綾瀬ふるさと検定2024 解説
産業
問34 ③約380社
綾瀬市内には昭和40年代から自動車関連産業を主力とした工場団地が整備され始めました。現在は4つの工業団地と2つの工業団体があり、高い技術力やノウハウを有する製造業が集積する県内屈指の「ものづくりのまち」と言われています。2023(令和5)年時点では、市内にある中小企業の数は384社にのぼり、横浜、川崎、相模原の県内3政令市に次ぐ4番目の企業集積を誇ります。ちなみに、中小企業の定義は従業員300人以下または資本金3億円以下となっています。
問35 ②6時間
綾瀬産の野菜の特徴は、収穫から消費者の手に届くまでの速さです。速さへのこだわりは「最もおいしい状態のものを食べてもらいたい」という生産者の願いです。
野菜の「菜」の字を用いて「菜速」と名付けられました。たとえば、トウモロコシは夜間に旨味を蓄えるため、糖度が一番高い早朝に収穫して、最速(菜速)で消費者に届けています。
問36 ③あやせサブレ
綾北小学校前にあるパル・ド・モンパル店のあやせサブレは、市の花「ばら」と「高座豚」をかたどったサブレが特徴です。
1993(平成5)年に市制施行15周年を記念し、綾瀬の名前を広めたことで、「パレ・ド・モンパル」「大久保商店」「高座豚手造りハム」「めるへん」の店舗が表彰されました。
1994(平成6)年に「あやせ名産品会」が誕生し、その後「矢部商店」「鈴保養鶏園」が仲間入りして現在は5店舗になっています。
「めるへん」は現在あやせ名産品会には入っていません。
問37 ③1935(昭和10)年
明治時代以降、綾瀬市や相模原市、寒川町などの旧高座郡で飼育されていた中ヨークシャー種の豚が高座豚と呼ばれていました。
高座豚は、耳が立っている中型の豚で、顔がしゃくれているのが特徴です。
高座豚は、1935(昭和10)年に開催された東京芝浦全国肉畜博覧会で受賞し、薩摩黒豚と並ぶ知名度を誇りました。
しかし、高座豚は体が小さいため一頭当たりの肉量が少なく、生育期間も通常の2倍以上かかることから、1970年代には生産者も減少し「幻の豚」と呼ばれるようになりました。
問38 ①あやせとんすきメンチ
ロケとグルメによるまちおこしに取り組む市民組織の綾瀬市ブタッコリ~ロケ隊(通称:ブタロケ隊)と商工会が連携して開発したご当地グルメが、あやせとんすきメンチです。これは、綾瀬市の郷土料理「豚すき」のうまみを凝縮したオリジナルメンチカツです。撮影隊にも差し入れし、大好評をいただいている逸品です。
問39 ①吉岡地域
1904(明治37)年日露戦争の勝利により、横須賀海軍工廠をはじめとする横須賀の海軍施設が拡張されていくにつれ、水需要も増大してきました。そのため海軍は新たに相模川支流の中津川から水を引くことを計画。これが軍港水道半原系統で、約53km離れた愛川村半原から新設の横須賀市逸見浄水場まで自然流下式で水を導き、ろ過した後、各施設に配水するものでした。この水道管が敷設されたルートが「横須賀水道みち」と呼ばれ、現在も道路として使われています。工事は1912(明治45)年に始まり1918(大正7)年に通水。1921(大正10)年に全施設が完成しました。市内では吉岡地域~堀之内橋~芝原~綾瀬浄水場先までほぼ真っ直ぐおよそ2kmの道路です。道端には当時の海軍用地標石や「横須賀」とか「水道局」の名入石柱が残っています。
問40 ④綾瀬浄水場の配水塔
綾瀬浄水場は吉岡にあり、神奈川県内広域水道企業団の施設です。この写真の配水塔は綾瀬市内のどこからでもよく見える目印となっています。宮ケ瀬ダムを水源とし、1日500,000㎥(横須賀市分58,300㎥を含む)の浄水能力があります。他に市内から見える塔としては、寺尾団地の給水塔、望地団地の給水塔(海老名市)、高座クリーンセンターの排気塔(海老名市)などがあります。
問41 ③テーブルベル
吉岡にあり、「あやせものづくり研究会」に参加している鎌田理化学器械製作所が製作した高級卓上ベル(テーブルベル)が、世界的に著名なニューヨーク近代美術館(MoMA)の関連施設に展示され好評を博しています。貴重な石英ガラス(水晶)を素材に、職人の高度な加工技術が施されているものです。