神経症の話
平成八年に南禅寺派のお寺が中心になって、手書きの大般若経(だいはんにゃきょう)を作ろうという計画がもち上がった。大般若経は世界最大のお経で、巻数は六百巻、一巻の字数は般若心経四十巻に相当し、総字数は五百万字にもなる。
そこで私も協力するため写経を始めたが、六巻目を書いているとき字が書けなくなってきた。写経に取りかかって数行書くと手の力が抜けてくる。調べてみたら書痙(しょけい)という病気らしかった。書痙は精神的なことが原因で発病するとされ、字をたくさん書く人とか、人前で字を書いたときに失敗した経験があって、字を書くことに恐怖感を持っている人がかかりやすいという。
とにかく字が書けなければ写経にならないので、残った分は人に頼んで書いてもらった。ところが、そのうち回復するだろうと思っていたら、症状が進んでいるのか、書痙のことを考えただけでも手の力が抜けるようになってきた。そのためこうした病気に治療法は無いだろうと思いながらも、専門家の意見をいちど聞いてみようと病院へ行った。
受付で症状を説明し何科に行けばいいのかと訊くと、神経科か精神科ではないかという。どちらにしてもここでは一つになっているから、そちらへ行って下さいということで、神経科・精神科と書かれた待合室で待っていると、看護婦さんが質問用紙を持ってきた。用紙には、頭が痛い、夜眠れない、イライラする、などの症状をあらわす言葉が並んでおり、丸を付けるようになっている。私はそのような症状は一つもないので丸を付けなかったら、看護婦さんが質問してきた。
「どういう症状なんですか」
「こういう症状は全然ないです」
「どこも悪くないのなら、どこが悪いんです」。変な質問だが、どこも悪くないなら何しに来たのかと言うのであろう。
「字が書けないんです」
「ちゃんと書いてるじゃないですか」
「鉛筆やボールペンなら書けるけど、写経を始めると書けなくなるんです。難しい病気でしょう」
診察室に入ると、若い先生が坐っていた。なり立てのお医者さんのようにも見えた。その先生が質問用紙を見ながら言った。「書痙の患者はこれまで一度も診たことがない。今ごろ書痙になる人は珍しい」
パソコンで文書を作る時代だから、書痙などという病気は過去のものになりつつあるらしい。とはいえ今もって特効薬といったものはないらしく、その先生は森田療法を推薦してくれた。「森田療法の中に書痙のことも載っています。図書館で本が見つからなかったら私が探してあげます」
この推薦は大いに役立ったが、この日の病院での成果はもう一つあった。それは初めに書いた質問用紙の中の、患者の性格を調べるための質問である。性格に関する質問が三十ばかり並んでいて、言葉を選んで丸を付けるようになっている。性格など単純に分類できるものではないし、とくに自分の性格は分かりにくいものだが、それでも頭をひねりながら丸を付け、丸のついている言葉を拾って読んだとき原因が少し分かったような気がした。
そこには、「几帳面、凝り性、完全主義者、徹底してやらないと気がすまない」などの言葉が並んでいた。自分にこのような傾向があるのを認識したのは初めてのことで、これが書痙の原因かもしれないと思った。
森田療法
森田療法は昭和の初めごろの精神科医、森田正馬(もりたまさたけ)博士によって開発された精神療法で、対人恐怖症、不眠症、高所恐怖症、そして書痙などいわゆる神経症と呼ばれる症状に卓効があるとされる。軽い神経症の人は、森田療法の本を読んで心構えを変えるだけで治ることもあるといわれており、私自身も治った訳ではないが本を読むことで、出口のある方向ぐらいは理解できた。なお重症の人は入院することもあるという。
森田療法は禅の教えに似ているといわれており、たしかに本を読んでいるとそっくりの言葉が出てきたりする。禅はやったことがないと博士は書いているが、知識はかなり持っていたように思う。
森田療法の基本は、不安や苦悩、恐怖や劣等感、といったものを、取り除くのではなくそのまま受け入れる、ということである。不安や苦悩のない理想の状態を求めることが神経症を作りだすのであり、そして気にすればするほど深みにはまり込んでしまう。ところが不安や苦悩を持たない人など、この世にいないというのである。
だから、それらと共に生きることを受け入れ、それらを抱いたまま、分からないことは分からないまま、ハラハラ、ドキドキしながらでも、とにかく行動してみなさい。すると行動する中で、いつの間にか雑念を意識しなくなり道は開ける。神経症の症状は主観的であり、煎じつめて言えば病気ではないから、病気として治療をしても治らず、健康な人間として扱うと治る、というのである。
完全を願えば誰しも神経症になるとあるから、人間は完全主義ではいけないようで、七割で良しとする方が楽でもあるし、臨機応変の対応もやりやすくなる。
