平成24年3月修了者
 
 川中真沙朱  国税通則法65条4項に規定される「正当な理由」に関する一考察
           −「正当な理由」の適用範囲の妥当性ー

論文要旨(原本 久留米大学御井図書館蔵)

 本論文は、納税申告において税額を過少に申告した場合に過少税額に対して10%の税率で課される過少申告加算税において、それを免除する「正当な理由」について、考察するものである。「正当な理由」の文言は抽象的であり、解釈で明確にされるべきであるが、必ずしも定着した解釈がなく、税務行政庁の極めて限定的な解釈が通用している。本論文は、現行の限定的解釈に疑問をもち、「正当な理由」を理論的に検討してその範囲を確定しようとするものである。
 加算税制度の沿革をたどると、加算税制度の前身である追徴税制度が、戦後の混乱期に申告納税制度導入したことによる混乱と、当時の財政破綻による税収の確保の要請とから、行政優先の罰則的制度であったことを明らかにする。それに対して、現行の加算税制度は、申告納税制度の定着と納税者間の公平を目的とする、行政上の措置として設けられている。
 多くの加算税制度に関する学説は、このような加算税制度の性質について着目していない。現行の加算税が罰則的性質を有しない行政上の措置であるが故に、課税要件として責任要素である故意・過失を定めるものではなく、過少申告加算税は、過少申告の事実により課される。
 しかし、一方で無過失な納税者を救済するために、無過失を推定させる事実がある場合を「正当な理由があると認められるものがある場合」として、非課税としているのである。すなわち、無責任自体を認定するのではなく、無責任と認められるものすなわち事実を認定する法律構成をとっている。この結果、「正当な理由」とは、納税者としての注意義務違反がない無過失を意味し、非課税要件としては、その無過失を推定させる事実があると認められる場合としているのである。
 この論理は、最高裁判決とも整合するものであり、現行の不可抗力に限定するような解釈を否とし、通常の納税者が払うべき注意をしても、過少申告とならざるを得なかった場合には、正当な理由があると解すべきであるとの結論に導く。




 中川宏    相続税法におけるみなし相続財産に関する一考察
          −長崎年金二重課税訴訟における年金受給権の検討を中心にー

論文要旨(原本 久留米大学御井図書館蔵)

 従来、生命保険加入者の死亡により、保険契約により相続人に支給される年金については、年金受給権が相続財産とみなされて相続税の課税対象となり、一方、年金受給権にもとづき毎年支給される年金については、毎年の相続人の雑所得として所得税が課税されていた。これが、相続税と所得税の二重課税を禁止している所得税法の規定に違反しているとして争われたのが、長崎年金二重課税訴訟である。これについては、一審判決はこれを二重課税として国敗訴、二審判決は二重課税に該当しないとして原告敗訴となり、上告されていた。平成22年7月6日に最高裁は、年金支給額の内現在価値に相当する部分は相続税の課税対象となり、所得税の課税対象とならないとする判決をした。この最高裁判決は、生命保険年金の課税方式を大幅に変更するものであり、政府もこの判決に従って法令改正を行うとともに、従来の課税方式で不利益を受けた納税者について、更正の請求を認める等の措置をとったため、実務に甚大な影響を与えることとなった。
 本論文は、この最高裁判決の論理を検証し、生命保険年金の法的性格を踏まえて、最高裁判決と異なる結論に至っている。現在、「保険金」は、相続税法3条1項1号により相続財産とみなすことが定められている。この保険金に将来受給する年金を含めるか否かについては、定かでない。この規定が定められた当時、生命保険契約による年金自体が存在しなかったことも、それが明確に定められなかった原因であろう。そして、年金が「保険金」に含まれているとするのは、国税庁の通達である。そして、保険金として看做された年金受給権については、相続税法の定期金債権の評価により評価することと通達に定めている。しかし、一般の定期金債権と年金受給権とは同一ではない。
 一方、所得税の分野では、毎年に支給される年金について、所得税法施行令により所得の計算方法と、支給に当たっての源泉徴収が定められている。すなわち、所得税法においては、支給される全額を雑所得の総収入金額に算入されるものとしてさだめられている。
 本論文の結論は、所得税法および相続税法の法律構成と、年金受給権の法的性質から、年金受給権は相続税法3条1項1号の「保険金」に含まれないと解すべきとする。従来の二重課税は違法であるが、最高裁の一部相続税、一部所得税を課税するとの解釈ではなく、相続税を課税すべきではなく、全て所得税を課税すべきである。




 原田義弘   税法における人格のない社団等と民法上の組合に関する一考察
           −民法上の組合を人格のない社団等として課税できるかー 

論文要旨(原本 久留米大学御井図書館蔵 久留米大学法学67号掲載予定)

