平成24年9月 久留米大学法学67号
税法と遡及立法 (租税判例研究 最高裁平成23年9月22日第一小法廷判決)

                            久留米大学法学67号
 税法と遡及立法(租税判例研究)
  平成23年9月22日最高裁第一小法廷判決 平成21年(行ツ)第73号
                              図 子 善 信
目次
はじめに
1 税法改正の概要
(1) 改正前の措置法31条
(2) 措置法31条の改正
(3) 改正法の適用時期
2 本件事案の内容
(1) 事実の概要
(2) 本件事案の争点
(3) 各審判決
3 判決の検討
(1) 一審判決
(2) 二審判決
(3) 本最判
4 憲法84条と遡及立法
(1) 憲法84条と法的安定性
(2) 憲法84条と予測可能性
(3) 憲法84条と税法の遡及適用
(4) 罪刑法定主義との関係
(5) 憲法29条と30条
(6) 予測可能性と立法政策
おわりに

はじめに
 憲法84条は、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と租税法律主義を定めている。
 そして、多くの税法の教科書が、憲法84条に定める租税法律主義の内容として、税法の遡及立法の禁止または遡及立法の原則禁止を挙げている。その理由は、租税法律主義は、納税者の予測可能性と法的安定性を保障するものであり、法律施行前の事実に対して課税することとなる遡及立法は、納税者の予測に反する課税を行うこととなり、許されないとするものである。
 しかし、租税法律主義とは、代表なければ課税なしとの民主的政治原理を憲法において宣明するものであり、その目的は財産権を行政の恣意的課税から保護することと考える。国民の代表者による議会で制定した法律により課税要件を明確に定めることで、行政の恣意的課税を排除することができる。同時に法律が公布されることにより、誰でもその内容を知り得る状況となるので、課税の予測が可能になる。したがって、一定の予測可能性が認められることは事実であるが、それは法律により定めることによる付随的効果であり、租税法律主義の目的とは異なると考える。予測可能性を確保する目的のためだけであれば、政令、省令等の行政立法であっても、法律と同様に官報により公布され、誰でもその内容を知り得る状況となるから、予測可能性の点からは法律と同様の効果をもつ。したがって、租税法律主義は予測可能性を保障するものではなく、国会の判断により必要であれば遡及立法をすることも可能と考える。例えば、国会が、東日本大震災の復興のため、緊急に必要と判断すれば、前年の所得に対して1%の特別税を課すという立法も可能と考える。このような考えから、筆者は租税法律主義の内容として、遡及立法の禁止を説くことはしていない(注1)。
 この遡及立法に関し、平成16年4月1日に施行された租税特別措置法31条の改正と、改正された31条を同年1月1日に遡って適用すると定める改正法附則27条の合憲性を争う事案について、平成23年9月に二つの最高裁判決(注2)が相次いで行われ、従来の通説と異なる判断を示している。両判決の内容は同一といえるので、本稿では、先の最高裁平成23年9月22日第一小法廷判決(以下、この判決を「本最判」と、この事案を「本件事案」という。)を取り上げ、その内容を検討し、併せて税法の遡及立法について考察する。

1 税法改正の概要
 平成16年の税法改正により、租税特別措置法(以下「措置法」という。)が改正され、同年4月1日に施行された。しかし、措置法31条の改正については、改正法附則27条によって平成16年1月1日から適用する旨定められた。
 措置法31条は長期譲渡所得の課税の特例を定める規定である。
(1)改正前の措置法31条
 措置法31条1項は、土地若しくは土地の上に存する権利(以下「土地等」という。)または建物及びその付属設備若しくは構築物(以下「建物等」という。)で、その年の1月1日において所有期間が5年を超えるものの譲渡をした場合には、所得税法の規定にかかわらず、他の所得と区分し、その年中の当該譲渡に係る譲渡所得の金額(以下「長期譲渡所得の金額」という。)から、長期譲渡所得の特別控除額(100万円)を控除した課税長期譲渡所得金額に対し、4,000万円まで20%、4,000万円超の場合は800万円と4,000万円を超える金額の25%の合計額の所得税を課すことを定めている。同条2項は、平成10年1月1日から平成15年12月31日までの間の譲渡については、1項の規定にかかわらず課税長期譲渡所得金額の20%を所得税の額と定めている。
 同条5項2号は、「所得税法第69条から87条までの規定については、これらの規定中『総所得金額』とあるのは、『総所得金額、長期譲渡所得の金額』とする。」と定めている。
所得税法第69条は、「総所得金額、退職所得金額又は山林所得金額を計算する場合において、不動産所得の金額、事業所得の金額、山林所得の金額又は譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額があるときは、政令で定める順序により、これを他の各種所得の金額から控除する。」と定めている。いわゆる損益通算の規定である。措置法31条5項2号の規定により、長期譲渡所得の金額は、損益通算の対象と考えられ、長期譲渡所得に損失が生じる場合には、他の各種所得の金額から控除できると解されてきた。
 平成16年当時のように地価が下落している状況では、土地等を譲渡することにより損失を生じさせ、他の所得から減算することが可能であり、この損益通算が税負担の軽減策として用いられる場合があった。
(2)措置法31条の改正
 土地等の長期譲渡所得の課税は、他の所得と区分して独立の課税標準として比例税率による分離課税されているが、損失が生じた場合に限り他の所得と総合し損益通算を認めることの非論理性と、租税回避的な特例の活用を防止する観点から、平成16年の税法改正において、この損益通算が廃止されることとなった。改正後の内容は次のとおりである。
