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岩﨑・駒﨑記念図書室     第四回 金の馬車賞 発表

この賞は 東日本大震災をきっかけに始めたこともあり 東北で活動を
されていたかたに贈ってまいりましたが 今回初めて東京です!(笑)

東京都立戸山高校 昭和40年卒業 同窓生たちが綴った
『卒業から50年』出版にかかわった皆々を代表して
 東京都 池 浩 様 に贈りたいと思います
                   平成28年5月1日

折しも 熊本大分で千回を超える震災が発生し気になるところですが
来たる オープンガーデンで 募金活動をしたいと思ってます

さて われらが都立戸山高校の卒業50年を記念して 
400頁に及ぶ 重厚なる記念誌が立派に出来上がりました 
DVD共に図書室に飾りました 大窓から外影だけでも見てください


今回本賞を贈らせていただく 池 浩氏は 
真理探求・公平・公正・友情・学術 を旨とする
真摯な紳士であるゆえ 
代表での受賞を拒まれています 

本誌の完成迄には十年に及ぶ種々準備行事を着々と進められました
じつは その余得にあずかって
弊庭公開の緻密なる画像集まで 池氏は本人以上の完成度で
学年会のホームページに掲載し続けてくださいました 

本誌の 企画・編集・校正・出版・祝賀会に至るまで 
池 浩氏 なくしては実現できなかったことでしょう

池君の類まれなる能力尽力は 誰もが認めるところです 

英数国社理体音技家美 9教科 受験世代の我々は
年寄りになってもオールマイティーを誇る面々の枚挙に暇がありません

その中でも 池君は 
チェロ演奏、撮影技術、サイクリング遠征、エッセイ集団編集運営者
巨樹保存活動とホームページ運営 同窓会運営 研究会運営etc.
才能発揮のベクトルは 多方向かつ比類のない高レベルを示しています
ご本人は ただ気が多いだけと謙遜なさいますが
そこがまた 誰もが敬服する 生来の奥ゆかしさ

池君 ほんとうにありがとう!

さて 子孫のみんな! 
われわれの遺品のなかに この記念誌を見つけたら
捨てたりしないで 延々とあなたの子孫に引き継いでね 
きっと驚くことがいっぱい詰まってます
百年まえ(笑)  東京で18歳だった人達が(!?)
 五十年まえに(笑) 渾身を込めて綴った(泣) 喜び悩み 栄光や失望に 
ワープ出来るんですよ! すっすごいことじゃないですか!
                               以上
クリックすると大きい画面になります
それなりに理屈の勝った若者達の 高校生活共通最大の謎
[先生達の授業放棄] 事件! あれはなんだったのか?
果して 半世紀を経て謎は解けるだろうか

先生もアカデミックに体当たりだった われらが青春に 本誌が迫る
若くして逝去された
同窓生の人生に
心を添わせる
深い洞察力と友情


純粋なるがゆえに引き裂かれた心情の
吐露 いや生きた証
を 池君はこの文集に刻み 残してくれた

3回にわたる、20人近い同窓生の座談会を取仕切り 50年のそれぞれを擦り合わせ 文章に落とす これは私逆立ちしてもできないことです
まりちゃんも出席発言ありがとう 池君が彼女はなかなかの論客だって褒めていたよ よかったァ

DVDが巨大容量を無視して無限大に伴走
えらい時代ですが
電気が無くなったらやはりペーパーブックですね(古ッ)
DVDステキな装丁は才女Nagai氏
昼飯も食べずに頑張る池君に対し…私まだお昼食べてないのになんで…と文句たれたらしいが いややめよう楽しい話は…




岩﨑・駒﨑記念図書室     第三回 金の馬車賞 発表

続俳句の累積 (サイト)  にて日々生きている証である俳句と 自然、風物、心情、季語についての解説を綴り続けていらっしゃいます。 

宮城県栗原市  阿 部  昭 先生          

                 2014(平成26)年5月5日付

あべ先生は、宮城県栗原市在住、細倉小学校の先生でした。
小学校4年で東京の駒込小学校から細倉小学校へ転校した筆者の勉強を、見て下さった先生です。
筆者一家が細倉を離れて半世紀以上経ちましたが、六年担任だったよね先生と、あべ先生のお二人だけは、年賀状を交わし続けてまいりました。

