弓道の話

弓道の目ざすところは射裏見性(しゃりけんしょう)である。弓で無心なる自己の本心本性を知り、それを日常生活に生かしていくのが弓道修行の目的なのであり、それでなければやっても意味はない。だから名人になると、朝、三回弓を引いて心の状態を確認し、その心を一日維持する、というように弓を日常生活に活用するという。

そしてそうした心の修養のための弓道では、矢が的に命中するかしないかは問題ではない。大事なのは、矢がどこへ飛んでいくかではなく、矢を射たときの心の状態だからであり、百発百中したところで大して意味はないのである。

日本の弓道が的に当てることにあまり関心を払ってこなかったことは、使う弓にもそのことが表れている。全長が二メートルもある日本の弓はおそらく世界最大の弓である。しかし大きな弓はじつは実戦向きではない。弓が大きくなると、まず扱いにくくなる。次に弓が大きくなると矢が長くなり、矢が長くなると空気抵抗が増大するため飛距離が短くなる。さらに矢が長くなると引きが深くなり、引きが深くなるとねらいがつけにくくなる。つまり命中率が悪くなる。

そのうえ矢を外側につがえる日本の弓は傾けて射ることができない。弓を時計まわりに傾けると矢が落ちてしまうのである。とはいえ反対方向に傾けて射ることはできないのであり、これは馬上で使うときの大きな欠点である。つまり馬上では右利きの人のばあい左側にしか射れないのである。

だから鎌倉時代の蒙古(もうこ)襲来のときには、互角には戦えなかったと思う。小型で強力な蒙古の弓は、扱いやすく、射程が長く、引きが浅いので命中率がよく、矢を内側につがえるので馬上で前方に向けて水平射撃もできる。優秀な弓をもつ蒙古の騎馬軍団は世界最強といわれたのであり、卓越した騎射の技と馬術によって蒙古は巨大帝国を築いたのである。

瀬戸内海の大三島(おおみしま)にある大山祇(おおやまずみ)神社の宝物館は、刀剣や甲冑(かっちゅう)などの宝庫であり、展示されているたくさんの国宝や重文の武具は、戦勝祈願のため、あるいは戦勝のお礼として奉納されたものである。その展示品の中に蒙古の弓が数点含まれている。これらはおそらく蒙古との戦いのとき手に入れたものであろう。

敵の武器を研究するのは当然のことであるから、当時の日本人は蒙古の弓を充分すぎるほど研究したはずである。ということは、蒙古と戦うことで蒙古の弓の優秀さをよく知っており、しかもそれを手にとって調べていながら、日本人はあまり実戦向きではない、命中率のわるい弓を使い続けてきたことになる。その理由は日本人が心の修養を弓に求めたからだと思う。

弓を引くときには強い力を使う。そのため息が詰まったり力みが出たりするのであるが、そうなると内面がくずれすっきりとした射にならない。弓を引くぐらいのことに大した技術は要らないが、弓に負けない内面の充実が必要とされるのであり、冴えた気と内面の力で、左右に開いていかねばならないのである。

引きの深い日本の弓はそのことに適している。つまり修養のための最良の形になっているのであり、また力学的にも完成されたものである。

だから弓は少し強めがよい。その方が自己を尽くし切ることができる。自己を尽くすとは一つひとつの動きに心を集中し弓を忘れることである。冴えた気で弓を引き、矢を頬につけて弓と一体になり、無心のうちに矢を放ち、矢は無心に飛んでいく。それが理想であるが、誰しも離れの瞬間、心がふっと浮き上がる。何事もなかったように平常心で射るのは難しいのである。

このように禅が教える無心にして活発なるはたらきは、日本文化の土台となって様々なことに活用されてきたのである。

     
外国人が見た弓道

弓道の目的は不動心を養うことにある。弓道が武道の中でいちばん格の高いものとされてきたのはそれが理由であり、そしてそのことは昔から外国人にも理解されていたのである。

「植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記」という長い名前の本がある。著者のハンス・モーリッシュは、現在のチェコ共和国(当時はオーストリア帝国)生まれの著名な植物学者であり、大正十一年から二年半にわたって日本に滞在し、東北大学で植物学を教えた人である。

彼はすばらしい体力と行動力を持っていたらしく、二年半という短い滞在にもかかわらず、北は当時は日本の領土であった樺太から、南は鹿児島まで調査旅行をしている。富士山にも登りすばらしい体験だったと感激しているが、植物がほとんど生えていないので植物学的には不毛の山だと書いている。

彼は身のたけ百九〇センチという大男であり、写真を見ると口ひげを蓄えた顔もひどく怖ろしげである。彼はあるとき日本人の助手にこんな事を言ったという。「お前もいつか一人前になったら、きれいなお嫁さんをもらうことだろうよ。そしてかわいい子供に恵まれるだろう。そうしたらその子供に私の写真を見せてこう言うがいい。これが鬼だよと」

そう言って顔をくしゃくしゃにして笑ったという。鬼のような顔と体つきのモーリッシュ先生であるが、日本人から大歓迎を受けたらしく、本の前書きにこんなことを書いている。

「夜明けの静けさにまどろんでいた日本にも、今日では西洋文明の最新の技術的所産が押しよせ、古い日本の伝統や習慣と隣り合わせに共存している。そんな日本での滞在は、私にとって興味深い体験と印象の連続であった。あの極東の国で、たとえようもなく親切で思いやりのある人々にかこまれて暮らしたことを、私は生涯忘れないであろう。それは私の人生行路に、輝かしい記念碑を打ち立てたのである」

この本を読むと、当時の日本を外国人の目で眺めることができ、そういう見方もあるのかと教えられることも多い。彼は弓道を見たときの感想を次のように書いている。

「射手はゆっくりと弓をひきしぼり、狙い、放つ。的に命中しても、的を外しても、彼の真剣な顔の表情は変わらない。まるで大理石像のようにもとの姿勢のままでいる。動かない硬直したままの姿は、克己心のお手本である。一分が過ぎてようやく、彼はふたたびひざまずく。それから次の者が順序正しく入れ代わるのである。

明治以前のサムライたちは、自分の感情が表に出ないよう抑えることに重きを置いていた。自己抑制こそは最高の美徳の一つとされた。サムライたちは苦しみや悲しみをみごとに隠し、死に臨んでは微笑をもってこれを待ち受けた。日本で弓道を目にした時、私はサムライたちが心がけた自己鍛錬のことを思い出した。というのも、射手たちを前にすると、この自己鍛錬の姿が誰の目にもはっきりと迫ってくるからである。

的に命中してもあわてることなく、興奮することもなく、笑うこともなく、うれしそうに目を輝かせることもない。そして矢が黒点を外れても、まつ毛一本動かさない。このようにして己に打ち克つこと、そして落ちつきを身につけること、ここにこそ弓道の大いなる教育的価値と、そこから受ける美的印象があると私は思うのである。この美的印象は矢を放つ射手の、文字どおり絵のように美しい構えによって、なおいっそう高められる。

弓道でいちばん大切なのは的に命中させることではなく、正しく構えることであり、顔の表情も肉体の動きも止めて、身心を静止状態にまで高めることにあると思われるほどである」

参考文献「植物学者モーリッシュの大正ニッポン観察記」ハンス・モーリッシュ著 瀬野文教訳 2003年 草思社

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