臨済禅師の話

私が住職している寺は臨済宗(りんざいしゅう)南禅寺派の寺院である。つまり宗派は臨済宗、本山は京都の南禅寺ということであるが、臨済宗のことは南禅寺ほどには知られていないと思う。またその宗祖のことも知らない人が多いと思う。ここではそうしたことを簡単に説明してから、臨済録からの抜き書きでもって宗祖の教えをご紹介したい。

臨済宗は日本の禅宗三派のうちの一つであり、あとの二派は曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)である。中国から日本に伝わった禅の流れは、二十四流あったとされるが、その多くは臨済宗に属していたのであり、最初に伝わったのも栄西(えいさい)禅師が伝えた臨済宗の流れであった。禅師はお茶を伝えたことでも知られていて、京都に建仁寺を開いた。

臨済宗という宗名は宗祖の名前からきている。宗祖の臨済義玄(りんざいぎげん。?〜八六七年)禅師は、今から千二百年ほど前に、山東省南華で生まれた人で、鎮州(ちんじゅう)の臨済院に住したことから臨済禅師と呼ばれたのである。鎮州はいまの河北省正定県を中心とする地域であり、臨済院は北京の南南西二百キロほどのところに位置している。臨済の済の字には「川の渡し場」の意味があり、コダ河の渡し場に臨(のぞ)む地に建てられたことから、臨済院と名付けられたという。

臨済禅師が生きたのは唐王朝末期の激動の時代であった。唐王朝は禅師の没後四〇年の九〇七年に滅亡したのであり、そうした時代背景が影響しているのか、臨済禅には活発な働きを重視する家風と、馬上から軍を指揮するような威風堂々たる風格が備わっている。臨済禅が「臨済将軍」と形容されてきたのはそのためである。

禅師は幼いときから衆にすぐれ、孝行者として有名であった。ところが出塵の志が強かったため出家し、まず経律論の三蔵を綿密に学んだが、あるとき嘆じて言った。「こういう学問は世間の人々を導くための処方箋であって仏教の核心ではない」

そしてすぐに修行の旅に出て黄檗禅師に参じ、修行態度は純一であった。それを見た首座(しゅそ。第一座の僧)が、この若者は人と違ったところがあると感心し、質問した。

「そなたはここへ来てどれ程になる」

「三年になります」

「これまで黄檗和尚に参じたことがあるか」

「参じたことはありません。何をたずねたらよいのかもわかりません」

「なぜ仏法の核心は何かと問わないのだ」

そこですぐに和尚に参じ、仏法の核心を質問したところ、その声がまだ終わらないうちにしたたかに打ちすえられた。戻ってきた臨済に首座が様子をきくと、

「まだ言い終わらないうちに打ちすえられました。私には訳が分かりません」

「ならばもう一度いって質問してこい」

こうして三たび質問して三たび打たれた。そのため臨済は首座に言った。

「幸いに慈悲をこうむって和尚に質問することができましたが、三度問いを発して三度打たれました。何か障りがあるらしく、私には深い意味を悟ることができません。しばらく他で修行しようと思います」

「下山するときは必ず和尚に挨拶していきなさい」

首座は先回りして黄檗和尚に言った。「あの若者ははなはだ真面目です。やって来たら導いてやってください。将来かならず一株の大樹となり、人々のために涼しい木陰を作るでしょう」

臨済が出立の挨拶に行くと和尚が言った。「そなたは大愚(たいぐ)和尚の元へ行くがよい。ほかへ行ってはならぬ。きっとそなたのために説いてくれるであろう」

大愚和尚のところへ行くと和尚がたずねた。

「どこから来た」

「黄檗和尚のところから来ました」

「黄檗和尚はどのように教えているのか」

「私は三たび仏法の核心は何かと質問し、三たび打たれました。私に一体どんな落ち度があったのでしょう」

「黄檗は老婆のように親切な和尚だ。くたくたになって仏法の核心を教えてくれたのに、更にわしの所へやって来て何か落ち度があったのかと聞くのか」

臨済は言下に大悟して言った。「黄檗和尚の教えはまさに核心そのものだったのだ」

こうして臨済は黄檗和尚のもとへ帰り、その法を嗣いだのであった。

禅師の遺体をおさめた臨済塔の塔記によると、禅師は西暦八六七年一月十日に亡くなり、慧照(えしょう)禅師と謚(おくりな。贈り名。死後に天子から名を贈られること)された。だから一月十日が臨済忌であるが、四月十日とする説もある。