 1項は、改正前に認められていた長期譲渡所得の特別控除額100万円を廃止し、長期譲渡所得の金額を課税長期譲渡所得の金額とし、これに対する税率を改正前より5%引き下げた15%と定めている。さらに「この場合において、長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額があるときは、同法その他所得税に関する法令の規定の適用については、当該損失の金額は生じなかったものとみなす。」との規定が追加された。
 また、3項2号について、「所得税法第69条の規定の適用については、同条第1項中「譲渡所得の金額」とあるのは「譲渡所得の金額(租税特別措置法第31条第1項(長期譲渡所得の課税の特例)に規定する譲渡による所得がないものとして計算した金額とする。)」と、「各種所得の金額」とあるのは「各種所得の金額(長期譲渡所得の金額を除く。)」とする。」と改正された。すなわち、長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失を、他の所得から控除することを廃止すると同時に、他の所得の計算上生じた損失を長期譲渡所得から控除することもできないこととなった。
(3)改正法の適用時期
 改正法(平成16年3月31日法律第14号)の附則1条は、「この法律は、平成16年4月1日から施行する。」と定めるが、附則27条は次のように規定している。
 「新租税特別措置法第31条の規定は、個人が平成16年1月1日以後に行う同条第1項に規定する土地等又は建物等の譲渡について適用し、個人が同日前に行った旧租税特別措置法第31条第1項に規定する土地等又は建物等の譲渡については、なお従前の例による。」
 すなわち、改正法は4月1日から施行されるのであるが、法律施行前であって法律未成立時が大半であった1月1日から3月31日までの間に行った譲渡についても、新しい規定が適用され、損益通算が認められないこととなったのである。
 
2 本件事案の内容
(1)事実の概要
ア 原告は、平成5年4月4日、本件土地を4,300万円で買い受け、これを平成16年1月30日、1,750万円で譲渡し同年3月1日に買受人に引き渡した。その結果、2,500万円余の譲渡損失が生じた。
イ 原告は、平成17年9月15日、給与所得、雑所得および株式等に係る譲渡所得を平成16年分の所得と記載した同年分の所得税の確定申告書を処分行政庁に提出した。
ウ 原告は、平成17年11月16日、本件譲渡損失の金額は他の所得と損益通算すべきであるとして、これに基づき税額計算した結果、還付されるべき税金136万9400円が存在するとして、更正の請求書を提出したが、処分行政庁は、原告に対し平成18年2月17日付けで、更正すべき理由がない旨の通知処分をした。
エ 原告は、本件通知処分を不服として異議申し立て、審査請求を経て本訴を提起したものである。
(2)本件事案の争点
 本件事案の争点は、本件土地の譲渡の時期が平成16年1月1日以降3月31日までの間であることから、法律施行前の事実に対して改正後の措置法31条を適用することが、租税法律主義を定める憲法84条に違反するか否かである。
 原告の主張は、次のとおりである。
 憲法84条が定める租税法律主義は、納税者の法的安定を図り、将来の予測可能性を与えることを目的としているから、本件のような期間税である所得税についても、年度途中で年度の初めに遡って適用される租税改正立法については、年度開始前に納税者が一般的にしかも十分予測できる場合に限って許され、そうでない限り、納税者の信頼を裏切る遡及立法として、憲法84条に違反する。
 被告の主張は次のとおりである。
 本件改正附則が、未だ平成16年分の所得税の納税義務が成立していない同年の途中で施行された損益通算廃止等を内容とする改正措置法を年度開始時点から適用することを定めているのは、所得税の期間税としての性質上むしろ当然のことであり、遡及立法禁止の原則に違反しない。
 また、本件改正は、損益通算廃止と税率引下げ等との一つのパッケージであり、土地市場の活性化を図るために早急な実施が必要であった。
 さらに、損益通算の廃止とそれが平成16年分以後の所得税について適用されることは、平成16年分所得税の課税期間が開始される以前からある程度国民に対し周知されていた。(3)各審判決
ア 千葉地裁平成20年5月16日判決(注3)
 本判決は、憲法84条について、次のように判示している。
「租税法規については、刑罰法規の場合と異なり、遡及立法の禁止を明文する憲法の規定は存在しないものの、租税法規について安易に遡及立法を認めることは、租税に関する一般国民の予測可能性を奪い、法的安定性をも害することになることから特段の合理性が認められない限り、原則として許されるべきではなく、このことを憲法84条は保障しているものと解される。」
 以上のように、憲法84条は遡及立法を原則禁止しているが、期間税である所得税について、納税義務の成立(暦年終了時)以前に行われた本件譲渡に改正法を適用することは、遡及立法に該当しないと次のように判示する。
「しかしながら、遡及立法が禁止の対象とする行為は、過去の事実や取引を課税要件とする新たな租税を創設し、あるいは過去の事実や取引から生じる納税義務の内容を納税者に不利益変更する行為であるところ、所得税はいわゆる期間税であり、これを納付する義務は、国税通則法15条2項1号の規定により暦年終了の時に成立し、また、その年分の納付すべき税額は、原則として所得税法120条の規定により確定申告の手続により確定するものであり、また、損益通算については、所得税法の関係規定によれば、所得税の納税義務が成立し、納付すべき税額を確定する段階において、その年間における総所得金額等を計算する際に、譲渡所得等の金額の計算上損失が生じている場合には、その金額を他の各種所得の金額から控除するという制度であり、個々の譲渡の段階において適用されるものではなく、対象となる譲渡所得の計算も、個々の譲渡の都度されるものでもなく、1暦年を単位とした期間で把握される(所得税法33条3項)ものである。そうすると、本件において、平成16年分の所得税の課税期間が開始したものの、その所得税の納税義務が成立する以前に行われた本件譲渡についても改正措置法を適用する旨を定めた本件改正附則は、厳密にいえば、遡及立法には該当しないといわざるを得ない。」
