平成27年11月5日
軽減税率の利点
                         久留米大学名誉教授 図子善信
 
本論説の要旨
○ 消費税の軽減税率は消費税の逆進性を緩和し、低所得者に優しい制度である。
○ 軽減税率対象取引の区別は、EUのように財務省、国税庁が詳細な分類表を作るべき。
○ EU型のインボイスは不必要。わが国の消費税とEUの付加価値税は異なる税である。
○ 取引の区分は現行の請求書等の一部修正で足り、事業者の負担はほとんどない。
○ 益税と呼ばれるものが増えることはない。

1 本論の趣旨
 2017年4月に消費税が10%に増税されるが、その際に軽減税率を導入することが政府・与党で決まりつつある。消費税には所得に対して逆進性があり、軽減税率を導入しないで現行の8%の税率を10%に上げた場合、低所得層の負担が大きいと考えられるからである。軽減税率とは、生活必需品等の低所得者も消費せざるを得ないものの税率を低くすることであり、そうすれば低所得者の負担が軽くて済むと考えられる。経済的な理論はともかく、誰でも直感的にわかることであろう。国民の支持が多いのはその解りやすさにある。
 しかし、軽減税率の導入に対しては反対意見も多い。その中には消費税制度を誤解させると思える意見もある。現在、消費税は主要税目の中でも最大の全税収の30%を占める17兆円の税収を挙げている基幹税であり、消費税制度に対するマイナスの誤解は、税制に対する不信から国民の嫌税感を高め、ひいては財政再建に対する意識を低下させることになると考える。私は、消費税の逆進性を緩和するためには軽減税率の導入が望ましいとかねてから考えていたので、軽減税率は一定の範囲で逆進性を緩和させる効果があり、消費税制度として健全な制度であることを明らかにしたい。
 なお、軽減税率とは、EUの付加価値税の軽減税率のように、一定の取引の税率を標準税率より低い税率とする制度であり、2017年の導入では標準税率10%、軽減税率8%が考えられており、これを想定して説明する。

2 軽減税率反対説
 自民党・財務省・税理士会その他の軽減税率に反対する人々の挙げる反対の理由は次のようなものである。税収が減少する、低所得者対策にならない、取引対象の区別が困難、インボイス制度が不可欠でありそれに伴う事業者の負担大、益税が多発する等である。以下、それが根拠のないこと又は対応が可能であることを説明する。これらの理由は、軽減税率に反対するための論理であり、現在のわが国の消費税制度を十分に理解した論理とは言えないと考える。

3 税収減少説
 軽減税率を導入した場合には、軽減税率適用部分について標準税率を適用した場合より税収が減少する。現在の酒類を除く食料品を軽減税率の対象とした場合は、1兆3千億円の減収になると試算されている。財政再建を重視し、税収の確保を図る財務省がこれを主張することは納得ができる。しかし、これを軽減税率の欠点とするわけにはゆかないであろう。
 軽減税率はその部分で税収を上げないようにすることが目的であり、それによって逆進性を緩和しようとするものだからである。
 なお、EUの場合、標準税率が20%で軽減税率が10%という例が多く、10%の消費税に軽減税率を導入する必要があるか否かは議論の余地がある。

4 低所得者対策疑問説
 多くの有識者が、軽減税率は低所得者対策にならないとする。なぜなら、食料品を軽減税率の対象とした場合、食料品は高額所得者も消費するものであり、低所得者よりも消費金額が大きいであろうから、軽減税率のメリットは低所得者より高所得者が多く享受するというものである。中高所得者もメリットを受けるので、軽減税率の支持者が多いのであろうとも考えられている。しかし、自分のメリットより常識的に、低所得者に優しい制度と感じているのではないだろうか。
 軽減税率のメリットは高所得者に大きいということはその通りである。それは消費税が逆進的であるという消費税制度自体の性質であり、軽減税率の欠点ではない。軽減税率の適用される食料品については、高所得者は高価な食料品を消費するから軽減メリットは低所得者より多いだろうが、軽減税率は標準税率と対比して軽減税率というのである。食料品以外の消費は標準税率が適用され、それらについては低所得者の消費は少なく、高所得者の消費は多いのであり、消費税制度全体として高所得者の負担が低所得者の負担より多くなるのである。
 仮の例で説明すれば次のとおりである。
低所得者Aの所得を300万円とし、300万円を食料品に消費したとする。
高所得者Bの所得を3000万円とし、食料品に900万円、その他に2100万円消費したとする。食料品は消費額に限界があるが、高所得者は低所得者の3倍の価額のものを消費したと仮定する。
この場合
Aの負担した消費税は、300万円×8/108=22.2万円である。
所得に対しては7.4%である。
軽減税率がないとすれば、300万円×10/110=17.2万円であり、軽減税率のメリットは5万円である。

