チャプレンの話

大法輪という仏教系の雑誌に、チャプレンという病院勤務の聖職者の制度に関する記事がのっていた。実際にその仕事を体験した人が書いた報告であり、非常に興味のある内容なのでその一端をご紹介したい。著者はハワイで布教している浄土真宗の千石真理(せんごくまり)師である。

チャプレンという言葉は、もともとは刑務所の教誨師(きょうかいし)や従軍牧師を意味する言葉であるが、ここでは二十四時間態勢で患者とその家族を支援する病院勤務の聖職者の意味で使われている。チャプレンはアメリカでは公的な資格になっていて、取得するには講義と実習を受けなければならず、彼女がその資格を取得したのは、ハワイのホノルルにある千人の医師と三千五百人の職員が働くベッド数五六〇の病院であった。

そのときの受講者は全部で十一名であり、そのうち彼女を含めた三名が仏教の聖職者、残りはキリスト教の聖職者であった。そうした宗教の違いだけでなく、日系人、白人、フィリピン人、サモア人といった出身の違いや、年齢の違い、同じキリスト教でも宗派の違いなどがあって、初めのうちは受講者全員がひどく緊張していたというが、一緒に勉強したり助けあって勤務するうちに、しだいにうち解けあい信頼関係を築くことができたという。まさに国と文化と宗教のちがいを越えて行われる霊性交流の場である。

チャプレンの主な仕事は、患者が亡くなったときの枕経とか、植物状態の患者から延命装置をはずすときに行われる祈り、といった死の前後におこなわれる儀式と、患者や家族に対する精神面での支援であり、ときには頼まれて回復を祈願することもあったという。儀式や祈りは社会生活の節目に必要なものなのである。

その報告の中でとくに興味をひかれたのは、さまざまな宗教のチャプレンが交替で勤務するため、たとえば仏教の聖職者が当番に当たっているときには、患者がキリスト教徒であっても仏教の話や儀式をおこなうということである。反対に仏教徒がキリスト教の祈りを受けることもある。もちろん患者が希望する場合には、希望する宗教のチャプレンが呼ばれる。「患者はチャプレンを選べるが、チャプレンは患者を選べない」と彼女は書いている。

月に何度か夜勤の当番もあり、そのときには患者を見舞ったあとで仮眠をとることもできるが、交通事故などの急患が入ったときは、十分以内に緊急治療室へ行かなければならず、ときには犯罪の被害者が運び込まれるといった修羅場に立ちあうとか、緊急患者が立て続けに運ばれてきたり、病棟からの呼び出しが連続する忙しい夜もあり、夜勤のチャプレンは一人だけなので慣れるまでは大変だったという。

緊急治療室での仕事は、患者が話のできる状態なら、誰に連絡して欲しいかをたずねて連絡を取ることから始まり、必要があれば患者に付き添い、家族の相談にのり、患者側と病院側のあいだに立って情報交換の手助けをおこなう、などのことである。このような場に聖職者が介在することは、患者にとっても病院側にとっても有益なことだと思う。

千石師が勤務しているとき、ハワイ旅行中の三〇歳台の日本人医師が入院してきたことがあり、さっそく集中治療室に行って自己紹介をすると、「チャプレンというのは何ですか」と質問されたという。医師であってもチャプレンの制度を知らなかったのであるが、地獄で仏に逢ったように感じたことと思う。

それから何度も見舞いに行ったが、到着が遅れたため家族が日本から到着したとき彼はすでに意識不明の状態になっており、そのとき千石師が病室に入って行くと、その家族は葬儀の準備かと勘ちがいして驚いたという。日米の宗教の果たす役割のちがいは大きいようである。

「自分の命なのに真実を告げられないというのは、アメリカ人には信じられないことだ」と千石師は書いている。アメリカではたとえすぐに死ぬような場合でも、状況を正確に患者に告げているのであり、日本でそれができないのは精神的な打撃を受けたとき、援助をする人も場も日本に存在しないのが一つの理由である、と千石師は指摘している。

そしてさらに、「病院は人生の悲しみや苦しみの凝縮された場であり、そのような場だからこそ宗教が必要なのに、日本ではそれがおろそかにされている」と指摘し、日本でもチャプレンの制度が導入されることを切望している。

参考文献「ハワイ開教師だより。チャプレンとしての活動」千石真理 大法輪平成12年12月号

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