 本件のように、厳密な意味では遡及立法ではない場合について、次のとおり判示する。
「もっとも、期間税の場合であっても、納税者は、通常、その当時存在する租税法規に従って課税が行われることを信頼して各種の取引行為を行うものであるといえるから、その取引によって直ちに納税義務が発生するものではないとしても、そのような納税者の信頼を保護し、租税法律主義の趣旨である国民生活の法的安定性や予見可能性の維持を図る必要はある。もっとも、期間税について、年度の途中において納税者に不利益な変更がされ、年度の始めにさかのぼって適用される場合とはいっても、立法過程に多少の時間差があるにすぎない場合や、納税者の不利益が比較的軽微な場合であるとか、年度の始めにさかのぼって適用しなければならない必要性が立法目的に照らして特に高いといえるような場合等種々の場合が考えられるのであるから、このような場合を捨象して一律に租税法規の遡及適用であるとして、原則として許されず、特段の事情がある場合のみ許容されると解するのは適当でない。」
そして、「本件のように厳密には遡及立法といえないような場合は、後記のとおり、立法裁量の逸脱・濫用の有無を総合的見地から判断する中で、当該立法によって被る納税者の不利益をも斟酌するのが相当というべきである。」とする。後に「納税義務者の不利益に租税法規を変更する場合は、その立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された措置が同目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、憲法違反となることはないと解するのが相当である。」と判示して、大島訴訟における違憲審査基準を思わせる緩やかな基準を採用し、本件については、本件改正法附則の内容が立法目的に照らして著しく不合理であるということはできないとして、請求を棄却している。
イ 東京高裁平成20年12月4日判決(注4)
 本判決は、一審判決の理由を引用するとともに、次の補充の判断を示している。
「(1)憲法84条の定める租税法律主義の内容の一つとしての課税要件法定主義は、課税要件(それが充足されることによって納税義務が成立するための要件)と租税の賦課・徴収の手続は法律によって規定されなければならないとする原則であるが、遡及立法は、納税義務が成立した時点では存在しなかった法規を遡って適用して、過去の事実や取引を課税要件とする新たな租税を創設し、あるいは、既に成立した納税義務の内容を納税者に不利益に変更する立法であり、法律の根拠なくして租税を賦課することと同視し得ることから、租税法律主義に反するものとされる。
(2)所得税は、いわゆる期間税であり、暦年の終了の時に納税義務が成立するものと
規定されている(国税通則法15条2項1号)。したがって、暦年の途中においては、納税義務は未だ成立していないのであり、そうとすれば、その暦年の途中において納税者に不利益な内容の租税法規の改正がなされ、その改正規定が暦年の開始時(1月1日)に遡って適用されることとされたとしても(以下、これを「暦年当初への遡及適用」という。)、このような改正(立法)は、厳密な意味では、遡及立法ではない。
(3)しかし、厳密な意味では遡及立法とはいえないにしても、本件のように暦年当初へ
の遡及適用(改正措置法31条1項の暦年当初への遡及適用)によって納税者に不利益を与える場合には、憲法84条の趣旨からして、その暦年当初への遡及適用について合理的な理由があることが必要であると解するのが相当である。」
 以上の見解の下に、本件では、暦年当初への遡及適用を行うものとしたことに立法府の合理的裁量の範囲を超えることはないとして、控訴を棄却している。
ウ 本最判
 本最判は、改正法の施行日である4月1日より前にされた土地等または建物等の譲渡についても、損益通算を認めないこととしたのは納税者に不利益な遡及立法であって憲法84条に違反するとの上告理由について、次のように判断している。
(ア)租税法規上の地位
 まず納税義務成立前の事実に対する遡及適用について、納税者の立場を次のように判示する。
「所得税が1暦年に累積する個々の所得を基礎として課税されるものであることに鑑みると、改正法施行前にされた上記長期譲渡について暦年途中の改正法施行により変更された上記規定を適用することが、これにより、所得税の課税関係における納税者の租税法規上の地位が変更され、課税関係における法的安定に影響が及び得るものというべきである。」
(イ)租税法律主義
 そして、租税法律主義について、次のように判示する。
「憲法84条は、課税要件及び租税の賦課徴収の手続が法律で明確に定められるべきことを規定するものであるが、これにより課税関係における法的安定が保たれるべき趣旨を含むものと解するのが相当である(最高裁平成12年(行ツ)第62号、同年(行ヒ)第66号同18年3月1日大法廷判決・民集60巻2号587頁)。そして、法律で一旦定められた財産権の内容が事後の法律により変更されることによって法的安定に影響が及び得る場合における当該変更の憲法適合性については、当該財産権の性質、その内容を変更する程度及びこれを変更することによって保護される公益の性質などの諸事情を総合的に勘案し、その変更が当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかによって判断すべきものであるところ(最高裁昭和48年(行ツ)第24号同53年7月12日大法廷判決・民集32巻5号946頁参照)、上記(1)のような暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用によって納税者の租税法規上の地位が変更され、課税関係における法的安定に影響が及び得る場合においても、これと同様に解すべきものである。なぜなら、このような暦年途中の租税法規の変更にあっても、その暦年当初からの適用がこれを通じて経済活動等に与える影響は、当該変更の具体的な対象、内容、程度等によって様々に異なり得るものであるところ、上記のような租税法規の変更及び適用も、最終的には国民の財産上の利害に帰着するものであって、その合理性は上記の諸事情を総合的に勘案して判断されるべき点において、財産権の内容の事後の法律による変更の場合と同様というべきだからである。」