Bの負担した消費税は、900万円×8/108=66.6万円である。
軽減税率がないとすれば、900×10/110=81.8万円であり、軽減税率のメリットは15.2万円である。
 軽減税率のメリットは、高所得者であるAが大きいのは明らかである。
しかし、Bは2100万円を食料品以外に消費しているのであり、その消費税額は
2100万円×10/110=190.9万円である。
軽減税率導入後のBの負担する消費税は66.6万円+190.9万円=257.5万円であり所得に対した8.5%である。

軽減税率導入前で一律8%の税率であったとすると、Bの消費税額は222.2万円であり7.4%である。
消費税は比例税率であるので、単一税率であれば消費に対して低所得者も高所得者も負担率は同じである。消費税が逆進的とされるのは、高所得者は所得のすべてを消費せず貯蓄すること、またその率が低所得者より高いということを前提としている。

 既に見たように、軽減税率を適用すれば、高所得者の所得に対する負担率8.5%が低所得者の負担率7.4%より高くなることは当然である。もちろんBが食料品以外の消費を1000万円しか消費しなかった場合は、その消費税額は90.9万円となり合計消費税額は157.5万円となる。この場合の所得に対する率は5.2%であり、Aの7.4%より低くなり所得に対して逆進的といえるであろう。しかし、10%の標準税率が導入されない場合は、1900万円の消費に対する消費税額は、140.7万円であり、所得に対する比率は4.6%である。
軽減税率適用前の逆進性は、A 7.4% 対 B 4.6%であったのが、
軽減税率適用後は     A 7.4% 対 B 5.2%となる。
逆進性は緩和されているのである。

 軽減税率の導入が消費税の所得に対する逆進性を緩和することは以上のとおりである。もちろん以上の計算は仮定の計算であるが、食料品の消費額には一定の限度があることを前提にすると軽減税率が逆進性を緩和することは当然のことである。
 軽減税率の導入は、食料品については現状を維持し、それ以外の消費を増税するものであり、食料品の軽減税率が高額所得者に有利であると主張することは、現状の消費税が高額所得者にメリットがあると言っているのと同じであり、単に消費税には逆進性があるという当然のことを繰り返しているに過ぎない。軽減税率制度は標準税率の導入を前提とするものであり、標準税率の増税を無視した議論は無意味である。

