2011年3月11日(金)午後2時46分 東北地方太平洋沖地震発生
この震災は後に 東日本大震災 と名付けられました
この震災で亡くなられたかたがたの 御冥福を心よりお祈りいたします
マグニチュード: 9.0 宮城県栗原市震度: 7 東京都区震度: 5
<震度: 6 岩手県滝沢村の推理作家・大村友貴美の話>
「座敷の本棚は倒れなかった」
「ただ、真ん中の方へ、歩いて行っていた!」
第一回岩﨑・駒﨑記念図書室「金の馬車賞」受賞者発表
推理作家 大村 友貴美 殿
2012(平成24)年5月1日付
第一回金の馬車賞 授与にあたって、
受賞者大村友貴美様に弊図書室代表北川より、極めて手前勝手な
下記の賛辞を贈らせて戴きます。
賛辞が祟りませんよう、心より願い、
弊ホームページ上にて発表と授与を行います。
なお、副賞ン万円は税金等への深慮遠謀により、
ゴージャス北川絶賛の ヘレンドカップに致しました。
2012年5月1日付
四半世紀も前の話だが、
職場の後輩で、
「ベルサイユの薔薇」に魅せられ、
仕事を休んで、パリに飛んだ若いのがいた。
パリに着いたその日に、
レストランで「牡蠣を喰ったむくい」で、
二日目には緊急帰国となってしまった。
カキバラかもしらん、
それが弊図書室 第一回受賞者(受刑者ではない)
推理作家のベルバラだ。
そんなヤワハラな、一流大学出(だったかなァ)の新入社員に、
世間のいろいろな良識を教えてやったのが、
ドイツスズランだの姫だのと、偉いさんに持ち上げられていた、
おつぼね様の私だ(うそうそ)。
「アンタね『若いうちの苦労は、買ってでもせよ』と言うわよ!」
今だにナットクで、涙の出るようなこのスズラン姫の言葉にー、
「ウチの父上は『若いうちは、それでなくとも苦労が多いんだから、
あまりがんばりすぎるなよ♥』、と言ってまーす!」
と応酬
ったくう、今思い出しても、逆パワハラだぞ。
他社を回ると言っては、早めに帰ってしまう体の弱い上司に対して、
ふたりして「チョッキ―」とあだなをつけたりした。
三つ揃え背広の、学生時代はアナウンサー志望だった、
チョッキ―は、
本当に三十代で亡くなってしまった…。(ごめんねチョッキー)
さて、ベルバラの「天然振り」は、
女性としては常にトップを走っていたトミー部長に、
殊の外ひどく受けていた。
たしかにベルバラは、ジジイ殺しの姫と違い、オバサン受けのキャラだった。
小賢しい女ばかりの職場だったので、
まあ仕方ないか。
テンネンその1
「あの娘に『カマトトって知ってる?』って聞いたら、
『いやあ知りません』っていうから、
じゃあ教えてあげよう、
『海の中で、板着けて泳いでいる魚がいるのよ。
その魚をカマトトっていうのね』
って言ったら、ベルバラ本気にしていたわよ。」
うーん、それってできすぎてる話しだよー。
テンネンその2
「『手前みそ』っていう『お味噌』があると教えたら、
ベルバラ本気にして、
土産として手に入れようとしていた。」
テンネンその3
「出張するから、新幹線で待ち合わせね。」
と簡単に打ち合わせた。
『ヘッそれって‥上野駅じゃあなかったんですか?』
とベルバラが言ったという。
あんたひとり上野駅で集合したんかいな?
あとあとトミー部長が得意げに、
「これにはみんな、腰抜かした」っていったが、
携帯やスマホが無い時代だからねえ。
トミー(と今だから呼び捨て)あんた指導者だろッ!