 憲法84条の趣旨を法的安定とし、法的安定の趣旨からの憲法適合性について、財産権の侵害が許される場合の基準を挙げ、租税法規上の地位の変更についても、財産権の事後の法律による変更と同様に解すべきとする。
「したがって、暦年途中で施行された改正法による本件損益通算廃止に係る改正後措置法の規定の暦年当初からの適用を定めた本件改正附則が憲法84条の趣旨に反するか否かについては、上記の諸事情を総合的に勘案した上で、このような暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用による課税関係における法的安定への影響が納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかという観点から判断するのが相当と解すべきである。」
(ウ)租税法規上の地位の強さ
 納税者の租税法規上の地位については、次のように評価している。
「納税者の納税義務それ自体ではなく、特定の譲渡に係る損失により暦年終了時に損益通算をして租税負担の軽減を図ることを納税者が期待し得る地位にとどまるものである。」
「納税者にこの地位に基づく上記期待に沿った結果が実際に生ずるか否かは、当該譲渡後の暦年終了時までの所得等のいかんによるものであって、当該譲渡が暦年当初に近い時期のものであるほどその地位は不確定な性格を帯びるものといわざるを得ない。」
「変更の対象となるのは上記のような性格を有する地位にとどまるところ、」
 すなわち、租税法規上の地位は、財産権そのものと比べて、保護の程度は弱いと解している。
(エ)結論
 以上のような見解の下、本件においては具体的な公益上の要請に基づくものであり、「納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものと解するのが相当である。したがって、本件改正附則が、憲法84条の趣旨に反するものということはできない。」として、上告を棄却した。
3 判決の検討
(1) 一審判決
 一審判決は、憲法84条により原則として税法の遡及立法は禁止されていると解し、その根拠を憲法84条が課税要件等の法定を定めていることから、予測可能性と法的安定性を保障するものであるとする。これは、租税法律主義の目的または機能を、予測可能性と法的安定性とする税法学における通説に従ったものといえる。租税法律主義の機能として、予測可能性と法的安定性が併せてあげられるが、遡及立法を禁止する根拠としては、予測可能性を害するためと考えることが通常であろう。本判決においても、「一般国民の予測可能性を奪い、法的安定性をも害する」として、予測可能性を主としている。
 そして、期間税の場合に期間当初に遡って適用することは、厳密には遡及立法ではないが、租税法律主義の法的安定性や予測可能性の維持を図る必要があるとする。
 遡及立法ではないが予測可能性を奪うとの考えであるが、そうであると予測可能性を損なうから遡及立法は禁止されるとの論理が成立しないこととなる。
 本件事案と同様に改正法附則27条の違憲を争う事件について、先行する判決である福岡地裁平成20年1月29日判決(注5)は、「遡及適用とは、新たに制定された法規を施行前の時点に遡って過去の行為に適用することをいうと解すべきである。」として、本件改正法附則27条を遡及立法と判断して判決している。福岡地裁は、遡及適用の必要性・合理性を検討の上、本改正法附則27条を違憲と判断した。その控訴審において福岡高裁(注6)は、遡及立法について同様の判断をしているが、期間税の場合は納税者に与える不利益の程度は少ないとして合憲とし、原判決を取り消している。いずれも改正法附則27条を遡及立法であるとする点で、論理的であると考える。
 本件事案では、一審判決が期間税についてこれを遡及立法でないと解したことによって、租税法律主義の予測可能性の保障は軽視されたといえよう。予測可能性は、納税者の行為の時点での判断に貢献するものであり、行為時に判断の基準となる法律が公布または施行されていて初めて保障されるものである。本件の改正法附則27条は「個人が平成16年1月1日以後に行う同条第1項に規定する土地等又は建物等の譲渡について適用し」と施行前の行為に適用する旨を定める。行為をするために予測するのであり、予測可能性の観点からは、遡及適用の判断を納税義務の成立時期と関係させることは無意味である。遡及適用を認める立法を、遡及立法でないとする論理は、理解が困難である。
(2) 二審判決
 二審判決は、一審判決を是とし、その理由を引用するのであるが、予測可能性からの根拠づけが無意味であることから、より正確に補充の判断を示している。
 「遡及立法は、納税義務が成立した時点では存在しなかった法規を遡って適用して、過去の事実や取引を課税要件とする新たな租税を創設し、あるいは、既に成立した納税義務の内容を納税者に不利益に変更する立法であり、法律の根拠なくして租税を賦課することと同視し得ることから、租税法律主義に反するものとされる。」
