職務発明の対価の所得区分について
文献種別 判決/大阪地方裁判所
判決年月日 平成23年10月14日
事件番号 平成21年(行ウ)第155号
事件名 所得税更正請求に対する通知処分取消請求事件
裁判結果 棄却
参照法令 所得税法22条、33条、35条、所得税法施行令82条、特許法35条
掲載誌 裁判所ウエブサイト
(LEX/DB文献番号 25444492)
《事実の概要》
1 事実の経緯
(1) 原告は、昭和43年4月にA社に入社し、平成19年9月8日に同社を退社したが、昭和58年頃、本件職務発明をし、Aは同年11月25日に本件職務発明につき特許の出願をした。本件職務発明は、日本において平成3年6月20日公告され、平成4年6月26日にA名で特許の設定登録がされ、外国においても本件職務発明につき特許の設定登録がされた。
(2) Aは、原告に対して昭和58年から平成17年までの間に、16回にわたり本件職務発明についての報償金を支払った。
(3) 原告は、本件職務発明に関するロイヤリティ報償金163万1300円が特許法35条3項の「相当の対価」の額に満たないなどとして、平成17年7月5日、Aを被告としてロイヤリティ収入に対する原告が得るべき対価として5339万2003円及びこれに対する遅延損害金の支払いを求める訴えを提起した。後にクロスライセンス契約に基づく利益に対する原告が得るべき相当の対価を含め、7000万円及びこれに対する遅延損害金に拡大した。
(4) この訴訟は、平成18年6月7日に原告とAとの間で訴訟上の和解が成立し、同月26日に原告はAから本件和解金3000万円の支払を受けた。和解条項1項は、「被告は、原告に対し、本日までに、原告が被告においてした職務発明、考案にかかる権利の譲渡の対価として3000万円の支払義務があることを認める。」とされている。
(5) 原告は、平成19年3月15日にP税務署長に対し、本件和解金を雑所得として所得税の確定申告書を提出した。原告は平成19年12月7日、P税務署長に対し、「所得区分の誤りのため 雑所得→譲渡長期所得」との理由を記載した更正の請求書を提出した。P税務署長は、平成20年3月10日付けで、更正すべき理由がない旨の本件通知処分をした。
(6) 原告は、不服申立てを経由の上、平成21年9月15日、本件通知処分の取消しを求めて本件訴訟を提起した。
2 争点
本件和解金は長期譲渡所得に該当するか否か。長期譲渡所得であれば、そのニ分の一に対して課税される。
(1) 原告の主張
ア 原告がAに対して本件特許を受ける権利を承継したのは、本件和解金を受け取った平成18年6月であると解されるから、本件和解金は正に権利の承継に際しその対価として受け取ったものであり、譲渡所得に該当する。
イ 仮に権利の承継時期が昭和58年であったとしても、本件和解金は、特許を受ける権利をAに承継させる対価として、特許法35条3項の規定により取得した相当の対価支払請求権を実現させたものであるから、特許を受ける権利の譲渡の対価として、当然に譲渡所得に該当する。
2) 被告の主張
ア 本件特許を受ける権利は、遅くとも昭和58年11月25日に、原告からAに承継されたことは、同日付け「譲渡証書」により明らかである。
イ 譲渡所得に対する課税は、資産の値上がりによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転する機会に、その所有機期間中の増加益を清算して課税する趣旨のものであるところ、本件和解金は、原告が本件特許を受ける権利を有していた期間中の増加益であるとはいえず、また、権利が使用者に移転するのを機会に清算するものではないから、譲渡所得には該当せず、雑所得に該当する。
《判決の要旨》
1 特許を受ける権利の承継時期について
「原告は、同年11月25日、同日付け「譲渡証書」と題する書面に自ら押印し(原告は同書面の成立の申請について争っていない。)、これをAに交付した。同書面には、「下記の発明または考案に関する特許を受ける権利または実用新案登録を受ける権利を貴社に譲渡したことに相違ありません。 記 発明または考案の名称 ○ 発明届出書NO・×―× 」と記載されている。」 文中、同年とは昭和58年である。「Aは、同日、原告ほか1名を発明者とし、Aを特許出願者として、本件職務発明について特許を出願した。」
以上によれば、「本件特許を受ける権利は、遅くとも昭和58年11月25日までに、原告からAに承継されたものと認められる。」
2 本件和解金の譲渡所得該当性について
(1) 譲渡所得課税の趣旨
