末期の一句

末期(まつご)の一句を大切にしようという提案が雑誌に載っていた。心にひびくすばらしい言葉を残し、一生に一度しかない臨終に花を添えようという提案である。

そして代表的な末期の一句として、まず感謝の言葉があげられていた。家族の手を握りながら、「ありがとう。みんなのお陰で私は幸せだった」と感謝の言葉で人生を締めくくり、すすり泣きに包まれながら旅立つという方法であり、これは嫌みがないだけに、失敗するおそれも少ない一句だという。

また名言や教訓を末期の一句にする方法もある。その場合、出だしを「人生は」とすると作りやすいという。例えば「人生は賽の河原で石を積むようなものだ」とか、「人生はいいことも悪いことも最後には帳尻が合うものだ」とか、「人生の価値は死ぬ間際にならないと分からないものだ」などであり、こうした月並みな言葉であっても末期の一句となれば重みが違ってくるのだから、ましてや達人にしか言えないような心にのこる名句を吐けば、その効果は絶大である。ただしあまり長いものを用意すると、言いおわる前にこと切れてしまう心配がある。

意外な告白で人生を締めくくる手もある。「床下に一億円埋めてある」などの言葉でみなを驚かせ、驚愕する顔を見ながら旅立つ方法である。また「一億円を埋めた場所は」と、隠し場所をなぞ解きにする意地悪な方法もある。ただし末期のうそはいけないから、ちゃんとお金を用意しておく必要がある。

「最後のお願い」で人生を締めくくる手もある。「お墓に真っ赤なバラを供えてほしい」とか、「お仏壇に大好きな大福餅を供えてほしい」などとお願いすれば、供えるたびに思い出してもらえる。

しかしどんなに素晴らしい言葉を用意しても、伝えられなければ無駄になってしまう。今ではほとんどの人が病院で亡くなっているが、その場合、絶対安静ということで家族でさえ臨終に立ち会えないこともあるし、気管に管を入れられて声が出せなくなってしまうこともある。

だから死が避けられないと分かったら、人生最後の場を孤独と苦痛に満ちたものにしないためにも、以後の検査や治療はことわる方がいいかもしれない。そして痛みだけ和らげてもらい、できれば残された時間を家族とともに安らかに過ごし、お気に入りの犬や猫を抱きながら、選びぬかれた末期の一句を残して旅立つのである。

シェークスピア曰わく、「終わりよければ、すべてよし」

参考文献「レッツ遺言」 安藤淳代 大法輪平成14年12月号112頁

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