 すなわち、遡及立法であるか否かの判断の対象を、権利義務の変更に限定するものであり、二審判決の判断を言いかえると、期間税については期間経過により成立した納税義務を、期間経過後に納税者に不利益に変更することを遡及立法とするものである。もちろん「過去の事実や取引を課税要件とする新たな租税を創設」することも遡及立法とし、新たな租税を創設する場合には、「過去の事実や取引を課税要件とする」と事実や取引を挙げているのであるが、税法を改正する場合には「過去の事実や取引」の文言が除かれている。税法改正の場合も、過去の事実や取引を新たな課税要件にすることにより納税義務が変更されるのであり、これを除外することは理解できない。しかし、行為が遡及適用の対象とならないのであれば、人間の予測可能性を考慮する余地はないのであり、予測可能性の保障を憲法84条の趣旨と解することはできないであろう。したがって、二審判決は、遡及立法禁止の根拠を、法的安定性に求めている。
 しかし、本件事案では、納税義務の成立前の改正のため遡及立法ではないと解するので、法的安定性を損なうことも無いはずであるが、東京高裁は、「憲法84条の趣旨からして、その暦年当初への遡及適用について合理的理由があることが必要であると解するのが相当である。」とする。しかし、その法的根拠は示していない。
(3)本最判
ア 予測可能性の排除
 一審判決が、憲法84条は予測可能性と法的安定性を保障するとしながら、期間税については期間の当初に遡及適用することは遡及立法ではないとし、予測可能性を無視する見解を取った。このため、東京高裁は、憲法84条が保障するのは法的安定性であり、期間当初への遡及適用について、合理的理由がなければ憲法に反するとした。しかし、それに止まり、なぜ納税義務の変更をもたらさないにも関わらず、合理的理由を必要とするかの理由については、明確でなかった。
 最高裁判決は、これについて、「所得税の課税関係における納税者の租税法規上の地位が変更され、課税関係における法的安定に影響が及び得るものというべきである。」とした。
 そして、「憲法84条は、課税要件及び租税の賦課徴収の手続が法律で明確にさだめられるべきことを規定するものであるが、これにより課税関係における法的安定が保たれるべき趣旨を含むと解するのが適当である」として、最高裁平成18年3月1日大法廷判決(以下、「旭川最判」という。)(注7)を参照する。この参照された旭川最判は、旭川市国民健康保険条例事件として知られる事件である。
 旭川最判の主たる争点は、国民健康保険料が租税として憲法84条の対象となるか否か、また、最終的には保険料の決定を市長に委任している条例が、憲法84条の課税要件の法定に反しないか否かである。これらについては、租税以外の公課であっても憲法84条の趣旨が及ぶと解すべきであるが、本件条例が、「被上告人市長に対し、同基準に基づいて保険料率を決定し、決定した保険料を告示の方法により公示することを委任したことをもって」これが憲法84条の趣旨に反するということができないとしている。
 さらに、「また、賦課総額の算定基準及び賦課総額に基づく保険料率の算定方法は、本件条例によって賦課期日までに明らかにされているのであって、この算定基準にのっとって収支均衡を図る観点から決定される賦課総額に基づいて算定される保険料率についてはし意的判断が加わる余地はなく、これが賦課期日後に決定されたとしても法的安定が害されるものではない。」(傍線筆者)とする。したがって、被上告人市長が「保険料率をそれぞれ各年度の賦課期日後に告示したことは、憲法84条の趣旨に反するものとはいえない。」と判示する。
 以上のように、最高裁大法廷は、憲法84条の趣旨に法的安定の保障を認めているのであり、本最判もこれを踏襲するものである。この旭川最判においては、上告人が、賦課期日を基準に賦課されることを遡及立法として問題とするものである。しかし、賦課期日を基準に課税することは、過去の行為に遡及適用するものではないので、予測可能性を論じる余地はないと思われる。したがって、旭川最判が、予測可能性を憲法84条の保障の対象から積極的に除外したか否かは不明である。
 しかし、本最判は、遡及適用を問題とする事案において、法的安定を憲法84条が保障するものとし、予測可能性の保障を積極的に除外したものである。その点で、学説における通説を一部排した初めての最高裁判決と考える。
イ 法的安定性の意義
 本最判は、憲法84条を、課税要件等を法律で明確に定めるべきことを規定するものであるが、「これにより課税関係における法的安定が保たれるべき趣旨を含むものと解するのが相当である」とする。そして、法的安定に影響するものとして、法律で一旦定められた財産権の内容が事後の法律により変更されることとする。本件では、納税義務成立前の損益通算により税額が軽減されるとの期待を有する納税者の状況を、納税者の租税法規上の地位とし、この地位を財産権と同様に考えることとしている。しかし、その地位は財産権ほど強い地位ではなく、保護の程度は財産権ほど強くないと評価している。
 そして、財産権の内容を変更する立法の憲法適合性については、最高裁昭和53年7月12日大法廷判決(以下、「53年最判」という。)(注8)を参照し、納税者の租税法規上の地位の変更についても財産権と同様であるとしている。この53年最判は、国有農地等の売払いに関する特別措置法が、旧所有者が農地法80条2項により国に対し買収農地の売払いを求める場合の売払いの対価を、買収の対価相当額から当該土地の時価の7割に相当する額に変更したことにつき、売払いの対価の変更が財産権の不可侵を定める憲法29条違反か否かが問題となった事案についてのものである。
 53年最判は、憲法29条について、次のとおり判示している。