臨済禅師に関する資料は臨済録の中にまとめられているので、以下にその抜き書きでもって宗祖の教えをご紹介したい。語録中の王といわれるだけに、臨済録の気迫に満ちた言葉を読んでいると元気が出てくる。唐代の俗語混じりの文でありるから読みにくい部分もあるが、繰りかえし読んで味わっていただきたい。

     
一無位の真人

「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位(いちむい)の真人(しんにん)あり。常に汝ら諸人の面門(めんもん)より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ」

「道流(どうる。修行者よ)。大丈夫児は今日まさに知る、本来無事なることを。ただ汝が信不及なるが為に、念々馳求(ちぐ。求めまわる)して、頭を捨てて頭をもとめ、自らやむこと能わず」

「仏法を学する者は、しばらく真正の見解(けんげ)を求めんことを要す。もし真正の見解を得れば、生死に染まず、去住自由なり。殊勝を求めんと欲っせざれども、殊勝おのずから至る」

「山僧が人に指示するところの如きは、ただ汝が人惑(にんわく)を受けざらんことを要す。用いんと要せばすなわち用いよ。更に遅疑(ちぎ。ぐずぐず)することなかれ。いまの学者の得ざるは、病いずれの処にかある。病は不自信のところにあり。

汝、もしよく念々馳求の心を歇得(けっとく。断ち切ること)せば、すなわち祖仏と別ならず。

汝、祖仏を知らんと欲するや。ただ汝、面前聴法底(めんぜんちょうぼうてい。私の目前で話を聞いている汝自身)これなり。学人、信不及にして、すなわち外に向かって馳求す。たとえ求め得る者も、みなこれ文字の勝相にして、ついに、かの活祖意を得ず。

山僧が見処に約せば釈迦と別ならず。今日、多般の用処(ゆうじょ。はたらき)なにをか欠少(かんしょう。不足)す。六道の神光いまだかって間歇(かんけつ。途切れる)せず。もしよく是くの如く見得せば、ただこれ一生無事の人なり」

「無事是れ貴人、ただ造作することなかれ。ただ是れ平常なれ。汝、外に向かって傍家(ぼうけ。わき道)に求過(ぐか)して脚手を求めんとほっす。あやまり了れり。ただ仏を求めんとほっするも、仏は是れ名句なり。汝、還(は)た馳求する底(てい。主体)をしるや。

三世十方の仏祖出で来るも、またただ法を求めんが為なり。いま参学の道流もまたただ法を求めんが為なり。法を得て始めて了る。未だ得ざればいぜんとして五道(ごどう。六道に同)に輪廻す。

いかなるか是れ法。法とは是れ心法(しんぽう)。心法は形無くして、十方に通貫し、目前に現有す。人は信不及にして、すなわち名を認め句を認め、文字の中に向かって仏法を意度せんと求む。天地はるかにことなる」

「山僧は一法の人に与うる無し。ただこれ病を治し縛(ばく)を解く。汝、諸方の道流、試みに物に依らずして出で来たれ」

「汝、もし仏を求むれば、すなわち仏魔に摂(せっ)せられん。汝もし祖を求むれば、祖魔に縛せられん。汝もし求むること有れば皆な苦なり。如かず無事ならんには」

「問う、如何なるか是れ西来意(せいらいい。達磨大師が西の国インドから中国にやって来た真意は何か)。師曰く、もし意あらば自救不了(じぐふりょう。自らを救うこともできない)。曰く、すでに意無くんば、いかんが二祖、法を得たる。師曰く、得というは是れ不得なり。

曰く、もし不得ならば、いかんが是れ不得底の意。師曰く、汝が一切処に向かって馳求の心やむこと能わざるが為なり。ゆえに祖師言う、咄哉(とつさい。コラッ)丈夫、頭をもって頭をもとむと。

汝、言下にすなわち自ら回光返照(えこうへんしょう。自心を照らし自心に目ざめる)して、さらに別に求めず、身心の祖仏と別ならざるを知って、当下に無事なるを、まさに得法と名づく」

「大徳、三界やすきこと無く、なお火宅の如し。これは是れ汝が久しく停住する処にあらず。無常の殺鬼、一刹那の間に、貴賎老少をえらばず。汝、祖仏と別ならざらんと要せば、ただ外に求むることなかれ」