5 対象取引の区別の困難
 軽減税率を適用する場合、軽減税率の対象となる取引か、標準税率が適用される取引かの区別が困難であることから、軽減税率を導入すべきでないとの見解がある。軽減税率の適用対象を現在検討されているような酒類を除く食料品とした場合、食料品であるか否かは納税者である事業者が判断する必要がある。食用にもなるが他の薬用、装飾用、肥料等になるものについては、その区別が困難となるであろう。EUの付加価値税について複数税率が好ましくないと評価されているのも、この困難さが原因であると考える。確かにその区別の困難さはあるが、そのような困難さは税制には常に存在するものである。所得税、法人税においてもある収入が売り上げとなるか否か、ある支出が経費となるか否かは常に問題となり、税務調査において納税者と課税当局が争うところである。ポテトチップスは標準税率でビスケットは軽減税率というような、滑稽と思える区分が軽減税率反対意見で紹介されることがあるが、税の執行の見地からは滑稽でもなんでもなく多くの業者や税務関係者の納得のゆく区分となっているのである。そのような一見奇妙な区分や最高裁まで争われる区分があるのは否定できないが、それらは無数の取引の中でのほんの一部に過ぎない。そのような問題は軽減税率に限らず税の執行面では常に発生する経常的な問題である。EUの研究では好ましくないとされながら、EUにおいて食料品に限らず生活に身近な取引の多くが軽減税率の対象とされ50年近く運用されているのは、軽減税率が一定の合理性を有している証拠である。
 また、取引の区分の困難さについて、消費税導入前に存在した物品税について、課税物品か否かの区分が困難であったことから、物品税を廃止して消費税を導入したとする見解もある。
 しかし、この見解は明らかに誤りである。物品税が廃止されたのは消費税が導入されたからであり、限定された物に対する課税から益々重要となってきたサービスも含めた消費税が今後の税制として必要と考えられたからである。物品税の区分の困難が理由で消費税に代わったわけではない。
 私は、かつて名古屋国税局で物品税を所管する間税部長を務めたことがあるが、物品税課税の執行は極めて円滑であり、たまに課税非課税の判定で争われることがあったが、通常の争訟手続きで処理される経常の事務であった。ちなみに物品税についてはほとんど課税漏れがなく、詳細は失念したが税収が5000億円とすると調査により発見した税額は多くて数百万程度であったとおもう。所得税、法人税の課税漏れ比率と比較すると格段に少ないものであった。
 税の執行面では物品税の執行は極めて円滑であったが、その理由は物品税の納税者が自動車メーカー、電気メーカー等の大企業が多かったことにある。しかし、それだけに経済界では実力があり、物品税の減税、非課税扱い等について財務省に様々な圧力を加えたことは想定される。当時の大蔵省主税局の担当者はそのような圧力を加えられることを理不尽に感じ、消費税導入についても当初から単一税率を厳守する姿勢であった。しかし、消費税導入前の政治家の行動様式と今日の政治家の行動様式には変化があるのではないであろうか。業界からの軽減税率適用への圧力はあるであろうが、それに対して国会議員が不当な圧力をかけることはないのではなかろうか。そのような業界の意見は税制構築の観点から政治的判断も必要とされる場合があると思われるが、それを回避するために軽減税率に反対することは、本末転倒であろう。現在財務省が軽減税率に反対しているのは、自分の仕事を増やしたくないためとは考えないが、大蔵省には、かつてその観点から軽減税率を嫌う人がいたことも事実である。
 EUでは軽減税率の適用について、統合分類表という詳細な取引の区分の表が作成されている。関税定率表がその元になっているのではないかと考えるが、軽減税率の導入には規則又は国税庁の通達によりその区分を明確にして公表する必要がある。その区分表を作成するためには、その業界の意見も取り入れ透明で合理的に作成すべきである。