しかし、小学校時代『雨ニモマケズ 風ニモマケズ…』(宮澤賢治作) を毎朝唱和指導して下さったよね先生の達筆な毛筆のお手紙が、東日本大震災のあと、途絶えました。

のちのちあべ先生にお聞きして、たいへん納得したことですが、産業衰退する山間の細倉から、大勢の先生方が海岸部へ異動されたそうです。よね先生も石巻に異動されていました。

第一回本受賞者の親族お二人の避難情報探しをお手伝いした経験から、被災者の検索もしてみましたが、入っていなかったことから、心配しながらも、結局2年もそのままになっておりました。

昨年、年賀状やりとりを続けていたあべ先生から、教員OBで作る細倉会の小旅行で、兵者どもが夢の跡のような細倉跡地を訪れ、呆然自失になったという写真レポートが、母宛に届きました。

細倉夢の跡についてあべ先生とやり取りをしたあと、もしや石巻に移られたよね先生をご存知ないかと、恐る恐るお尋ねしたことから、この3年、いやこの半世紀うやむやに過ごしてきたことが、一気に霧が晴れたように明らかになりました。
(詳しくは 当サイト震災関連・思い出 続Ⅱ~ ご参照下さい)  

あべ先生のような『雨ニモマケズ』の、地道で強靭な精神力や継続的な実行力にどれだけ教えられ、助けられたことか、しみじみ有り難く、感嘆し、今回の賞に結びつけさせて頂いたことです。

この賞は過去二回、奇しくも東北の女性に対して授与させていただきました。
前述のように、一人目作家は東日本大震災で親族を二人亡くされ、それも発見までに何ヶ月もかかり苦しまれました。その後果敢に仕事を続けながらも、2年も入退院をされています。

二人目の洋子さんは、長年の読み聞かせ活動と地元紙執筆を本にまとめた直後に疾病が見つかりました。
出版本についてテレビ取材された日は、1回目の大々的な治療日の直後で、それが3月初めテレビ放映され、反響も良く、執筆本が売れ始めましたが、直後の3月11日に東日本大震災が起きたという、これでもかというめぐり合わせの悪さでした。
お連れ合いによれば、本人は60歳まで生きられれば充分、と常日頃口にしていたという、潔の良い、素敵な女性でした。
しかし生命の儚さ、運命の巡り合わせの悲劇に、ご遺族には及ばないながら、筆者も口惜しい気持ちが残っております。

かように、花のように可憐なかつ優秀な東北の女性たちは、なぜか、『雨ニモマケズ』というような丈夫な体をもたず、悲しいばかりの病に見舞われ、自然の脅威に心折れたのではと、筆者の心も痛むことしきりでした。

先生の毎日のように続けられる「続俳句の累積」をインターネットで時々覗かせていただいて、先生がしっかり生きていらっしゃるということが、どれだけ教え子を励ましていることか、良く判ります。

自然の脅威に対しても、ある日は雪捨て作業を、近所まで百回も繰り返し頑張ったとの記載に、雪国の責任感あふれる男性の、強靭な精神力がみえます。

勲章なるものを、もらう気持ちはないとされる記載に、やはり先生らしさがみえます。道なりに、大過なく過ごせばもらえる勲章に、異論はおありでしょう。
しかし、やはりいただけるものはもらってはいかがでしょうか。先生を支えてこられた、永年のお連れ合いや、ご子孫のためにも。

また、教え子のこの賞は、どうか、どうかお許しいただき、ご笑納(!)下さい。   以上                                                                   


第一回発表はこちら→ 金の馬車賞  
第2回発表は 以下に掲載されています。
 


 第二回金の馬車賞
岩﨑・駒﨑記念図書室     第二回 金の馬車賞 発表

どんぐり文庫主宰  赤 澤 (橋本) 洋 子 殿
鶴岡子どもと絵本を結ぶ会事務局
山形大学農学部非常勤講師
慶應義塾大学先端生命科学研究所臨時職員(日本語担当
)( 絵本の風 経歴紹介欄より)

