自立心の話
「子供のことで相談に乗って下さい」と頼まれて困ったことがあった。知らないことは相談に乗れないので、私は結婚したことがないし子供もいないから、子供のことはわかりません、と言ったら、子供といっても三十歳になる男性だという。

親の仕事を手伝いながら一緒に住んでいるが、親子関係が最近とみに険悪になってきた。むかしは素直ないい子だったのに、ちかごろは父親と顔を合わせるとけんかばかりしている。何かいい方法はないでしょうかという。そういうことならよく似た問題が身近にあったので、お役に立てばと次のようにお答えした。

「親子でも夫婦でも、ある程度の距離を置いた方が人間関係はうまくいくと思います。険悪な状態になっているなら、距離を置くため当分のあいだ別居した方がいいのでは。アパートを借りるお金を持っていないなら、部屋代を援助してあげたらいかがですか。

結婚したら良くなるかもしれない、少なくともやっかい払いにはなるという考えは甘いと思います。相手の立場になって考えればその結婚がうまくいくとは思えないので、かえって面倒な結果になるかもしれません。蜘蛛はどこに行っても同じ巣をつくるという言葉があります。その人が成長しない限り、結婚しようが、死んであの世に行こうが同じことの繰り返しです。いつかは一人で生きていかねばならないのだから、自立心を養うように仕向けていくのがいいと思います」

二十歳ごろまでには子供を家から追い出して、親を他人として見ることができるようになるまで、離れて暮らした方がいいと思う。一緒に住んでばかりいると、親のありがたみも子のありがたみも分からない。子が親ばなれしないのは、親が子ばなれしないのが原因であり、寂しいからといって追い出さないと、結局は子供をだめにして親が苦労することになる。

日本人は子供に甘い民族である。たとえばお茶を飲んだあと、たいていの子供は茶碗を置きっぱなしにしているが、片づけるのは親の仕事だと思っているようでは自立心は芽生えない。小さい時から自分のことは自分でさせるべきで、身の回りのことができるようになると自立心もできてくる。

何事も自分でやってみなければその苦労は分からない。炊事や洗濯でも自分でやったことのある人だけが、やってくれる人に対して感謝の念を持つことができる。親がやるのは当然だ思っている子供は、大きくなると親を召使いとして扱うようになる。

禅宗寺院の和尚になるには、専門道場での数年間の修行が必要であり、道場ではもちろん自分のことはすべて自分でしなければならない。そしてその当たり前のことによって驚くほど自立心と感謝の心が養われる。そのことは私自身の体験でもあるし、また後輩を見ていてもよく分かる。便所掃除もできないようではまだ一人前とは言えないのである。

「かわいい子には旅をさせろ」は確かに名言であり、手遅れにならないうちに修行の旅に追い出すのが、親の本当の情けである。

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