平成28年2月2日
                                 図 子 善 信
               
軽減税率の役割


はじめに

 平成29年4月から消費税率が10%に引き上げられ、外食を除く食料品と宅配の新聞について軽減税率として8%が維持される方針である。この軽減税率の導入について、財務省はじめ、多くの論者が反対であるとし、軽減税率の制度を評価する意見は少なかった。1月26日の日経新聞朝刊の経済教室「軽減税率を考える(上)」において、橘木俊詔京都女子大客員教授が「逆進性緩和に一定の効果」の表題で、軽減税率は逆進性解消に有効であるとしたのが、新鮮に見えたのである。しかし、1月27日の日経新聞朝刊の「軽減税率を考える(下)」においては、加藤淳子東京大学教授が「所得分配の平等に逆行」と軽減税率制度に反対する意見を述べている。また、1月28日の日経新聞の朝刊には、軽減税率について、日本税理士会連合会常務理事の上西左大信氏が、税制を複雑にするとの反対意見、チェーンストア協会会長の清水信宏氏の2%程度の軽減では消費の下支えとはならないとの反対意見が述べられている。
 軽減税率には逆進性を緩和する効果があり望ましい制度であることは、昨年の11月に本ホームページにアップした「消費税軽減税率」の「軽減税率の利点」で述べているのであるが、加藤教授の見解に触発されて、再度この文章をアップすることとした。

1 高額所得者有利の見解

 加藤教授の見解の趣旨は、軽減税率制度は弱者(低所得者のことと考える。)の保護とはならず、高所得者に有利で低所得者に不利な制度であるとする。その理由は、食料品は高所得者も消費するものであり、高額所得者の方が食料品の消費額も大きいから、軽減税率のメリットも高額所得者の方が大きいとするものである。財務省も同様の論法で軽減税率が高所得者有利の制度であると宣伝していた。
 財務省の主張は、軽減税率を設けず税収を確保したいという当然の理由から、軽減税率制度に反対する反対のための論理である。同時に、複数税率を導入することによる利害関係団体からの軽減要求を嫌ったものである。財務省は、大蔵省時代から利害関係団体の要求による政治折衝に巻き込まれることを嫌い、複数税率に一貫して反対してきたからである。財務省の反対のための反対は納得できるが、その他の識者の反対の論理は、納得できるものではない。

2 逆進性緩和の効果

 軽減税率の8%が高額所得者に有利な制度であるとすれば、現行の消費税8%の制度も低所得者に不利で高所得者に有利な制度で不合理な許されない制度ということになる。確かに、消費税は所得に対して逆進的であり、そのことは低所得者の貯蓄率が低い状況の下では消費税の持つ当然の性質である。その逆進性は、税率が高くなるほど強くなるのは当然である。消費税を10%に引き上げる際に食料品を8%に止めておくことが、消費税率を一律10%に引き上げるより逆進性を緩和する効果を有することは自明のことである。
 消費税には所得に対する逆進性があること、言い換えれば消費税は高所得者に有利な制度であることを承認している制度であり、それを前提としない論理は消費税の論理にならないのである。

3 定額給付又は給付付き税額控除

 また、多くの論者は、軽減税率に代わる低所得者保護策として、定額給付又は給付付き税額控除が優れているとする。しかし、高所得者にも低所得者と同一の定額給付をすることを、軽減税率より望ましいと国民が考えるであろうか。税として収納しながら、一定額を高額者も含めて給付するという制度は、税制として欠陥があるものといえよう。また、高額所得者に一定額の給付を行うことは、社会保障の観点からも理由づけに欠けるものとなろう。
 所得税の給付付き税額控除についても定額給付と同様の問題があるが、税制全体の中で処理しようとする点で、定額給付より優れているといえる。しかし、所得税の税額控除であれば、所得税の申告が必要である。わが国では国民の多くが所得税の申告をしていない。給与所得者については、源泉徴収義務者が税額控除の計算をするとしても、その他の申告をしていない人々に対する税額控除をどのようにするかは問題である。結局、地方公共団体がその事務を負うことになると思われるが、それにより対象者を漏れなく把握できるかは疑問である。住所不定のホームレスにも給付付き税額控除が適用できるであろうか。軽減税率であれば、軽減の恩恵はホームレスにも及ぶのである。