笑いごとじゃあないよ、
ねえベルバラ(と同じ東北生まれとして珍しく同情)
でも思えば トミーにも ルミネで
どんぶりアンミツ をおごってもらったりしたよね
マスクばかり掛けていた、しおれたスズランの私を、
サナトリウムK と言い出した、
もちろん、そんな高尚な命名は、
ベルバラにしかできない。
結局、本人もそれが気に入って、
ふたりの間では、二十年以上、私はサナトリウムKだ。
ハーレーダビットソンじゃなかったハーレクイーンを
ダンボール一杯、この私に貸してくれたこともあった。
三国志(子供の漫画横取り)や、日出処の天子(これも)などを
アカデミックにひもといていた私が
とうとうハーレクイーンロマンスにはまった。
のちのち冬ソナにもはまったが、
アー教養が許さなかった。
「心が強く、体が弱い」もの同士の
互いに惹かれ合う、感性とはこういうものか(ナニ言ってんだか)。
やはり納得いかんが。
しかあし、ザンネーン!(古ッ)
なんと勤めていた会社は、こんなわれわれよりももっと体が弱かった!
「理念サイコー、収益サイテー」
まあ、逆も困るがねえ。
で、とうとう潰れてしまった、じゃあなかった、
えらくきれいに清算してしまった。
この節そんなのゴロゴロしてる話だよ、
と威張るあんたも、その身になってみなさい。
頭は知らんが、体がえらーく弱いんだぞ。
親に頼りたくもない。
フトコロもほんと弱った。
岩手に戻ったベルバラは、
得意のインターネット技術(があったのか?)を生かして
IT就職したが、
そこもやがて給与遅配が始まった。
相談した労基担当のオジサンに、
「アンダ、ソンダこと言っだって、社長さんだってカワイソ―だよ。」
と言われた(そのメイ言に泣)。
この話が、つい昨日のように思えるのは、
迫力満点の衝撃的現実がいつも目前にせまっていたからだろう。
大手新聞社の地方局特派員かなんかの記事書ける職に
採用されたと知らされた時は、
心底ほっとした。
その間、業界団体に優雅スライドしていた私は、
いろいろな好意の下で、高尚なスペースを貰い書かせてもらった(うそつけ)。
そこで出来た美文・名文珠玉の数々を、
たゆまず岩手のベルバラに送り続けた。
崇高なるゆえ(どこがじゃ)誰も読んでくれない。
菓子をつけても菓子しか覚えていてくれない。
菓子ではなくこのサナトリウムKに、
唯一喰いついてくれたのがー、
負けずに自画自賛の返信を飛ばし続けてくれたのがー、
ベルバラ、あなたただひとり。(キモチ悪ルッ)
終には
この先輩サナトリウムKを
ベルバラが乗り越える時がやってきた。
(おい、初めからだぞ←ウルサイヤ)
何度か候補に挙がったと話は聞いたが、
とうとうカドカワの
あの世にも恐ろしい、
知人・親戚 一同ドン引きの
横溝正史ミステリ大賞を受賞したのだ。
(『首挽村の殺人』買ってあげてね)
げに二十余年の歳月は、おそろしい。
シミ・シワ・グチ・自慢ばかりのバーサンを造ったり、
(エーイわたしではない、あんたでしょう)
一方、岩手が誇る、
美人推理作家を造ったり。
(これが大事、首なし美人の死体と言うじゃない)
昨年のあの大震災からは、語るもつらい大悲劇。
ほんとうに弱い体で、身内複数の捜索に八方手を尽くした。
生きるだけでも精一杯の体調に合わせて、
こつこつ職人のように
作品を作り上げていきたいと語っていたのに、
厳しい体験をした岩手の作家として、
震災復興活動で、つぎつぎに作品を寄稿したり、依頼が殺到したり。
ありがたいけど、かわいそうだったよ。
ご苦労さま。ほんとだよ。
よって、ここに今は入院中のベルバラに、
栄誉ある(オイ、自分で言う馬鹿がいるかッ)
第一回岩﨑・駒﨑記念図書室「金の馬車賞」を贈る次第である。
2012(平成24)年5月1日
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