 「憲法29条1項は、『財産権は、これを侵してはならない。』と規定しているが、同条2項は、『財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。』と規定している。したがって、法律でいったん定められた財産権の内容を事後の法律で変更しても、それが公共の福祉に適合するようにされたものである限り、これをもって違憲の立法ということができないことは明らかである。そして、右の変更が公共の福祉に適合するようにされたものであるかどうかは、いったん定められた法律に基づく財産権の性質、その内容を変更する程度、及びこれを変更することによって保護される公益の性質などの諸事情を総合的に勘案し、その変更が当該財産権に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかによって判断すべきである。」(傍線筆者)
 本最判は、53年最判の上記判示の傍線部分をそのまま採用し、憲法84条が保障する法的安定を損なう場合の憲法適合性の基準としている。53年最判で問題となった法律は、法律施行後の売却について適用されるものであり、遡及適用の問題ではなく、現在存在している財産権を侵害する立法の憲法適合性である。
 すなわち、本最判は、遡及立法の問題を財産権の侵害の問題に置き換えて、財産権の侵害が憲法違反であるか否かの問題として判決しているのである。
ウ 租税法規上の地位
 本件事案は、租税法規の遡及立法の可否を問う事案であったが、最高裁は遡及立法を問題とせず、財産権の侵害の問題として判決した。遡及適用と関係する部分は、期間税について、法律施行前の行為について予想を裏切られた納税者の立場を、予想通りの納税義務となる期待権を有していたものとして、租税法規上の地位と位置付けたことである。そして、それを財産権と同様と解して、その侵害について財産権を侵害する法律の憲法適合性の基準を適用したことである。原審の東京高裁は、予測可能性を軽視し法的安定を害する虞があるとして、憲法適合性を検討すべきであるとしたが、なぜ法的安定を害するかについては明確にできなかった。この点について、最高裁は、期待権を有する租税法規上の地位という、財産権より保護の程度は劣るが、法律上考慮すべき権利類似のものを創設した。この発想は、ドイツ連邦憲法裁判所の同様の発想による決定に関する研究(注9)に影響を受けたのかもしれない。
 期間税について、理論的には課税要件を充足すれば各取引ごとに納税義務が発生するとの考えもあり得るし、また、消費税については各取引ごとに納税義務が成立すると法定されている。しかし、所得税については、所得を期間における経済力の増加と捉えるなら、国税通則法に定める暦年終了の時に納税義務が成立すると考えるべきであろう。はたして、今まで税法学において論じられたことのない、租税法規上の地位という法的概念を租税法律関係に導入する必要があったのか疑問である。
 この概念を導入する必要は、憲法84条が予測可能性と法的安定性を保障しているとの理論を前提に、予測可能性は排除したが、法的安定を維持したため、法的安定を損なう根拠を創りだす必要があったためであろう。はたして、法的安定の理論を維持する必要があったのであろうか。租税法規上の地位の侵害を財産権の侵害と同様に扱うのであれば、財産権の不可侵は、憲法29条で明確に保障されているのである。憲法84条の趣旨に無理に含める必要はなかったと考える。
エ 本最判の意義と疑問点
 本最判は、次の点で意義がある。
@ 憲法84条が、予測可能性を保障するものではないことを明らかにしている。これは、憲法84条が遡及立法を禁止していないことを意味する。
A 期間税について、法律施行前の納税者の立場を、租税法規上の地位として財産権に類似した法的意味を与えた。この侵害は財産権の侵害と同様であるが、財産権よりは保護の程度は弱いとする。
B 租税法規上の地位を侵害する立法の憲法適合性の基準は、憲法29条の基準と同じか、やや緩やかであることを明らかにした。
本最判の疑問点は次のとおりである。
 遡及立法の解釈に疑問がある。遡及適用を認める法律を制定することを遡及立法と解し、遡及適用の解釈は、福岡地裁平成20年1月29日判決のとおり、「遡及適用とは、新たに制定された法規を施行前の時点に遡って過去の行為に適用することをいう」と解すべきである。したがって、本件改正法附則27条は、遡及立法と考えるべきである。
 裁判所は、期間税の期間中の法律改正を期間の始めから適用することを認める観点から、これを遡及立法と位置付けたくなかったのであろう。それは、遡及立法が憲法84条により禁止されているとの見解を前提としているからである。しかし、その見解の根拠は、憲法84条が予測可能性を保障するものではないとの本最判の見解により否定されている。
 次に、本判決が説く法的安定が、財産権の変更を許さないことであれば、財産権の不可侵は憲法29条で保障されている。憲法84条で改めて法的安定を保障する意味があるのであろうか。それは、憲法29条違反の法律は、憲法84条でも違憲であると定めるのと同様である。したがって、憲法84条に法的安定の保障を含めることは誤りであると考える。
  
4 憲法84条と遡及立法に関する考察
 筆者は、憲法84条が遡及立法を禁止していると解するのは誤りであると考え、その事を考察した論考(注10)を発表したことがある。今回、本最判を検討して、その考えを強くしたので、ここに再度その論拠を明らかにする。
(1) 憲法84条と法的安定性
 田中二郎教授は、昭和43年発行の「租税法」において、「租税法律主義という租税法の基礎原則は、近代憲法の中に明文でうたわれていると否とにかかわらず、資本主義体制をとる憲法上の基本原則にほかならず、国民の財産権の保障と経済生活の法的安定(経済生活における予測可能性)の目的に仕える重要な意義を有している。」(注11)と説く。また、憲法84条に関して、課税要件をすべて法律で定めること要求するものと解されるとし、この原則は、「私有財産制のもとに、人民の財産権を保障し、課税という形での財産権の収奪は、国民の総意の表れというべき法律の定めによるべきものとすることによって、経済生活の安定を図り、経済活動の予測可能性を与えようとするものであることはゆうまでもない。」(注12)としている。田中教授は、課税要件等の法定を定める憲法84条について、財産権の保障と経済生活の法的安定を並立して述べており、そこでの経済生活の法的安定とは経済活動に予測可能性を与えることとする。