 本論文は、現行法の下で、法人格を有しない民法上の組合に対して、法人税を課すことの可能性について考察するものである。組合の事業に関しては、その利益、損失は組合員のものとされ、そのパススルー性を利用して、組合員の租税回避に利用される面がある。このことから、組合に対して事業体課税を行うべきとの立法論が唱えられている。しかし、人格のない社団等は法人とみなす旨の規定が、所得税法、法人税法に規定されている。そうであれば、民法上の組合に対しても法人税を課税する余地があると考えられる。しかし、国税庁の通達は、民法上の組合は人格なき社団等に該当しないと定めている。はたして、それは妥当であるのかという観点から考察したものである。
 まず、人格のない社団の概念は、民事上の権利能力なき社団と同一に解すべきとの通説に従い、民事上の理論において、民法上の組合を人格のない社団と見る余地がないかを検討する。これは社団と組合の区別に関する理論であり、それを詳細に検討した結果、社団は広い意味での組合であり、社団の中で団体性が強く法定の要件を備えたものが法人であり、団体性は強いが法定の要件を充たさないものが権利能力なき社団であり、民法667条の出資を伴う組合も社団の一部であり、権利能力なき社団すなわち人格のない社団になり得るとの結論を得た。
 この結論は、従来の組合に訴訟当事者能力を認める最高裁判例、組合と組合員間で雇用契約類似の契約を認めるかのような最高裁判決とも整合するものである。




 深川優    租税回避の否認における契約の法的性質決定に関する一考察
           −今村・中里理論と判例を素材としてー


論文要旨(原本 久留米大学御井図書館蔵)

 本論文は、租税回避否認の新しい手法として提唱された、今村教授の「私法上の法律構成による否認」論と中里教授の「取引単位の拡大による否認」論について、研究するものである。今村説については多くの反論があり、最終的には判例も採用するに至らなかったのであるが、本論文はその学問的意義について一定の評価をするものとなっている。
 従来の租税回避否認の議論としては、経済的実質主義と法的実質主義の両説が対立するものであった。すなわち、課税実務で承認されていた実質課税の考えから、私法上の法律関係とは別に、経済的に課税要件を充足する実質があれば、その実質に従って課税することができるとするのが経済的実質主義である。しかし、私法上の法律関係では課税要件を充足していない場合には、課税要件を充たしたと同様の経済的実質があるとしても、課税することができないとする法的実質主義の考えが一般的となった。これを課税する場合には法律の根拠を要するとする。その結果、国税庁の執行自体は経済的実質主義を放棄したわけではないが、訴訟において経済的実質主義が認められる例はきわめて少なくなった。
 そこで当時の税務訴訟の国側の責任者であった今村教授が提唱したのが、「私法上の法律構成による否認」の考え方である。この考えは、租税回避の目的が契約の法的性質に影響するのであるから、契約解釈に当たり租税回避の目的が影響を与えるとの解釈理論である。すなわち、売買契約の形態をとっているが、その本質は融資契約と解することが可能と考えるのである。
 中里教授は、「取引単位の拡大による否認」の可能性を説くが、これも複数契約を個々に判断するのではなく、それを総合的に捉えて解釈すべきとするものと考え、契約解釈として問題を捉えるものである。
 今村説に対する多くの見解は、租税回避目的を否認に結び付けることは不当とする否定的なものが多数と思われる。
 しかし、今村理論は、従来の法的実質主義の議論が、契約等の法律行為により形成された法律関係を問題としていたことに対して、その法律関係を形成する法律行為自体を問題とする点で極めて斬新であり、租税回避の否認論を一歩前進させた理論といえる。
 そして、この理論を正当に適用するならば、法的実質主義に反することなく否認する可能性が残されているとする。中里教授の見解も同様に適用可能とする。




 柳瀬智徳  税法における住所の解釈方法
          −租税回避目的と住所の関係を中心にー

論文要旨(原本 久留米大学御井図書館蔵)