6 インボイス導入の困難
 軽減税率を導入するにはインボイス(税額票)が不可欠であるが、わが国の経済取引ではインボイスを交付する慣行がないので、インボイスを導入するのは困難であり、したがって軽減税率を導入するのは困難であるとするのが、軽減税率反対の大きい理由とされている。
 インボイスとは仕送状であり、わが国の取引では納品書又は領収書に相当するものである。EUの付加価値税のインボイスには、事業者の登録番号、名称と住所、取引相手の名称と住所、税抜き価額と総額、税率、付加価値税額が記載されることとされている。EUでは、付加価値税の仕入税額控除の控除税額を仕入れの時に受け取ったインボイスの付加価値税額の合計額としている。インボイスがあるため、軽減税率を適用した金額であるか、標準税額を適用した金額が明確に表示されているため、仕入控除税額が明確である。したがって、複数税率を導入する場合、インボイス制度を導入すべきであるとする見解は合理的である。
 しかし、複数税率を導入する場合、インボイス制度が不可欠であるか否かは検討を要する。
わが国の消費税は、当初からインボイス制度を採用しておらず、EUの付加価値税とは基本的な仕組みが異なると考えられるからである。
 EUの付加価値税は、インボイスを重視し、インボイスを中心に制度を整えていると考えられる。付加価値税の計算は、自分の発行したインボイスに記載された付加価値税額から自分が受け取ったインボイスに記載された付加価値税額を控除して算出する。税額計算は個々のインボイスによって行われるのが建前である。
 一方、わが国の消費税は、課税期間の課税売上の合計額に8/108を乗じて消費税額を計算し、その消費税額から課税期間の課税仕入れの合計額に8/108を乗じた仕入税額を控除して計算する。課税仕入れを控除するには課税仕入れに係る帳簿及び請求書等の保存を必要とするが、帳簿及び請求書には消費税額を記載する必要はない。法律的には仕入れが証明されたとしも、帳簿及び請求書の保存がなければ仕入税額控除が認められないのであるが、現実には帳簿及び請求書等は仕入れを証明する役割を果たしているにすぎない。
 仮に食料品に軽減税率が導入され、インボイスが同時に導入されると軽減税率の仕入税額は軽減税率のインボイスの消費税の合計額となり、標準税率の仕入税額は標準税率のインボイスの消費税額の合計額となり、複数税率の仕入税額が明確になると思われる。インボイスが導入されずに現在の帳簿方式が継続されるとすると、仕入側は、軽減税率の仕入額の総額から仕入税額を算出し、標準税率の仕入額の総額から標準税率の仕入税額を算出し、その合計が仕入税額として控除されることになる。すなわち、仕入について食料品の仕入かそれ以外の仕入かを区分する必要がある。売り上げについても区分する必要があるが、その区分はインボイスと関係なく区分する必要がある。発行するインボイスについては発行する者が区分する必要があるからである。そして、その区分ができれば、インボイスがなかったとしても仕入税額控除の計算は可能である。
 すなわち、わが国の消費税制度の下ではインボイスを導入しなくても、取引の区分ができれば税額控除の計算は可能である。
 また、わが国でEU式のインボイスを中心とした制度とするためには、現行の消費税制度を大きく変更する必要がある。例えば、現在の制度では事業者でない個人からの仕入、免税事業者からの仕入については、消費税を課されていないのであるがこれも課税仕入れとしてその8/108は仕入税額として控除することができる。しかし、インボイス制度を導入すると個人及び免税事業者は消費税が課されないのでインボイスを発行することはできない。インボイス制度を導入することは、これらの仕入について仕入税額控除を認めないことになるが、妥当であろうか。
 また、現在は課税売上に対応する課税仕入れを税額控除するのであるが、課税売上割合が95%以上であれば仕入れの全額を課税仕入れとする制度となっている。この制度はインボイスを前提としない帳簿方式を前提とした制度であるが、この制度は廃止するのであろうか。さらに簡易課税制度もインボイス制度をとっていないがゆえに合理性を有するといえる。このように、EU式のインボイス制度を導入すれば、現在の消費税制度の多くの重要な部分の改正が必要となると考える。
 以上の点から、わが国で軽減税率を導入したとしてもEU式のインボイスを導入する必要はないと考える。その場合、現行の請求書等に軽減税率適用取引か否かを表示すれば足りるであろう。その表示は、仕入れた事業者に軽減税率適用であることを示し、軽減税率適用仕入か否かの区分の便宜になるからである。事業者の事務負担が膨大に増えることは考えられない。これはEU型のインボイスを導入する場合でも同様であり、現在発行している領収書を一部変更すれば足りることである。事業者の事務量が膨大に増えると主張しているのは、軽減税率に反対する口実に過ぎないと考える。
7 益税の多発
 軽減税率を導入すると益税が多発して、不当に事業者を利することになるとの反対意見もあるようである。
 それは8%の軽減税率で仕入れたしいれを10%で仕入れたことにして仕入税額控除をするという例のようである。これは明らかな脱税であり、益税と呼ぶべきものではない。このような操作は課税売上を非課税売り上げと仮装する場合と同様であり、軽減税率の問題ではない。
 一般に益税と言われているものは、免税事業者が消費税分を受け取りながら納付しないこと、簡易課税で消費税額の80%を控除しているが現実には仕入税額は80%より低いというような場合である。しかし、これらの例で消費者が支払った金額は税ではない。消費者から受け取る金額は消費税分を含めて商品又はサービスの代金であり、税金ではない。商品の価額をいくらにするかは事業者の判断である。もし事業者が税負担分を転嫁するのが消費税法の想定する価格であるとすれば、免税事業者は消費税分を安く販売できるのであり、簡易課税で税負担が8%相当にならないのであれば、簡易課税事業者はその分安く価格設定できるのである。消費者は、事業者の価格競争の中から選択して購買するものである。
 軽減税率によって益税の不合理が広がるということはありえない。