                       2013(平成25)年5月1日付


絵本の風
 
子どもとおとなの絵本
    100冊の魅力

発行所:鶴岡タイムス社
2010年10月10日発刊

帯には直木賞作家
佐藤賢一さんの推薦文
絵本の風
すてきな題名の一冊の本です
執筆者は鶴岡市の赤澤洋子さん
一冊のなかで100冊の絵本について
それぞれの魅力が
赤澤さんならではのたおやかさ
魅力満点で語られています
自宅で運営している「どんぐり文庫」の
約2千冊の絵本のなかから選び出し
 地元紙「鶴岡タイムス」に
毎月毎月10年間にわたって掲載
されたものを本にまとめられました

「どんぐり文庫」
30年以上続いた 赤澤さんの
絵本の読聞かせ 手遊び 貸出などの活動拠点です


      (画面をクリックすると拡大画面が見られます)


洋子さん すてきな御本をありがとう どのページを見ても
洋子さんのほがらかな可愛らしい声が聞こえてきます
洋子さん
長い睫毛は、ブルーに綺麗にカールされていました
電車で向かい合わせた人から
その睫毛は本物ですか?
と聞かれたの、と可笑しそうに話してくれた、洋子さん
もう40年以上も前のことです

洋子さんとは、同じ新米教員として
鳩ヶ谷市(現川口市)の唯一最高学府であった中学校で
通勤の行き帰りから休日まで一緒でした
良くあんなに笑ったというほど
楽しく過ごさせていただきました

洋子さんは家政科の先生 
なんでもよく知っていて、教えることがとても上手でした
女子生徒たちのみならず、年上の私まで
いろいろ教えていただき
とにかく人気抜群の、 魅力的な先生でした

ある日洋子さんが
オレンジのシャツの上にピンクのカーディガン
を羽織って来られたことがありました
私が、それってミスマッチじゃないの風に冷やかすと
いいの!綺麗なオレンジのうえに
綺麗なピンクなんだからァ、綺麗なの!
その答え方の可愛らしさと素敵さに
すっかり納得した私でした

紅茶&生クリームたっぷりのケーキがいいのよ
下着の種類はこう、つける順番はこう
スキーに行く時はフェルトの古ベレー帽を
こうやって腰のところに入れると暖かいの

生まれてきた赤ちゃんのおむつのノウハウに至るまで
オードリーヘップバーンのような
魅惑的な眼差しと
サービス精神にあふれた話術で
なんでも手に取って、実地で教えていただきました

やがて洋子さんは、その優れた適性のある教員を辞め
すぐ近くの広大な植物園川口グリーンセンターで植物栽培の
研修生になりました

その時は、新聞に人生航路転向の記事と写真が大きく載り
喜んで見せに来てくれました
コピー機がない時代でしたので、手元にはありませんが
よく覚えております
ロマンの転職 そしてそして山形鶴岡につながるロマンの始まりでした

photo:
岩﨑・駒﨑記念ガーデン 
ピンク色 チューリップ
        アンジェリケ
オレンジ色 薔薇
    マンダリーナコルダーナ
           20130418

やんちゃ坊主VSだめよママ
(だめよ、デイビッド!の章
)

きっとここは読者の皆さんにも注目の章でしょう

若かった洋子さんは
大好きだったセーターをはさみで切られてしまい
小さい息子さんを思わず叱ってしまったそうです 
モチロン私だってそうしました
しかし、この絵本の子どもの世界への理解を通して 洋子さんは
「カッとしてごめん」
「あの時に戻って謝れないものでしょうか…。
今となれば、いたずらも失敗もたいしたことじゃ
なかったのに」

と本のなかで吐露されています

この絵本のキャラクターは、のちのち
立派に成人した息子さんから
「いまCMで話題だよ」 と教えられたということです
自慢のすてきな息子さん 
あーよかった とオチで一息つきました

洋子さん 本当に…
稀有な あたたかい心の持ち主…

「一生許さない」 「絶対に訴えてやる」 というセリフが
軽く行き交う都会で 
ケチくさい こだわりの数々にまみれ
わたしは すっかり見失っていました
 
洋子さんの 可愛らしい ハートフルな人柄 
子どもに対してもそらすことのない 純粋なこころ 
鶴岡でよかった 
鶴岡のこどもさん、親御さん、世界からの留学生
みなさんと一緒にどんなに
はじけるように やさしく 生き生きと 
過ごされたことか