「資産の譲渡所得に対する課税は、資産の値上がりによりその資産の所有者に帰属する増加益(キャピタルゲイン)を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものであり、売買交換等によりその資産の移転が対価の受入を伴うときは、その増加益は対価のうちに具体化されるので、これを課税の対象として捉えたのが所得税法33条1項の規定である(最判昭和43年10月31日・裁判集民事92号797頁参照)。そして、年々に蓄積された当該資産の増加益が所有者の支配を離れる機会に一挙に実現したものとみる建前から、累進税率のもとにおける租税負担が大となるので、同条3項2号に係るいわゆる長期譲渡所得(資産の譲渡でその資産の取得の日以後5年経過後にされたものによる所得など)については、その租税負担の軽減を図る目的で、同法22条2項2号により、長期譲渡所得の金額の2分の1に相当する金額をもって課税標準とされている(最判昭和47年12月26日・民集26巻10号2083頁(以下「昭和47年最判」という。)参照)。」
「譲渡所得の金額は、その年中の当該所得に係る総収入金額から当該所得の基因となった資産の取得費及びその資産の譲渡に要した費用の額の合計額を控除し、その残額の合計額から譲渡所得の特別控除額(50万円)を控除した金額とするものとされているが(同法33条3項、4項)、所得税法上、同一の原因に基づく譲渡所得が複数年度にわたる場合の控除の方法について定めた規定はない。」
「以上のような、譲渡所得に係る課税の趣旨や制度の仕組みなどからすれば、ある所得が譲渡所得に該当するためには、その所得が「当該資産の増加益が所有者の支配を離れる機会に一挙に実現したもの」であること、すなわち、資産の所有権その他の権利が相手方に移転する機会に一時に実現した所得であると解するのが相当である」
一時に実現した所得の意味について、譲渡所得の収入金額の権利確定の時期が所有権その他の権利が相手方に移転する時とされていることから、「裏を返せば、当該資産の所有権その他の権利が相手方に移転するときに権利の確定する所得のみが当該資産に係る譲渡所得になるということ」と判示する。
(2) 本件和解金に係る所得が実現した時期について
「本件職務発明に係る特許法35条3項の「相当の対価」については、出願報奨金として原告に支払われた1000円を除き、本件特許を受ける権利が承継された機会において所得が実現したということはできない(なお、前記前提となる事実によれば、本件和解金が所得として実現したのは、本件和解が成立した平成18年6月であると認められる。)。」
「したがって、本件和解金は、本件特許を受ける権利がAに移転する機会に一時に実現した所得ではないから、本件特許を受ける権利に係る譲渡所得には該当しない。」
(3) 本件和解金の所得区分について
「本件和解金は、本件職務発明の「相当の対価」として支払われたものであるところ、特許法35条3項の「相当の対価」とは、従業者等の労務及びその成果(職務発明)に対する対価たる性質を有しているというべきであり、「労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの」(所得税法34条1項)とはいえないから、一時所得に該当しない。」
3 結論
「以上によれば、本件和解金が雑所得に該当するとしてされた本件通知処分は適法であるから、原告の請求を棄却することとして、主文のとおり判決する。」
《判例の解説》
一 本判決の要点
本判決は、次の見解をとったことで注目される。
○ 譲渡所得は、資産(権利)が移転する機会に一時に実現した所得である。一時とは資産の移転と同時に収入金額の権利が確定することである。
○ 本件における特許法35条3項の「相当の対価」は、従業者等の労務及びその成果(職務発明)に対する対価の性質を有しているので、一時所得ではなく雑所得に該当する。
そして、以上のことは、国税庁の所得税基本通達23〜35共―1の次の定めを追認するものである。
「業務上有益な発明、考案等をした役員又は使用人が使用者から支払を受ける報償金、表彰金、賞金等の金額は、次に掲げる区分に応じ、それぞれ次に掲げる所得に係る収入金額又は総収入金額に算入するものとする(平17課個2−23改)。 (一)業務上有益な発明、考案又は創作をした者が当該発明、考案又は創作に係る特許を受ける権利、実用新案登録を受ける権利若しくは意匠登録を受ける権利又は特許権、実用新案権若しくは意匠権を使用者に承継させたことにより支払を受けるもの これらの権利の承継に際し一時に支払を受けるものは譲渡所得、これらの権利を承継させた後において支払を受けるものは雑所得」
ニ 譲渡所得の意義
1 譲渡所得の基因となる資産
所得税法33条1項は、「譲渡所得とは、資産の譲渡(括弧内略)による所得をいう。」とし、2項で棚卸資産の譲渡と山林の伐採又は譲渡による所得を除いている。資産の意義について、所得税基本通達33−1は「譲渡所得の基因となる資産とは、法第33条第2項各号に規定する資産及び金銭債権以外の一切の資産をいい、当該資産には、借家権又は行政官庁の許可、認可、割当て等により発生した事実上の権利も含まれる。」と定める。
