不正請求診療報酬返還債務の必要経費算入時期について

文献種別      判決/東京地方裁判所
判決年月日     平成22年12月17日
事件番号      平成21年(行ウ)第626号
事件名       所得税更正処分取消請求事件
裁判結果      棄却
参照法令      所得税法37条、45条、51条、63条、所得税法施行令98条の2(現98条)、141条、健康保険法58条 国民健康保険法65条
掲載誌       判例集未登載 
                      (LEX/DB文献番号 25443737)

《事実の概要》
1 事実の経緯
(1)  原告は、北海道において病院を経営していたところ、北海道社会保険事務局及び北海道保健福祉部国民健康保険課は、平成17年3月23日及び同月24日に健康保険法、国民健康保険法に基づく監査を行い、本件病院において、不正又は不当な診療保険報酬請求が行われていたと判断した。北海道社会保険事務局は、平成17年6月30日付けで、本件病院に対して不正請求等に係る診療報酬の返還と返還書類の作成を指示する文書を送付した。この文書には、不正請求分には40%の加算金が賦課されることが記載されている。
(2)  原告は、平成17年10月7日付けで、北海道社会保険事務局長及び北海道知事に対し、平成13年2月から平成17年2月までの不正請求分9億8555万円3733円を該当する保険者へ直接返還することに同意する返還同意書を送付した。
 また、平成17年12月15日付けで、北海道社会保険事務局長及び北海道知事に対し、不当請求分2319万2138円を該当する保険者へ直接返還することに同意する返還同意書を送付した。
 原告は、平成17年10月以降、不正請求および不当請求に係る本件返還債務を順次返済し、同20年10月23日までの履行累計金額は、4165万6913円である。
(3)  原告は、平成16年分の所得税について、16年分の不正請求金額2億7259万3910円を収入金額勘定から減算し、還付金5794万円とする確定申告書を平成17年3月15日に提出した。また、平成17年分の所得税について、不正請求金額4315万5316円を収入金額勘定から減算するとともに、13年分から15年分までの不正請求金額と、13年分から17年分までの不正請求に係る加算金、13年分から17年分の不当請求金額の合計10億9089万9909円を前期損益修正勘定として同年分の必要経費に算入し、純損失の金額を7億8463万7405円とする17年分確定申告書を平成18年3月15日付けで提出した。

2 課税の概要
 浅草税務署長は、平成20年3月14日付けで、平成16年分所得税について、収入金額から減算した不正請求金額を否認し、平成17年分所得税について、本件返還債務のうちいまだ現実に履行していない部分の金額及び加算金を必要経費に算入することを否認する更正処分および加算税の賦課決定処分をした。

3 争点
(1)本件返還債務のうちいまだ現実に履行されていない部分(以下「本件未履行債務」という。)の金額を、事業所得の金額の計算上、総収入金額から控除し、又は必要経費に算入することの可否
ア 原告の主張
 所得税法51条2項は、その事業の遂行上生じた損失についても必要経費に算入できることを定め、これを受けて、同法施行令141条は、資産損失として必要経費に算入する場合を定めており、これら各規定が債務確定主義を排除して現金主義を採ったとは解せない。所得税法施行令141条3号にいう経済的成果が失われることとは、不当利得返還義務が生じることをいうのであり、現実に返還したことを要しない。よって、債務が確定した額について、事業所得の計算上、総収入金額から控除し、又は必要経費に算入すべきものである。
イ 被告の主張
 不正請求等に係る診療報酬は、原告が請求した時点でこれに対応する金額がほぼ確実に支払われることが見込まれ、原告の管理支配下に入って原告自身がそれを享受していると認められる以上、当該所得を課税の対象とすべきことになる。よって、本件未履行債務について、収入金額から控除することはできない。
  また、本件返還債務は、原告が法律上の原因なく受け取った収入を返還するべき債務であり、返還の対象となる収入は無効な行為によって生じた経済的成果であるから、当該経済的成果がその行為が無効であることに基因して失われた場合には、所得税法施行令141条3号の事由に該当し、所得税法51条2項に従って、その損失の生じた日の属する年分の必要経費に算入することになる。ここにいう損失とは、無効な行為によって生じた経済的成果が失われたことによる損失であり、現実に経済的成果が失われたことを指していると解される。
(2)本件加算金の金額を、事業所得の金額の計算上、必要経費に算入することの可否
 所得税法45条7号は、必要経費に算入しないものとして「損害賠償金(これに類するものを含む)で政令で定めるもの」を掲げる。所得税法施行令98条の2(現98条)は、政令で定める損害金を「故意又は重大な過失によって他人の権利を侵害したことにより支払う損害賠償金とする。」と定めており、本件加算金がこれに該当するか否かの問題である。
ア 原告の主張
 加算金が損害賠償金に該当するのであれば、その金額は当該不正請求に伴う損害金を個々に算定するべきであるが、加算金の割合は一律に40%とされている。すなわち、加算金は、診療報酬の不正請求を抑止するという行政目的で設けられた行政制裁にほかならず、他人に生じた損害を賠償するという損害賠償の法理に基づくものではない。
イ 被告の主張
 健康保険法58条3項、国民健康保険法65条3項等の規定に基づく加算金は、原告が偽りその他不正の行為により違法に受給した診療報酬を基礎として課された賠償金であるから、損害賠償金又はそれに類するものに該当する。