洋子さん  ちょっとだけ泣いてよいですか…









金の馬車賞

岩﨑・駒﨑記念図書室       
第一回 金の馬車賞 発表

2011年3月11日(金)午後2時46分 東北地方太平洋沖地震発生

この震災は後に 東日本大震災 と名付けられました 

この震災で亡くなられたかたがたの 御冥福を心よりお祈りいたします

 

 マグニチュード: .0 宮城県栗原市震度: 7 東京都区震度: 

 

<震度: 6 岩手県滝沢村の推理作家・大村友貴美の話>

「座敷の本棚は倒れなかった」

 「ただ、真ん中の方へ、歩いて行っていた!」

 

 

第一回岩﨑・駒﨑記念図書室「金の馬車賞」受賞者発表

推理作家 大村 友貴美 殿

 

2012(平成24)年5月1日付












画面をクリックすると拡大画面が見られます

 第一回金の馬車賞 授与にあたって、
受賞者大村友貴美様に弊図書室代表北川より、極めて手前勝手な
下記の賛辞を贈らせて戴きます。
賛辞が祟りませんよう、心より願い、
弊ホームページ上にて発表と授与を行います。
なお、副賞ン万円は税金等への深慮遠謀により、
ゴージャス北川絶賛の ヘレンドカップに致しました。

 2012年5月1日付 


オオムラに贈る 「負けるな・ケッパルのだぞ」

 

四半世紀も前の話だが、

職場の後輩で、

「ベルサイユの薔薇」に魅せられ、

仕事を休んで、パリに飛んだ若いのがいた。

 

パリに着いたその日に、

レストランで「牡蠣を喰ったむくい」で、

二日目には緊急帰国となってしまった。

 

カキバラかもしらん、

それが弊図書室 第一回受賞者(受刑者ではない

推理作家のベルバラだ。

 

そんなヤワハラな、一流大学出(だったかなァ)の新入社員に、

世間のいろいろな良識を教えてやったのが、

ドイツスズランだの姫だのと、偉いさんに持ち上げられていた、

おつぼね様の私だ(うそうそ)。

 

「アンタね『若いうちの苦労は、買ってでもせよ』と言うわよ!」

今だにナットクで、涙の出るようなこのスズラン姫の言葉にー、

 

「ウチの父上は『若いうちは、それでなくとも苦労が多いんだから、

あまりがんばりすぎるなよ』、と言ってまーす!」

と応酬

ったくう、今思い出しても、逆パワハラだぞ。

 

他社を回ると言っては、早めに帰ってしまう体の弱い上司に対して、

ふたりして「チョッキ―」とあだなをつけたりした。

三つ揃え背広の、学生時代はアナウンサー志望だった、

チョッキ―は、

本当に三十代で亡くなってしまった…。(ごめんねチョッキー)

 

さて、ベルバラの「天然振り」は、

女性としては常にトップを走っていたトミー部長に、

殊の外ひどく受けていた。

たしかにベルバラは、ジジイ殺しの姫と違い、オバサン受けのキャラだった。

小賢しい女ばかりの職場だったので、

まあ仕方ないか。

 

テンネンその1

「あの娘に『カマトトって知ってる?』って聞いたら、

『いやあ知りません』っていうから、

じゃあ教えてあげよう、

『海の中で、板着けて泳いでいる魚がいるのよ。
その魚をカマトトっていうのね』

って言ったら、ベルバラ本気にしていたわよ。」

うーん、それってできすぎてる話しだよー。

テンネンその2

「『手前みそ』っていう『お味噌』があると教えたら、

ベルバラ本気にして、

土産として手に入れようとしていた。」

テンネンその3

「出張するから、新幹線で待ち合わせね。」

と簡単に打ち合わせた。

『ヘッそれって‥上野駅じゃあなかったんですか?』
とベルバラが言ったという。

あんたひとり上野駅で集合したんかいな?