4 低所得者給付

 一定の所得以下のものに給付又は給付付き税額控除を行う方法については、その所得額の把握が問題となる。給付付き税額控除について、所得の把握が問題であるからできないとの見解につき、加藤淳子教授は、所得の補足が問題で給付をやめるなら所得税も諦めるべきであるとする。しかし、給付の基礎にできるかの問題と所得税の問題は別問題であろう。
 消費税自体が、9・6・4クロヨンまたは10・5・3・1トウゴウサンピンといわれた所得税の業態別の所得把握の不均衡を、消費税という水平的に公平な税を導入することにより、税制全体としての公平を確保しようとして導入されたものである。現在、所得把握の不公平は若干改善されていると考えるが、解消しているわけではない。完全に是正されてはいない所得税の不備を基礎として一定の給付を行うことは所得税の不備を拡張したのと同様の結果となろう。しかし、不完全であるとしても、低所得者に対する給付付き税額控除ができないわけではない。
 ただし、低額所得者に対する給付については、国民感情として抵抗があると考える。それは、低所得者もプライドがあり、低所得者として給付を受けることを嬉しく思わない人もいるからである。給付を受ける人、すなわち低所得者と特定されることを一般の人々は好まない。軽減税率で高額所得者も低額所得者も同様に扱われることにより、結果的に逆進性を緩和することは、消費者感情として納得できるものである。問題が指摘されつつもEUで軽減税率の制度が定着している理由は、そのような消費者の意識に適合しているからと思われる。

5 事務手続き

 軽減税率反対論の一つに、事務手続きが複雑となり納税コストが高くなるとの見解がある。しかし、軽減税率を導入することによりどのような事務コストがかかるのであろうか。確かに、軽減税率対象か否かの判断は必要となってくるが、その区別がつけば、その後の事務手続が大幅に複雑になるとは思えない。多くは8%のキーを押すか10%のキーを押すかで足りると考える。そのためのプログラムの変更が、それほど複雑であるとは考えられない。事務手続きを変更するのに何らかのコストは必要であろうが、それを誇張するのも反対のための反対論に過ぎない。

6 EUの実績

 多くの反対論者が根拠とする、EUの課税当局やOECDが複数税率を良しとしない理由が何であるかは、その詳細を知らない。しかし、どのような制度であってもその執行について問題のない税制は無い。所得税も法人税もその租税回避、特に国際的租税回避の問題がある。消費税について、軽減税率適用取引か否かの問題があることは当然である。また、軽減税率を利用した脱税が広がっているのかもしれない。しかし、EUの付加価値税が導入されて50年が経過し、当初から設けられた複数税率に多くの国民がなじみ、付加価値税が税収の多くの部分を担っていることも事実である。もし、その制度が不合理であるとの見方が国民の一般的意見であれば、それが改正されているはずである。反対論者が述べる、一部の利権者のごり押しでその制度が維持されていると考えることは、それらの国の国民を愚弄するものといえよう。複数税率が問題を抱えながらも50年以上にわたり定着していることを無視するべきではない。
 給付付き税額控除が円滑に機能する国もあると思われるが、理想的な制度はややもすると実施可能性に問題があるのである。税制は、論理だけではなく国民の意識を反映するものでなければならず、国民が疑念を抱く制度を導入することはできない。

7 分類表の必要

  軽減税率対象取引の判定に困難な面はあるが、それは税の執行に常に付きまとう問題であり、納税義務者及び課税当局、税理士、税法学者、裁判所等で今後整理されてゆく問題である。まず、財務省で法律、政省令により判定困難な取引を区分する基準を定めるべきである。その後、国税庁が食料品業界等と協議しつつ、より具体的で詳細な分類表を作成すべきと考える。それでも、区分の問題が発生することは想定され、場合によっては訴訟により解決され、それが区分の基準となることもあるであろう。軽減税率の適正な運営は、税務行政の通常の執行において形成することができる。