《判決の要旨》
1 所得税法36条1項の「収入すべき金額」又は「総収入金額に算入すべき金額」とは、「その収入の基因となった行為が適法であるか否かを問わないものとして取り扱われている(所得税基本通達36−1)。この取り扱いは、課税所得は専ら経済的に、又は実質的に把握すべきであり、その原因となる行為が有効なものか無効なものか等には関係なく、現実にその利得を支配管理し、自己のためにそれを享受して、その担税力を増加させている以上は、担税力に即した公平な税負担の配分という見地から、課税の対象とすべきであるとの考えによるものと解される。すなわち、税法の見地においては、課税の原因となった行為が、厳密な法令の解釈適用の見地から客観的評価において不適法又は無効とされるかどうかは問題ではなく、当該行為が関係当事者の間で有効なものとして扱われ、これにより、現実に課税の要件事実が満たされていると認められる場合である限り、当該行為が有効であることを前提として租税を賦課徴収することは何ら妨げられないものである(最高裁昭和33年(オ)第311号同38年10月29日第三小法廷判決・民集68号529頁。)」
 「したがって、原告が平成16年分並びに同17年1月分及び同2月分の診療報酬として請求した金額のうち不正請求等に係る部分であるとする金額についても、原告は、現実にその利得を管理支配し、自己のためにそれを享受して、その担税力を増加させたといえるから、原告の上記各年分の所得税における事業所得の計算上、総収入金額に計上すべきもので、これを控除することはできないというべきであり、ただ、後日これに係る経済的成果が失われた場合には、必要経費に算入することになるにとどまるものと解するのが相当である。」
2 「所得税法51条2項、同法施行令141条3号は、事業所得等の金額のうちに含まれていた無効な行為により生じた経済的成果がその行為の無効であることに基因して失われたことにより生じた損失の金額は、その損失の生じた日の属する年分の事業所得等の金額の計算上、必要経費に算入する旨規定しているところ、これは、無効な行為により生じた経済的成果も課税の対象とされることを前提に、後日それが失われた場合には、必要経費への算入により、これに対応した税額の調整を行うこととしているものであるということができる。」
 「原告が本件返還債務を負っていることは、当事者間において既に確認されているものといえるのであるが、このことのみで、原告が診療報酬の不正請求等をしたことにより生じた経済的成果が失われたということはできないのであり、原告が本件返還債務を現実に履行した場合に初めて、その部分についてその経済的成果が失われたものとして、その履行した日の属する年分の事業所得等の金額の計算上、必要経費に算入することができるというべきである。」
3 「加算金は、悪意の受益者の受けた利益及びその法定利息の支払と損害賠償義務を定めた民法704条の特則としてその支払を求められるものであると解されるのであり、その趣旨は、医療機関の保険診療請求の適正化を図るとともに、医療機関が不正請求等を行った場合に生じる経済的損失に係る遅延利息等の損害の賠償を当該経済的損失に対して一定の割合で課すこととしたものであると考えられるのであるから、加算金は、損害の賠償たる法的性質を有しているというべきであって、このことは、加算金が行政上の制裁としての性質を有していることと相容れないものではない。
 そして、原告は、偽りその他不正の行為によって診療報酬の支払を受けたものとして、本件加算金を課されたのであるから、本件加算金は、所得税法45条1項7号、同法施行令98条の2にいう故意又は重大な過失によって他人の権利を侵害したことによる損害賠償金又はそれに類するものに該当するというべきである。」

