観音経の話

広大無辺なる智慧と慈悲の威神力でもって、人々を救ってくれるのが観音さまであり、その衆生済度のはたらきを分かりやすく説く経が観音経である。この経の影響力はきわめて大きく、京都の三十三間堂の千体観音に代表される熱烈な観音信仰は、この一巻の経典によって成立したといっても過言ではないのである。

観音経は全二十八章からなる法華経の第二十五章を、独立した一つの経にしたものである。そうしたことができたのは、もともとこの経が独立した一つの経だったからであり、第二十五章は観音信仰を説く経が中国で法華経に編入されてできたものである。

それがこの経の正式名が「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」となっている理由であり、普門品(ふもんぼん)の普門は普遍の門、品は章を意味し、そして普遍の門は観音さまのお顔があらゆる方向に向いていることを意味する。それを具体的な形にしたのが十一のお顔をもつ十一面観音であり、千の手と千の眼をもつ千手千眼(せんじゅせんげん)観音なのである。

また観音さまは三十三身に変化(へんげ)して、いかなる時いかなる場所であろうとも姿をあらわし、人々を救ってくれるという。これを普門示現(ふもんじげん)のはたらきといい、三十三は無数の姿に身を変えることを意味している。

二宮尊徳翁は報徳記によると、ある行脚の僧が読みくだしの観音経を読んでいるのを聞いて、一度で観音経の奥義を悟ったという。そして貧しい人々を救うことに一生を捧げる決心をし、二宮尊徳観音となって多くの人々を救済したのである。

このようにして観音菩薩は、さまざまな姿でさまざまな場所に姿をあらわすのであり、人助けをしている人はすべて観音さまである。観音経がいちばん言いたいことは、観音菩薩とは実は私たち自身であり、すべての人は仏心を持ったかけがえのない存在だということである。それが大乗経典のいちばん言いたいことなのである。

観音経には観音さまによる救いがくり返し説かれている。観音菩薩の名を一心にとなえれば、燃えさかる火の穴へ落ちたときにはその穴は池に変わり、海で嵐に遭っても船は沈まず、高い山から落ちてもケガをせず、刀で切りつけられたら刀が砕けるなど、火難、水難、風難、剣難、などあらゆる災難から救われるとある。また財宝や子宝を授かるとか、迷いの心がなくなるとか、災難に会ったときには無畏の心をさずかる、だから観音さまは施無畏者(せむいしゃ)と呼ばれる、とか説かれている。

そのため観音経はご利益(りやく)ばかり説くお経だと思う人が多く、私も始めはそう感じていたのであるが、くり返し読んでいるとそこに深い意味が含まれていることが分かってくる。この経は二重底になっていて、書いてある通りに理解することも、深い意味に理解することもできるようになっているのである。

またあらゆる人々の、あらゆる願いを聞き届けることを悲願とする、慈悲の化身である観音さまは、高尚な願いはかなえるが、ありきたりの願いはかなえないといった差別はしない、と暗に主張しているようにも感じる。

この経が多くの宗派で読まれているのは、観音さまの救いを分かりやすく説く内容の良さとともに、難しい字がほとんど出てこない読みやすさ、音読するときの発声のしやすさ、といった長所をこの経が具えているからだと思う。

観音経の中には宝石のような言葉が散りばめられており、とくに偈(げ。詩の形式の文)の部分にはたくさん含まれている。だからこの経を理解するには、そうした言葉を手掛かりにするのが近道であるし、この経の味わいもそこにある。偈は五文字で一行、四行で一区切りになっている。これは漢詩でいえば五言絶句の形であるが、漢詩の規則である韻(いん)や平仄(ひょうそく)は調えられていない。

以下に観音経の偈の一部分を抜き書きでご紹介する。これらは自心の観音さまに目覚めることで実現することばかりである。

    
観音経のいいとこ取り

  
 和訳

困難や災難をこうむり、はかり知れない苦しみが身にせまったとき、観音さまの妙なる智慧の力は、世の中のすべての苦しみから人々を救う。

神通力を身につけ、あらゆる智慧の手段を修し、いかなる場所いかなる時であろうと、たちどころにその姿を現わす。

種々の苦しみに満ちた迷いの世界の、地獄や餓鬼や畜生の苦しみも、生老病死の苦しみも、ことごとく消滅させる。

真実をみる心、清浄なる心、広大なる知恵のはたらきの心、大悲の心、大慈の心、このような観音さまの心を理想とし、常に願い求めなければならない。(これを観音経の五観という)