所得税基本通達23〜35共―1も認めるように、特許を受ける権利は資産に該当する。
2 権利移転時の一時の所得説
本判決は、譲渡所得の意義について、「資産の所有権その他の権利が相手方に移転する機会に一時に実現した所得であることを要すると解するのが相当である」とする。そして、昭和47年最判の「年々に蓄積された当該資産の増加益が所有者の支配を離れる機会に一挙に実現したものとみる建前から」との判示を参照し、譲渡所得に対する清算所得課税説を、一時の所得に限る根拠とする。しかし、清算所得課税説に対して、「譲渡所得課税の対象は、抽象的な保有期間中の値上がり益ではなく、現実の収入金額から取得費等を控除した譲渡差益を意味するというべきであろう。」(田中治「資産の取得価額をめぐる近時の紛争例」税務事例研究65号31頁)とする譲渡益所得説がある。所得税法33条3項は、譲渡所得の計算について、総収入金額から譲渡した資産の取得費と譲渡費用および特別控除額を控除した金額とすると定めるので、譲渡益所得説は当然の見解ともいえる。また、所得税法施行令82条は、特許権、実用新案権その他の工業所有権、育成者権、著作権、鉱業権については、5年以内の譲渡であっても二分の一課税を定めている。清算所得課税説は不動産の譲渡については適切に当てはまるが、これらの無体財産権については、清算所得課税説が適さない場合があるであろう。そうすると、譲渡所得を権利移転時に一時に実現した所得と限定する根拠は無いことになる。
3 譲渡所得実現の時
所得税法36条は、「その年分の各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額又は総収入金額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、その年において収入すべき金額」とすると定めている。収入すべき金額とは、通常の場合は収入する権利の確定した金額と解されている。譲渡所得であれば、売買契約により所有権は移転するが、同時履行の抗弁権がある時点では権利が確定したとはいえず、資産を引き渡した時に収入すべき権利が確定すると解するものである。所得税法基本通達36−12は、譲渡所得の総収入金額の収入すべき時期を、譲渡所得の基因となった資産の引渡しがあった日によるものとし、契約日により申告があったときはこれを認めると、通常権利移転日とされる契約日を例外的に認めている。
以上の所得税法の総収入金額の認識の基準によると、資産を譲渡したが金額が未定の場合は、権利が確定しておらず、収入すべき金額はないことになる。この場合、資産の対価が決定して相手方に請求できるようになった時に、その年の譲渡所得になる。本件も、特許を受ける権利の承継は昭和58年であり、収入すべき金額の権利確定は平成18年になったということであり、これと異なる本判決の見解には、疑問をもたざるを得ない。
三 所得区分
本件和解金が、特許法35条3項の「特許を受ける権利」を承継させたときに取得する「相当の対価」であることは、本判決の認めるところである。しかし、本判決は、本件和解金を労務及びその成果(職務発明)に対する対価と認定し、雑所得とした。
所得税基本通達23〜35共―1(一)によると、使用者から支払を受ける報償金、表彰金、賞金等の金額は、権利の承継後に支払を受けるものは雑所得とされる。
この通達の定めは、特許を受ける権利については、承継後にその価値が定まる事例が多く、その所得の性質が不明確であることから、権利承継後の報償金等を権利の対価と見ない取扱を定めるものである。しかし、これが権利の譲渡の対価であることが明確であれば、この通達もそれを否定するものではないと考える。
本件和解金が、特許法35条3項の特許を受ける権利の相当の対価であることは、訴訟上の和解において明確にされている。そうであれば、本件和解金は特許を受ける権利の対価であり、譲渡所得に該当すると考える。本判決の和解条項の解釈には疑問がある。
ただし、権利の譲渡は昭和58年であり、その権利を取得して5年以内の譲渡と思われ、また、特許を受ける権利は所得税法施行令82条列挙の権利ではないので、短期譲渡所得となる。
四 まとめ
特許法35条3項の特許を受ける権利は、国税庁の通達でも譲渡所得の基因となる資産として位置づけられている。その対価が譲渡の相当後に確定したとしても、それにより所得の区分が異なることにはならない。したがって、本件和解金は、譲渡所得の総収入金額に算入される金額になると考える。しかし、特許権そのものであればニ分の一課税が適用されるが、特許を受ける権利はそれに該当しないので、本件和解金は短期譲渡所得となる。その場合、雑所得と譲渡所得との計算上の相違は、50万円の特別控除が適用されるか否かのみであり、特許を受ける権利について雑所得か譲渡所得かを争う実益は大きくない。
なお、所得税基本通達23〜35共―1(一)の定めは、性格の不明確な報償金等について、有効であると考える。