《判例の解説》
一 未履行債務を収入金額から控除することの可否
 本判決は、所得税法36条の「総収入金額に算入すべき金額」について、所得税基本通達(36−1)の「その収入の基因となった行為が適法であるか否かを問わない。」との見解を、「売買が民商法の厳密な解釈、適用上無効とされ、或いは物価統制令の見地から不適法とされる場合でも、当事者間で有効として取り扱われ、代金が授受され、現実に所得が生じていると認められるかぎり、右売買が有効であることを前提として所得税を賦課することは何ら違法ではない。」との昭和38年10月29日最判を参照して肯定する。
 所得税基本通達のこの定めは、昭和45年の現行通達制定により設けられたものであるが、旧基本通達では、「収入すべき金額とは、収入する権利の確定した金額をいう。」と定められていた。これを改正した理由は、権利確定という法的基準が企業会計の収益の認識基準である発生主義とずれがあること、実務において経済的利益を受けているという事実に基づく課税が行われていたこと(1 、さらに所得概念についての不法な所得も所得であるとの考え方(2 が通説化したこと等にあるといえよう。
 本判決に「現実に課税の要件事実が満たされていると認められる場合」との判示があるが、これは法的には権利が帰属していない場合でも経済的に観察した場合に収益が生じており課税要件が満たされていると判断するものである。このような経済的実質主義は、租税回避の事案においては厳しく退けられ、法的実質に基づき課税要件を判断すべきであり、これを経済的に捉えて課税するには法律の根拠を要するとするのが通説といえる(3 。
 しかし、所得概念に関しては、法的実質に反する無効な行為による所得も所得であるとの見解が一般的である。所得を完全に法的権利の帰属と捉えることには、どうしても無理な点があり経済的実質主義に依る場合があることは否定できないと考える。したがって、本判決の結論も正当と考える。
 ただし、本件については、不正請求に基づく収入が詐欺に基づくものであるとすれば、その行為が取り消されていない以上、その収入金額は法律上有効に原告に帰属するので、経済的実質主義に依るまでもなく総収入金額に算入すべき金額になると考える。
二 経済的成果の意義
 所得税法51条2項は、事業所得等を生ずべき事業について、「その事業の遂行上生じた売掛金、貸付金、前渡金その他これらに準ずる債権の貸倒れその他政令で定める事由により生じた損失の金額は、その者のその損失の生じた日の属する年分の不動産所得の金額、事業所得の金額又は山林所得の金額の計算上、必要経費に算入する。」と定める。所得税法施行令141条3号は、所得税法51条2項に規定する政令で定める事由を「不動産所得の金額、事業所得の金額若しくは山林所得の金額の計算の基礎となった事実のうちに含まれていた無効な行為により生じた経済的成果がその行為の無効であることに基因して失われ、又はその事実のうちに含まれていた取り消すことのできる行為が取り消されたこと。」と定める。
 原告は、所得税法37条が必要経費に算入すべき額は債務の確定した金額と定めており、債務確定主義は税法上の基本概念と主張する。そして、本件返還債務は平成16年分については同年12月末日までに、平成17年分については同年12月末日までに確定しており、必要経費に算入することができるとする。しかし、所得税法37条は原価と費用について定める規定であり、債務の確定は費用についてのみ要求されているのであるから、同条が損失について債務確定主義を定めているとの解釈は誤りである。
 判決は、所得税法51条が同法37条1項にいう同条の例外を定める「別段の定め」であり、債務確定主義が適用されないとしたが、結果的に正当である。
 また、判決は、所得税法施行令141条3号の経済的成果が失われるとは、本件返還債務が履行されることであるとし、履行した日の属する年分の必要経費に算入すべきであるとした。所得税法141条3号の法文中の「経済的成果」の意義は、必ずしも明らかではないが、例えば売買契約が無効であったが代金を受領している場合は、経済的に観察して代金を総収入金額に算入することを前提に、その代金を返済した場合を損失と位置付けて必要経費に算入する趣旨と考える。そのように考えると、経済的成果が失われるときとは、現実に返還債務を履行した時といえよう。その意味で、本判決の経済的成果の解釈は妥当と考える。
 しかし、所得税法施行令141条3号の文言からは、経済的成果が失われることを損失とするのは、無効な行為により経済的成果が生じている場合である。取り消すことができる行為が取り消された場合は、取り消されたこと自体が損失とされ、経済的成果が失われることは損失の要件とはされていない。
 本判決は、本件の診療報酬の不正請求とそれに応じた支払を無効と判断しているが、その根拠は必ずしも明らかではない。この行為が詐欺による取り消すことができる行為であれば、行為が取り消され不当利得返還債務が発生した時に損失が生じたと考えるべきであり、その時期を認定する必要があると考える。
 
三 加算金損金算入の可否
 所得税法45条7号は、「損害賠償金(これに類するものを含む)で政令で定めるもの」を必要経費に算入しないものとして掲げる。政令では「故意又は重大な過失によって他人の権利を侵害したことにより支払う損害賠償金とする。」と定める(現所得税法施行令98条)。所得税基本通達45−7は「法第45条第1項第7号かっこ内に規定する『これに類するもの』には、慰謝料、示談金、見舞金等の名目のいかんを問わず、他人に与えた損害を補てんするために支出する一切の費用が含まれる。」と定める。
 本判決は、加算金を定める健康保険法58条3項及び国民健康保険法65条3項の規定を、不当利得における悪意の受益者の受けた利益及びその法定利息の支払と損害賠償義務を定めた民法704条の特則と解し、本件加算金を損害の賠償たる法的性質を有しているとして、必要経費に算入することはできないとする。
 本件加算金を定める健康保険法58条3項及び国民健康保険法65条3項は、保険者が医療機関等に不正請求金額に40%を乗じた金額の支払を求めることができる旨を定めている。このように、取引の相手側に支払う金額を、行政上の制裁と解することには無理があり、40%を乗じた金額は、遅延利息を含む損害賠償金額を概算で定めたものと解すべきであろう。そうであれば、この金額は、損害賠償金に類するものと考えられ、必要経費に算入できないとする判決は正当と考える。

(1 後藤昇他編 『平成21年版所得税基本通達逐条解説』(大蔵財務協会 2009年)252頁
(2 金子宏『租税法第15版』(弘文堂 2010年)171頁
(3 清永敬次『税法 第7版』(ミネルヴァ書房 2007年)45頁