綾瀬ふるさと検定2023 解説
番外(綾瀬一周の歌)


問73  ②現中村公園
 尋常高等綾瀬小学校(本校)は、深谷神社の東側(現中村公園)中郷2377番地にありました。1922(大正11)年 火災で校舎が焼失し、新築されたのも束の間、翌1923年関東大震災で全壊。再建に際して場所的に地割れが激しいことから、1924年現在の綾瀬小学校がある場所への移転が決定されたという経緯があります。

問74  ③妻之神
 深谷中郷(市役所南通りの長龍寺北側に神奈川中央交通の中郷バス停がある)を過ぎて、比留川に沿って寺尾方面へ北上。その途中に妻之神という道祖神があります。文久三癸亥(1863ミズノトイ)年正月十四日」の銘があります。 道祖神はサエノカミなどともいわれ、道路の辻・村の入口や境などに祀られています。市域では54基ほどの道祖神が確認されています。

問75  ③お伊勢宮の森
 大山街道の赤坂から小園子之社へ行く途中にある森は「お伊勢宮の森」です。2000年以降につくられた新しい公園で、周辺の自然環境と景観を守るためにつくられた広い都市緑地です。

問76  ①ハルニレ
 江戸時代の御典医・半井驢庵は、徳川三代将軍家光に仕えた幕府お抱えの医者でした。1624(寛永元)年、海老名の本郷村に一千石を賜り、この地に驢庵屋敷と言われた下屋敷を建てました。驢庵が朝鮮半島から持ち帰ったハルニレの木を屋敷の門の両側に植樹しました。その木は八王子往来(現在の県道406号)沿いにあり、現在樹齢300年以上と言われ、県指定の天然記念物になっています。住民は木の名前を知らなかったので”なんじゃもんじゃの木”と呼んでいたそうです。

問77  ④吉岡地区センター
 魯庵橋から歩いてきて吉岡分校に到着、ここで昼食休憩したと思われます。同分校は現在吉岡地区センターになっています。門柱や校舎全景に当時の様子が偲ばれます。左手前方には吉岡の鎮守・神明社の森が見え、その近くには春日局ゆかりの済運寺があります。

問78  ②稲著社
 吉岡芝原から上土棚分校を目指して藤沢道を歩いて行きます。稲穂の波が揺れている先に落合の稲著社(イナツキシャ)が見えます。稲著社は寛文2年(1662年)の棟札から、この時に建てられたと考えられます。稲著社の神楽殿は江戸時代末に建てられたもので、市内で最も古いものです。渋谷重国の孫、落合六郎重貞の居館がこのあたりにあったと伝えられています。稲著社の東側には「男坂」という険しい坂があります。ちなみに「女坂」は蟹ヶ谷公園近くの中原街道沿いにあります。

問79  ③繭生糸
 当時村の人口は6千余人、戸数は約880戸でした。ほとんどが農家で、田畑の耕作、大麦や小麦、お茶の栽培、繭から生糸を作る養蚕を生業としていました。村内の約80%、710戸が養蚕農家で、約500戸が お茶の製造に関わっていたといわれています。

問80  ③約30km
 生徒たちは朝早く学校を出発し、夕方暗くなる頃戻ってきました。総歩行距離は30~35km、途中休憩を含めて8~10時間歩いたものと思われます。昔の子どもは健脚でしたね。