 

あとあとトミー部長が得意げに、

「これにはみんな、腰抜かした」っていったが、

携帯やスマホが無い時代だからねえ。

トミー(と今だから呼び捨て)あんた指導者だろッ!
笑いごとじゃあないよ、

ねえベルバラ(と同じ東北生まれとして珍しく同情)

でも思えば トミーにも ルミネで 
どんぶりアンミツ をおごってもらったりしたよね

 

マスクばかり掛けていた、しおれたスズランの私を、

サナトリウムK と言い出した、

もちろん、そんな高尚な命名は、

ベルバラにしかできない。

結局、本人もそれが気に入って、

ふたりの間では、二十年以上、私はサナトリウムKだ。

 

ハーレーダビットソンじゃなかったハーレクイーンを

ダンボール一杯、この私に貸してくれたこともあった。

三国志(子供の漫画横取り)や、日出処の天子(これも)などを

アカデミックにひもといていた私が

とうとうハーレクイーンロマンスにはまった。

のちのち冬ソナにもはまったが、

アー教養が許さなかった。

 

「心が強く、体が弱い」もの同士の

互いに惹かれ合う、感性とはこういうものか(ナニ言ってんだか)。

やはり納得いかんが。

 

しかあし、ザンネーン!(古ッ

なんと勤めていた会社は、こんなわれわれよりももっと体が弱かった!

 

「理念サイコー、収益サイテー」

まあ、逆も困るがねえ。

で、とうとう潰れてしまった、じゃあなかった、

えらくきれいに清算してしまった。

 

この節そんなのゴロゴロしてる話だよ、

と威張るあんたも、その身になってみなさい。

頭は知らんが、体がえらーく弱いんだぞ。

親に頼りたくもない。

フトコロもほんと弱った。

 

岩手に戻ったベルバラは、

得意のインターネット技術(があったのか?)を生かして

IT就職したが、

そこもやがて給与遅配が始まった。

 

相談した労基担当のオジサンに、

「アンダ、ソンダこと言っだって、社長さんだってカワイソ―だよ。」

と言われた(そのメイ言に泣)。

この話が、つい昨日のように思えるのは、

迫力満点の衝撃的現実がいつも目前にせまっていたからだろう。

 

大手新聞社の地方局特派員かなんかの記事書ける職に

採用されたと知らされた時は、

心底ほっとした。

 

その間、業界団体に優雅スライドしていた私は、

いろいろな好意の下で、高尚なスペースを貰い書かせてもらった(うそつけ)。

そこで出来た美文・名文珠玉の数々を、

たゆまず岩手のベルバラに送り続けた。

 

崇高なるゆえ(どこがじゃ)誰も読んでくれない。

菓子をつけても菓子しか覚えていてくれない。

菓子ではなくこのサナトリウムKに、

唯一喰いついてくれたのがー、

負けずに自画自賛の返信を飛ばし続けてくれたのがー、

ベルバラ、あなたただひとり。(キモチ悪ルッ

 

終には

この先輩サナトリウムKを

ベルバラが乗り越える時がやってきた。

(おい、初めからだぞ←ウルサイヤ)

 

何度か候補に挙がったと話は聞いたが、

とうとうカドカワの

あの世にも恐ろしい、

知人・親戚 一同ドン引きの

横溝正史ミステリ大賞を受賞したのだ。

(『首挽村の殺人』買ってあげてね)

 

げに二十余年の歳月は、おそろしい。

シミ・シワ・グチ・自慢ばかりのバーサンを造ったり、

エーイわたしではない、あんたでしょう

一方、岩手が誇る、

美人推理作家を造ったり。

(これが大事、首なし美人の死体と言うじゃない)

 

昨年のあの大震災からは、語るもつらい大悲劇。

ほんとうに弱い体で、身内複数の捜索に八方手を尽くした。

生きるだけでも精一杯の体調に合わせて、

こつこつ職人のように

作品を作り上げていきたいと語っていたのに、

 

厳しい体験をした岩手の作家として、

震災復興活動で、つぎつぎに作品を寄稿したり、依頼が殺到したり。

ありがたいけど、かわいそうだったよ。

ご苦労さま。ほんとだよ。

 

よって、ここに今は入院中のベルバラに、

栄誉ある(オイ、自分で言う馬鹿がいるかッ)

第一回岩﨑・駒﨑記念図書室「金の馬車賞」を贈る次第である。

2012(平成24)年5月1日


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