「道流、心法は形無くして、十方に通貫(つうかん)す。眼にあっては見といい、耳にあっては聞といい、鼻にあっては香をかぎ、口にあっては談論し、手にあっては執捉(しっそく)し、足にあっては運奔(うんぽん)す。もと是れ一精明(いちせいめい)、分かれて六和合(ろくわごう)となる。一心すでに無ければ随所に解脱す」

「汝、一念不生ならば、すなわち是れ菩提樹にのぼって、三界に神通変化し、法喜禅悦(ほっきぜんえつ)して、身光みずから照らさん。衣を思えば羅綺(らき)千重、食を思えば百味具足して、さらに横病(おうびょう)なし。菩提には住処なし。この故に得る者もなし」

「道流、汝、仏とならんと欲すれば、万物に随うこと莫れ。心生ずれば種々の法生じ、心滅すれば種々の法滅す。一心生ぜざれば万法(ばんぽう)咎(とが)なし」

「大器の者の如きは、直に人惑を受けざらんことを要す。随処に主となれば、立処みな真なり。あらゆる来者は、みな受くることを得ざれ。汝が一念の疑は、すなわち魔の心に入るなり。

菩薩の疑う時の如きは、生死の魔便りを得。ただよく念をやめよ。更に外に求むること莫れ。物来たらば即ち照らせ。汝はただ現今用うる底を信ぜよ。一箇の事もまた無し。汝が一念心は、三界を生じて、縁に随い境をこうむって、分かれて六塵となる」

「それ真の学道人の如きは、並びに仏をとらず、菩薩羅漢をとらず、三界の殊勝をとらず。はるかに独脱して、物とかかわらず。乾坤倒覆(けんこんとうふく。天地がひっくり返る)すとも、我れさらに疑わず。十方の諸仏現前すとも、一念心の喜なく、三途地獄頓に現ずとも、一念心の怖れなし。

何によってかかくの如くなる。我れ見るに、諸法は空相にして、変ずれば即ち有、変ぜざれば即ち無。三界唯心、万法唯識なり。ゆえに夢幻空花(むげんくうげ)なんぞ把捉を労せん。

ただ道流、目前現前聴法底の人のみ有って、火に入っても焼けず、水に入ってもおぼれず、三途地獄に入るも園観(おんかん。花園)に遊ぶがごとく、餓鬼畜生に入ってしかも報を受けず。

何によってかかくの如くなる。嫌う底の法(ほう。存在)無ければなり。汝もし聖を愛し凡を憎まば、生死海裏に浮沈せん。煩悩は心によるが故に有り、無心ならば煩悩何ぞかかわらん」

「大徳、因循(いんじゅん。ぐずぐず)として日を過ごすこと莫れ。山僧、往日(そのかみ)、いまだ見処あらざりし時、黒漫漫地(こくまんまんじ。真っ暗闇)なりき。光陰むなしく過ごすべからず、腹熱し心忙しく、奔波(ほんぱ。奔走)して道を訪(と)う。

後に還って力を得て、始めて今日に到って、道流と是のごとく話度(わたく。対話)す。諸の道流に勧む。衣食の為にすること莫れ。看よ、世界は過ぎやすく、善知識には遇いがたし。優曇華(うどんげ。三千年に一度咲く花)の時に一たび現ずるが如くなるのみ」

「自ら見障を起こして、以て心を礙(さ)う。日上に雲なければ、天にかがやいて普く照らす。眼中に翳(えい。かげ)なければ、空裏に花なし。

道流、汝、如法ならんと欲すれば、ただ疑いを生ずること莫れ。展(の)ぶるときは法界(ほっかい。世界)に弥綸(みりん。満ちあふれる)し、収むるときは糸髪も立たず。歴々弧明(れきれきこめい)にして、未だかって欠少せず。

眼見ず、耳聞かず、喚んでなに物とか作す。古人いわく、説似一物則不中(せつじいちもつそくふちゅう。ひと言でも説けば的をはずれる)と。

汝、ただ自家に看よ。更になにか有らん。説くもまた無尽。各自に力を著けよ。珍重(ちんちょう。ご苦労さん)」

参考文献
「入矢義高訳注。臨済録」 1989年 岩波文庫

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