森田療法では、心は自由にならないといっている。つまり「私は書痙ではない」とか「手はふるえないから大丈夫」などと自分に暗示をかけても効果はなく、それどころかかえって症状を呼び出してしまうという。たとえば梅干しを見ると唾が出てくる。これは食べたときの記憶が蘇ってきて唾が出るのであり、そのときいくら「梅干しは酸っぱくない」と暗示をかけても唾は止まらない。だからそんなことをするよりも、梅干しを見るのをやめて別のことに心を向けなさいというのである。
これを書痙に当てはめてみると、どうしたらふるえないで字が書けるか、にばかり目を向けるのは目的と手段の取りちがえである。目的は文書を完成させることにあるのだから、不安があっても手がふるえても、とにかく書いてみる。そして文書を完成させることに意識を集中させるのである。私の経験でも、いい言葉やいい文章が浮かんできて意識が集中したときには、スラスラと字が書けたのであり、そのあたりに書痙という病気の秘密があるらしい。
平常心
書痙とよく似た症状を他のことで経験したことがある。まず弓道の話。日本の弓道は右手にカケと呼ばれる手袋をはめ、その親指のつけ根のみぞに弦(つる)をかけて弓を引くようになっている。そして指を鳴らすように軽く親指をはじくと、弦がはずれて矢が飛んでいく。ほんのわずかの動作で弦はカケを離れる。これを「はなれ」と呼んでいる。
ところがその「はなれ」ができなくなることがある。一年も二年も「はなれ」ができずに苦しむ人もあり、私も一度だけなったことがある。話には聞いていたが面白いことに何度ためしても指が動かなかった。
原因がどこにあるか私はすぐに理解できた。心の問題だけにその原因を言葉で説明するのは難しいが、理想的な心の状態を思い描き、その状態になろうと無理な努力すると、心が損なわれてしまうのである。心は型にはめ込むと本来の働きができなくなるということであり、そのわずかな異常を自覚できたため、深みにはまらなかったのである。はからいを捨てた自然な心、平常心が尊ばれるゆえんである。
次は車の運転の話。私は数年前に寺の住職になり、必要に迫られて車の免許をとった。ところが車幅感覚がまだ身に付いていないので、せまい道で対向車が来ると、どうしても対向車に心を奪われてしまう。ところが対向車に注意を集中するとかえって危険である。視線が向いている方へ車は進んでいくから、対向車ではなく自分が進む方を見なければならないのである。だからあわや正面衝突という時には、対向車に視線を釘付けにせず回避できる場所を探すべきである。神経症というのは進行方向を見ずに、対向車や道ばたの電柱ばかり見ている状態なのかもしれない。
想像の産物
もう一つは空耳の話。私が修行した寺は山のふもとにあって、境内のいちばん見晴らしのいいところに塔が建っている。その塔の屋根の四隅には、風鐸(ふうたく)という小さな鐘のような飾りが下がっていて、この風鐸は夜になると鳴り出すと言われていた。実際には鳴らないのだが、多くの雲水がこの風鐸の音を聞いており、私も聞いたことがある。
実はその風鐸の音は空耳である。ならばなぜ多くの人にその音が聞こえるかというと、それは道場の起床の方法に原因がある。道場では決まった時間に係りの者が鈴を鳴らしながら起こして回る。朝三時半とか四時、ときには三時のこともあるから睡眠時間が短かい。それでも夏はまだましだが、冬は眠いだけでなく寒さが身にしみる。
鈴の音はその辛い起床の象徴であり、そのため鈴の音にみんな神経過敏になっている。それが空耳の原因であり、その空耳の鈴の音を風鐸の音と勘違いしているのである。そのとき多少は寝ぼけているかもしれないが、夢を見ている訳ではない。それでいて鈴の音がはっきり聞こえてくるのだから人間の心は面白い。とにかくいちばん聞きたくない鈴の音が聞こえるのだから、これほど嫌なことはない。こうした幻覚は想像の産物であるが、想像はつねに現実よりも恐ろしいものである。
私はその鈴の音を止める方法を知っている。眼をはっきりと開けて、天井を見たり時計を見たりすると聞こえなくなる。現実に存在するものを見ることで、心が現実の世界に戻ってくるのである。坐禅をするとき眼を開けることになっているのはこれもひとつの理由であろう。
このように、神経症の原因は日常生活のどこにでも転がっているから、誰でも神経症になる可能性はある。そしてなるかならないかは、気にするかしないかが分かれ目であるから、「相手にせず邪魔にせず」で対応するのがコツである。
神経症になる人は神経質なだけに向上心が強いといわれる。その繊細な神経と向上心を前向きに活用すれば、すばらしい仕事をなしとげたり、豊かな人間関係を作ったりできるはずである。繊細な神経は世の中になくてはならないものであり、神経質なことは決して悪いことではない。
参考文献
「自覚と悟りへの道」 森田正馬著 水谷啓二編 白揚社 1983年
「森田式生活術」 長谷川和夫 岩井寛 ごま書房 昭和54年
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