 本論文は、税法上における住所の認定について、租税回避目的を主観的要素として考慮すべきか否かについて考察するものである。住所が国内にあるか否かは、課税上重大な影響を及ぼすものであり、所得税法および相続税法における住所の解釈を確定することは税法の適用における基礎的問題である。
 この問題については、1300億円の課税処分を取り消した平成23年の最高裁判決があり、租税回避目的を考慮することなく客観的事実に基づいて判断すべきとの判断を示した。しかし、主観的要素を排除する見解は、民法の住所の解釈とは異なるものであり、税法の住所と民法の住所の解釈は同一であるべきとの定説に反するものと受け止められている。
 税法上の住所の意義は、民法の住所の借用概念であり、税法上の住所は民法上の住所と同義であると解されている。民法上の住所の意義は、生活の本拠であると解されており、税法上もそのように解されている。生活の本拠の意義については、その者の意思によるとする主観主義と、客観的事実によるとする客観主義の二つの見解があるが、現在は客観主義の見解が定説である。ただし、客観主義の見解においても本人の意思は客観要素の一部を成すとの見解が有力である。23年最高裁判決が租税回避目的を住所判定の要素から除外したことは、民法の住所の意義と税法の住所の意義を異なるものと解するものとの疑問もある。
 本論文は、住所判定の主観的要素を考察し、民法上の客観主義による場合の主観的要素とは、居住の意思であるとし、租税回避の目的は居住の意思ではなく、居住の意思を有するに至る動機であるとする。したがって、租税回避の目的で住所を変更したとしても、変更した場所を生活の本拠とする意思は認められるのであり、租税回避の目的はむしろ居住の意思を強く推測させるものとなる。その点で、最高裁判決は、民法理論とかい離することはないことを明らかにする。




 横山紫乃  所得税法56条の存在意義に関する一考察

論文要旨(原本 久留米大学御井図書館蔵)

 本論文は、所得税法56条の射程を探るべく、所得税法56条について争われた判決例を中心とした検討を行い、その現代的存在意義を問い直すものである。
 所得税法56条は、世帯単位課税から個人単位課税へ移行するにあたり、シャウプ勧告が指摘するように「要領の良い納税者」の逃げ道封じのために設けられた規定である。その当時、夫婦がそれぞれ独立した事業主体として所得を有する今日的状況は想定されていなかった。現在における所得税法56条の解釈について、そのことを踏まえた解釈が必要である。
 所得税法56条の構成は、支払の対象者が@「居住者と生計を一にする配偶者その他の親族」であること、その対価の支払の事由がA「居住者の営む不動産所得、事業所得または山林所得を生ずべき事業に従事したことその他の事由により当該事業から対価の支払いを受ける場合」の2要件を充足する場合に適用される。
 従来、所得税法56条は、生計を一にするか否かを中心に論じられてきたが、平成15年7月16日東京地裁判決は、従事したことその他の事由を問題として、56条の適用を否定した。本判決は控訴審で否定されるのであるが、従事したことその他の事由を問題としたことは、56条解釈について新局面を開いたといえる。そのような視点で56条の解釈を考えると、「要領の良い納税者」の逃げ道封じのために設けられた規定であるとの立法趣旨を考慮すべきである。
 さらに、所得税法57条は、事業に専従する親族に対する報酬に限り、所得税法56条に置き換わっている。このことから、所得税法56条は、対価の支払いの適正性を認定できない場合に、適用されるべきものと解される。
 所得税法56条については、これまで適用の有無や廃止もしくは法改正を含め、数多くの議論がなされてきた。立法当時とは違って社会構造やあ家族のあり方が著しい変化を遂げた今日、所得税法56条について、本来の立法趣旨をも超えた解釈を画一的に踏襲するのではなく、時代の潮流に即した解釈や適用が行われるべきである。




 米村佳展  青色申告取消益は逋脱税額に含まれるか

論文要旨(原本 久留米大学御井図書館蔵)

 本論文は、脱税犯に刑事罰が科される場合に、量刑に影響を与える逋脱税額の算定に関する問題をテーマとするものである。現在、逋脱税額の算定について、納税者が売上除外等の不正行為をして所得を隠ぺいした場合、脱漏税額は、その隠ぺいした所得に係る税額のみでなく、青色申告取消益すなわちその不正行為によって後に青色申告が取り消されたことによって増加する所得に対する税額も含まれると解釈されている。この青色申告取消益を脱漏税額に含めるか否かについては、積極、消極の両説があったが、昭和49年の最高裁判決が積極説をとったことから、実務的には積極説で定着し、これに対する論争も結論が出たとして治まっている。
 しかし、本論文は、この結論に対して憲法39条の遡及処罰の禁止との関係で問題があるのではないかとの疑問を動機として、この問題を検討するものである。
 その内容は、逋脱犯の構成要件要素である「行為」、「結果」、「因果関係」、「故意」を現在の刑事法理論に基づいて詳細に検討し、それらの全ての要素において青色申告取消益を逋脱税額に含める根拠がないことを論証している。特に因果関係の検討においては、従来の相当因果関係における予測可能性の基準ではなく、現在刑事法学における有力説である危険の現実化の基準によれば、因果関係を認定することは困難であるとする。
 以上により、青色申告取消益は、逋脱犯の逋脱税額に含むと解すべきではないとする。


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