのに
これはまた
裸でゲートル巻
女性社員が揃ったところで 真ん中に飛び込む写真作戦か
佐渡相川鉱山の事務棟かと思われる

祖母 実(ジツ)と けいこ(筆者)  佐渡島約5年赴任中けいこは約1年半寄生

相川の奉行所
(裁判所)跡の社宅
五右衛門風呂だった

入り方が難しく 茂雄に入れてもらった
陽転したばかりのけいこ4歳  結核の父親から離し 茂雄が大宮からおんぶして
振り分け荷物ともに 祖母ジツのもとに連れてきた
闊達な実
皆とお揃いの佐渡おけさ装束で 50代 
既に緑内障、夜盲症
で苦労していた
夜の会合などには けいこが道案内し喜ばれていた 手先が器用で達筆 編み物 料理など得意
怪我や病気の治療に熱心だった
国家資格を3つも持っている自立した女性
冬の荒海をおけさ丸で渡ってきたけいこ
船酔いになり枕元のキャラメルで直そうとして逆効果 健気にもひとりでこらえた が
別れのテープをつたってきたゴリラ」の幻影にうなされ しばらくトラウマにのち自慢話に佐渡に来てから「本は一回読んだら覚えた」 と大自慢された 
佐渡赴任以来 岩崎の玄関にはこの相川の佐渡金山の絵画が飾られたが
こちらは写真
佐渡金山のシンボル
割れ山


大宮社宅  けいこ佐渡より戻り お向かいの豪邸 健康一家と交遊開始

茂雄とはるこ

大宮の社宅 縁側
足元は下駄であるが…一応上半身は正装の兄妹
大宮三橋の養鶏場にて 佐渡から戻ったけいことお向かい豪邸のきょうやん 茂雄のおひざで
父友治が 撮影
佐渡からの出張の折も立ち寄り 散歩 写真撮影とまめな茂雄
友治叔母の松澤さわ子刀自(右上)に
桂古流の華道と
茶道を習う はるこ
左記きょうやんの3人の姉も席に連なる

長姉は後に東大から遺伝研に進む
6人姉弟でのちのちご縁は深いО家

この時期
父友治もともに茶道を
習う
正座は常のことで体重も軽いので問題ないが、辛党なのでたぶん茶菓子がダメだったかも

きょうやんの姉も足がしびれたもよう





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