けがれなき清浄な光を放ち、その智慧の輝きはもろもろの迷いの闇を破り、災いの風火をよく鎮めて、あまねく世界を明らかに照らす。

大悲の体である戒めは雷の震(ふる)うがごとく、大慈の心の妙なること巨大な雲のごとく、甘露の教えを降りそそぎ、煩悩の炎を消滅する。

争いごとが裁判になったり、戦場で恐れおののくような事になっても、観音さまの威神力を念ずるならば、全てのうらみや憎しみはことごとく退散する。

妙なる音の如き観世音菩薩、その海鳴りの如くとどろき渡る清らかな音は、この世の最勝の音であるから、常に観世音菩薩を心に念じなければならない。

一念たりとも疑いを生じてはならない。浄らかで聖なる観世音菩薩は、悩みや死の苦しみの場においても、偉大なるより所となる。

あらゆる功徳を身につけ、慈しみの眼で生きとし生けるものを見守る。その福徳は海のように広く大きくはかることもできない。このゆえに心をこめて礼拝せよ。

  
 原文と音読

【原文】衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦。

【音読】しゅーじょーひーこんやく、むーりょうくーひっしん、かんのんみょうちーりき、のうぐーせーけんぐー。

【原文】具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身。

【音読】ぐーそくじんづうりき、こうしゅうちーほうべん、じっぽうしょうこくどー、むーせつふーげんしん。

【原文】種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅。

【音読】しゅーじゅーしょーあくしゅー、じーごくきーちくしょう、しょうろうびょうしーくー、いーぜんしつりょうめつ。

【原文】真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰。

【音読】しんかんしょうじょうかん、こうだいちーえーかん、ひーかんぎゅうじーかん、じょうがんじょうせんごう。

【原文】無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間。

【音読】むーくーしょうじょうこう、えーにちはーしょーあん、のうぶくさいふうかー、ふーみょうしょうせーけん。

【原文】悲体戒雷震 慈意妙大雲 じゅ甘露法雨 滅除煩悩炎。(じゅ、は樹の木ヘンをサンズイにした字。意味は、そそぐ、うるおす)

【音読】ひーたいかいらいしん、じーいーみょうだいうん、じゅーかんろーほううー、めつじょーぼんのうえん。

【原文】諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散。

【音読】じょうしょうきょうかんじょー、ふーいーぐんじんちゅう、ねんぴーかんのんりき、しゅーおんしったいさん。

【原文】妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念。

【音読】みょうおんかんぜーおん、ぼんのんかいちょうおん、しょうひーせーけんのん、ぜーこーしゅーじょうねん。

【原文】念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙。

【音読】ねんねんもっしょうぎー、かんぜーおんじょうしょう、おーくーのうしーやく、のういーさーえーこー。

【原文】具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼。

【音読】ぐーいっさいくーどく、じーげんじーしゅーじょう、ふくじゅーかいむーりょう、ぜーこーおうちょうらい。

  
 訓読

衆生が困厄(こんやく)を被って、無量の苦の身に逼(せま)らんに、観音妙智の力、よく世間の苦を救う。

神通力を具足し、広く智の方便を修し、十方のもろもろの国土にして、刹(せつ)として身を現ぜざることなし。

種々もろもろの悪趣、地獄、鬼、畜生、生老病死の苦、もって漸(ようや)く悉(ことごと)く滅せしむ。

真観、清浄観、広大智慧観、悲観および慈観あり、常に願い常に瞻仰(せんごう。仰ぎ見る)すべし。

無垢清浄の光あって、慧日(えにち)もろもろの闇を破し、よく災いの風火を伏して、あまねく明らかに世間を照らす。

悲体の戒は雷震のごとく、慈意の妙なること大雲のごとく、甘露の法雨をそそぎ、煩悩の炎を滅除す。

諍訟(じょうしょう)して官処を経(へ)、軍陣中に怖畏(ふい。おそれる)せんに、彼の観音力を念ぜば、もろもろの怨(あだ)は悉(ことごと)く退散せん。

妙音観世音、梵音海潮音、勝彼世間音あり、この故にすべからく常に念ずべし。

念念に疑いを生ずるなかれ、観世音浄聖は、苦悩や死厄(しやく。死の苦しみ)において、よく為に依怙(えこ。よりどころ)となる。

一切の功徳を具して、慈眼をもって衆生を視る、福聚の海は無量なり、是の故にまさに頂礼(ちょうらい)すべし。

参考文献「訓訳妙法蓮華経並開結」平楽寺書店版。昭和32年発行

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