 田中教授のいう法的安定とは、法律で定めることにより安定的に将来が予測できることを意味している。法律改正が、行政立法による改正より手続き的に厳密であり、安易に行われない実情を踏まえた見解と思われる。本最判が、法的安定を財産権の不変更と解することとは相違する。そして、財産権の侵害からの保障は、行政権からの保障として課税要件等の法定を定めているのであり、立法権からの保障として憲法29条が定めているのであるから、改めて財産権の不変更を法的安定として挙げる必要はないのである。通説が説く租税法律主義の目的または機能として説く予測可能性と法的安定性とは、厳密にいえば、法律で定めることにより安定的に予測することが可能であるということである。
 その意味で、本最判が、憲法84条の趣旨に、予測可能性を挙げず法的安定の保障を含むと解釈したことは誤りであると考える。
 憲法84条に従い課税要件等が法律により定められれば、政府の一存で変更できる行政立法で定める場合より、安定的に予測可能となるであろう。それは課税要件等を法定した効果の一つであることは確かであるが、憲法84条はその予測可能性を保障しているのであろうか。もし、憲法が予測可能性を害する立法を禁止しているとすれば、税法の遡及立法は、刑罰法規と同様に厳密に禁止されていると考えるべきである。
(2) 憲法84条と予測可能性
 現在の通説といえる金子宏教授の予測可能性についての見解は、次のとおりである。「今日では、租税は、国民の経済生活の殆んど全ての局面に関係を持っているから、人は、その租税法上の意味、あるいはそれが招来するであろう納税義務を顧慮することなしには、いかなる経済的意思決定をもなし得ない。むしろ、租税の問題は、多くの経済取引において、考慮すべき最も重要なファクターの一つであるといえよう。その意味で、いかなる経済的事実や行為からいかなる租税債務が発生するかが、あらかじめ法律の規定の中で明確にされていることが好ましいのである。アダム・スミスが、課税の第二原則として「明確性」(certainty)をあげているのも、この意味に理解することができる。したがって、租税法律主義は、単にその歴史的沿革や憲法思想史的意義にてらしてのみでなく、今日の複雑な経済社会において、各種の経済上の取引や事実の租税効果につき十分な法的安定性と予測可能性とを保障しうるような意味内容を与えられるべきであろう。」(注13)
 しかし、予測可能性を保障するとの意味は必ずしも明らかではない。それが予測を裏切らないことであるとすると、新しい税は全て予測を裏切ることになるであろう。例えば、今後財産税が導入されると、これは所得を費消せずに財産形成に努めた人の予測を裏切ることとなるであろう。相続税の増税、固定資産税の増税も同様である。減税についても、減税がないと思い、他の方策を講じていた人にとっては、不利益に予想を裏切ることになるであろう。高橋祐介教授は、予測可能性の意義を考察し、「全ての税法改正はいずれも予測を覆すことが導かれるであろう。そして、予測可能性の確保が租税法律主義から要請されるとすれば、将来効のみを有する立法をも視野に入れて論ずるべきである。」(注14)とする。すなわち、全ての税法の制定改廃は常に予測可能性を害するものといえる。そのように、全ての税法の制定改廃を否定する内容を、憲法が定めているとは考えられない。
 本件事案は、租税特別措置法の改正に係る事案である。租税特別措置法は、所得税法等の法律の特例を定め経済取引を一定の方向に誘導しようとする法律である。これについては、まさに経済取引法と考える余地もある。しかし、税制は、本来、経済に中立的であり、税制が経済に影響を与えないことが望ましいと考えられてる。昭和63年の税制改革法においても「税負担の公平を確保し、税制の経済に対する中立性を保持し、及び税制の簡素化を図ることを基本原則として行われるもの」(税制改革法3条)として、税制の公平・中立・簡素を租税制度の基本としている。現在は、租税特別措置法もあり、税負担を考慮して経済活動を行うことが通常であろうが、望ましい税制は、税負担を考慮することなく純経済的な活動の結果に対して、公平に税負担を求める税制が理想的であると考える。
 予測可能性を憲法84条が保障するものでなければ、遡及立法を禁止しているとする根拠はなくなる。高橋祐介教授は、米国においては税法の遡及立法は一般的に認められているとする(注15)。
(4)罪刑法定主義との関係
 他方、遡及立法の禁止を罪刑法定主義との関係から理由づける説がある。
 田中二郎教授は、「一般的に租税法の遡及効は認められないと解すべきである。ただ、法律の制定又は改正がつとに予定されており、従って一般にも予測可能性が存し、著しく法的安定を害するとか納税者に著しく不当な影響を与えるというような結果をきたさない範囲内において、遡及効を認めることが許されると解してよいであろう。」(注16)と、憲法解釈としては、やや曖昧な遡及立法の禁止を説く。同時に、行政法規の遡及立法については、「罰則の遡及適用を憲法自身が禁止している趣旨は、一般に相手方に不利益を与える規定の場合についても尊重すべきであろう。道路占用料・水道料金等のような契約的基礎に立つ対価の値上げ条例等の遡及適用のごときは許されないと解すべきである。」として、刑法との類似を説く(注17)。税法についても、罰則の遡及適用禁止と関係があると解するものであろう。
 佐藤英明教授は、租税法律主義に予測可能性の確保の機能を求める理由の一つとして「課税権を定める租税法が刑罰権に関する刑事法と並ぶ典型的な侵害規範であり、かつ、財産権への侵害という定型的な侵害を定める規範であること。」(注18)を挙げる。罪刑法定主義が行政の恣意的発動から生命、自由、財産を保護するものであり、租税法律主義が財産を保護する点から、罪刑法定主義の遡及立法の禁止は、租税法律主義においても認められるべきとも考えられる(注19)。
