精進の話

懈怠(けたい)の心を破し、猛き心で善をおこない悪を断ずること、それが精進(しょうじん)である。精進は木と木をこすり合わせて火を作ることに譬えられてきた。煙が出て来てあとひと息で火がつく間際であっても、こするのをやめれば火は得られない。同様に仏道修行も悟りの炎が燃えあがるまでは休んではならないのであり、だから仏教の歴史は精進の歴史であったといえる。

禅関策進(ぜんかんさくしん)という本がある。この本には昔の修行者がおこなった勇猛果敢なる修行の話が集められており、それを読んでいると体中の細胞が活性化してきて、心の底からやる気が出てくる。そのため臨済宗中興の祖として知られる白隠禅師はこの本を座右の書としていた。禅師の禅が天下の禅僧を圧倒し、その徳が大名貴族から庶民に至るまで感動せしめたのは、禅関策進に励まされて精進努力した結果といわれる。その一部をご紹介すると、

「慈明(じみょう)禅師は、仲間と三人で汾陽(ふんよう)の善昭禅師に参じた。時に河東は苦寒の地で、修行する人はまれであった。慈明禅師の道をもとめる志はかたく、朝夕おこらずに勤め、夜坐のとき眠くなると錐(きり)で自らをつき刺した。のちに善昭禅師の法を嗣(つ)いで道風おおいに振るい、西河(さいが)の獅子と呼ばれた」

これを読んで白隠禅師はそれまでの修行態度を深く反省し、発憤して不退転の修行につき進んだのであった。だからこの文は臨済宗にとってきわめて大切なものであり、私が修行した道場では、修行期間に入るまえに老師が亀鑑(きかん。手本)としてこれを読み上げていた。もう一つ紹介すると、

「中峰明本(ちゅうほうみょうほん)禅師は、高峰死関禅師の侍者となり、昼夜修行に励んだ。疲れると頭を柱にぶつけて目を覚ました。一日、金剛経を誦しているとき悟るところがあった。自ら思うに『悟るところまだ十分でない』とし、いよいよ怠りなく修行に勤めた。そして流水を見たとき大悟した」

また修行の方向や心構えを示す言葉も載っている。

「一心不乱の四字に、参禅のことは全て尽きている。しかるに多くの人はこれをゆるがせにしている」

「心は、これを一所に制すれば、事として弁ぜざる無し」

「今日の修行者はただ心の働きをやめて、禅定に入ることは知っているが、心を使い工夫して悟りに至ることを知らない」

白隠禅師がよく使う言葉に、「懈怠(けたい)の衆生のためには、涅槃三祇(ねはんさんぎ)にわたる。勇猛(ゆみょう)の衆生のためには成仏一念にあり」というものがある。怠け者は百億年たっても悟りを開くことはできないが、猛き心で精進する人はたちどころに成仏できる、だから「切に精彩をつけて精進せよ」というのである。

「今、ここに、自己の全てを尽くす」、それが精進である。法然上人は「これから首を切られる者になって、念仏せよ」と言っているが、修行にはそうした逃げ場のないせっぱ詰まった心が大切である。

臨済宗の道場では毎日、入室参禅(にっしつさんぜん)がおこなわれている。これは修行者が一人ずつ老師のもとに参じて、一対一で心境を点検してもらうことであり、このときの問答を禅問答という。このときいちばん大切なのが緊張感である。入室のときには自然と緊張感が高まってくるが、そのせっぱ詰まった緊張感が心を奮いたたせ、煩悩妄想を打ちくだき、不思議なほどスッキリとしたいい心境にしてくれるのである。そしてそうした修行を毎日続けていると、気がつかないうちに禅定力がつき心境も進む。だから臨済宗では入室参禅をもっとも重視している。

平成九年の大相撲春場所は四人による迫力ある優勝決定戦になった。曙、貴の花、武蔵丸、魁皇(かいおう)によって争われ、貴の花の優勝で幕をとじたが、とくに曙の厳しい顔つきは見ていて気持ちがよかった。その相撲を見たあと坐禅をしたら、からだ全体に気迫がみなぎり、しっかりと坐ることができた。気迫は人に移るものであり、坐禅に欠かせないのがこの気迫である。

参考文献 「禅の語録 禅関策進」 藤吉慈海 筑摩書房 昭和45年

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