 罪刑法定主義は、「法律により、事前に犯罪として定められた行為についてのみ、犯罪の成立を肯定することができるという考え方」(注20)である。これは憲法31条の法律に定める手続きによらなければ刑罰を科せられないとの規定と、憲法39条の事後法の禁止により憲法上の原理となっている。刑罰は、法により禁止された行為を行ったことに対する、故意又は過失の責任に対応して科されるものである。責任とは、法律で禁止されている行為を行った禁止義務違反に対するものと考える。すなわち、行為を禁止する法律がなければ禁止義務違反はありえないので、禁止行為たる犯罪は成立しないのであり、犯罪がないかぎり刑罰はありえないのである。すなわち、刑法の遡及立法の禁止は、法理論上の必然である。
 しかし、税は加算税を含めて、一定の課税要件が充足すれば成立するのであり、責任という非難の要素が入る余地はなく刑罰とは異なる。罰金と同様な財産権の侵害であっても、
その法的性格は全く異なるのであり、罪刑法定主義に倣うべき理由はないと考える。
(5)憲法29条と30条
 本最判は、財産権を侵害する場合の憲法適合性の基準を、憲法29条の違憲審査基準と同じとしている。それは、53年最判が、財産権の侵害が「法律でいったん定められた財産権の内容を事後の法律で変更しても、それが公共の福祉に適合するようにされたものである限り、これをもって違憲の立法ということができないことはあきらかである。」として、示した基準である。しかし、税については、憲法30条により「国民は、法律で定めるところにより納税の義務を負う。」と定め、公共の福祉の適合とは別に財産権の侵害を認めている。したがって、税法が憲法に適合するか否かの基準について、過去の最高裁判例の基準を採用するとすれば、本件事案の一審判決が採用したように、最高裁昭和60年3月27日大法廷判決(注21)の「著しく不合理であることが明らか」という大島訴訟の基準を用いるべきであろう。
(6)予測可能性と立法政策
 税法の遡及立法を憲法は禁止していないが、遡及立法が一定の予測可能性を害することは事実である。特に所得税については、税法は経済取引に大きい影響を与えており、その場面で予測可能性を害することは極力避ける必要がある。立法機関は、予測可能性を害することのないよう、細心の注意をすべきである(注22)。本件事案の改正法についても、損益通算の廃止部分を法施行日以後の譲渡から適用することとすることは、立法技術として可能であったし、そうすればそれに基づく執行も可能であったと考える。

おわりに
 平成16年度の税法改正における、租税特別措置法31条の適用時期を定める改正法附則27条の規定の問題は、当初、福岡地裁で違憲判決が出されたことから注目された。しかし、この事件は福岡高裁で合憲判決が出ることにより確定した。最高裁まで争われた同様の二つの事件について、ほぼ同時に同内容の最高裁判決が出た。いずれも、予測可能性に触れていない点が注目されたが、その点については納得できた。この判決を契機として、かねて疑問に思っていた遡及立法の禁止について、本最判の論理を分析し、自分の考えを整理しようとして本稿に取り組んだ。多くの遡及立法に関する研究があることを知らないわけではないが、それらを網羅的に調べることはできていない。その点で大学の紀要に掲載するにはためらう点もあるが、従来考えてきたことの整理を優先することとした。     
 多くの先人に失礼をお詫びする次第である。
 また、憲法解釈としては、本文の結論に至ったのであるが、予測可能性の論理が、従来の立法実務の改善に多大の貢献をしてきたことを再認識した次第である。


注1 図子善信 「税法慨論八訂版」大蔵財務協会 平成23年 29頁、40頁
注2 最高裁平成23年9月22日第一小法廷判決 判例時報2132号34頁
   最高裁平成23年9月30日第二小法廷判決 判例時報2132号39頁 
    評釈として次のものがある。田中治 税法学566号265頁、渕恵吾別冊ジュリスト207号租税判例百選第五版11頁、小林宏司 ジュリスト1441号110頁、品川芳宣 TKC税情2012.2   頁 
注3 千葉地裁平成20年5月16日判決 税務訴訟資料258号順号10958
注4 東京高裁平成20年12月4日判決 税務訴訟資料258号順号11099
注5 福岡地裁平成20年1月29日判決 判例時報2003号43頁
注6 福岡高裁平成20年10月21日判決 判例時報2036号20頁
注7 最高裁平成18年3月1日大法廷判決 民集60巻2号587頁
注8 最高裁昭和53年7月12日大法廷判決 民集32巻5号946頁
注9 木村弘之亮「ドイツ連邦憲法裁判所2010年7月7日3決定は遡及租税立法を一部違憲」 税法学565号17頁
注10 図子善信「税務行政における遡及適用の課題 〜租税法理論上の問題を中心として〜」税 ぎょうせい 2008年6月号 4頁
なお、碓井光明教授は、「そもそも租税法律について遡及立法が必ずしも一般的に禁止されるものではないという考え方も成り立つ余地があると考えている。」とする。ジュリスト946号 1989年 124頁
注11 田中二郎「租税法」有斐閣 昭和43年 55頁
注12 田中前掲書67頁
注13 金子宏 「租税法理論の形成と解明 上巻」 有斐閣 2010年 13頁
注14 高橋祐介「租税法律不遡及の原則について」総合判例研究NO11 99頁
注15 高橋祐介前掲論文105頁
注16 田中前掲書81頁
注17 田中二郎「新版行政法上巻全訂第二版」弘文堂 昭和49年 68頁
注18 佐藤英明「租税法律主義と租税公平主義」金子宏編「租税法の基本問題」有斐閣 65頁
注19 吉良実 「税法上における不遡及効の原則」 税法学100号 1959年 98頁
注20 山口厚「刑法総論第2版」有斐閣 9頁
注21 最高裁昭和60年3月27日大法廷判決 民集39巻2号247頁
注22 木村弘之亮 「租税法規不遡及の原則と信頼保護に基づく自由な取引活動」税理 58巻2号 2010年 131頁