大乗戒の話

菩薩戒とも呼ばれる大乗戒は、菩薩としての理想の生き方をさし示すために制定された大乗仏教独自の戒であり、心構えに重点が置かれているため罰則規定はなく、菩薩たらんことを望む人には男女や出家在家のちがいに関係なく授けられた。

代表的な大乗戒には、瑜伽師地論(ゆがしじろん)にある三聚浄戒(さんじゅじょうかい)と、梵網経(ぼんもうきょう)にある十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)、および四十八軽戒(しじゅうはちきょうかい)の三つがあり、梵網経は大乗戒を説く第一の経典として日本と中国でとくに重要視された。ただし経や論の中で戒が説かれるのは変則的なことといえなくもない。

また具足戒は一般の法律と同様の罰則規定をそなえた戒であるため、あいまいな部分が残らないように内容や適用範囲がきっちりと定義されているのに対し、大乗戒は努力目標を説いているせいか、あいまいな面が多いように感じるし、実行がほとんど不可能と思われるような戒もある。なお大乗戒ができたことで具足戒は小乗戒と呼ばれるようになったが、これは大乗側からの呼び名である。

大乗仏教を標榜する日本や中国の出家修行者は、もともとは具足戒と大乗戒の両方を受戒していた。ところが伝教大師が具足戒を小乗戒として退け、比叡山に独自の戒壇をつくって円頓戒(えんどんかい)と称する大乗戒のみの授戒をおこなうようになってから、具足戒は日本では軽視あるいは無視されるようになっていった。

伝教大師の流れをくむ道元禅師は、やはり大乗戒だけで受戒が完了するとして具足戒を退け、大乗戒として十六条戒(じゅうろくじょうかい)を立てた。それは三帰戒、三聚浄戒、十重禁戒の三つを合わせた十六条の戒であり、一切の戒法はこの中におさめ尽くされているとして、これを仏祖正伝菩薩戒あるいは禅戒と呼んだ。臨済宗も戒に関しては道元禅師にならっており、得度式では三帰戒、三聚浄戒、十重禁戒を授けている。また在家の人の授戒会では、三帰戒、三聚浄戒、五戒を授ける。

梵網経の中に大乗戒の根本理念をあらわす次の言葉がある。「大衆、心にあきらかに信ぜよ。汝は当にこれから成仏する仏、われは既に成仏した仏なりと。常にかくの如きの信をなせば戒品すでに具足す。一切、心あらん者は皆まさに仏戒を摂(しょう)すべし。衆生、仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じうしおわる。まことに是れ諸仏のみ子なり」

だから大乗戒の根本は「衆生本来仏なり」の言葉で言い尽くされていると思う。自らが本来仏であると信ずること、自己の本心である仏心に目覚めるべく努力すること、そして仏としての自覚に基づいた生活をすること、これらが大乗戒の根本なのであり、そのため大乗戒は、仏性戒、一心戒、心地戒とも呼ばれる。

以下に、三帰戒、三聚浄戒、十善戒、達磨一心戒、十重禁戒、四十八軽戒、をご紹介する。これらが大乗戒と呼ばれる戒の主なものだと思う。

     
三帰戒(さんきかい)

三帰戒は三宝(さんぼう)に帰依することを戒としたもので、三宝とは仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝、つまり仏と、仏によって説かれた法と、出家と信徒の集いである僧伽(そうぎゃ。サンガ)の三つである。

三帰を戒に含めることは道元禅師から始まったとされ、その理由は三宝に帰依することが仏弟子になるための入口だからという。「仏弟子となること、かならず三帰に依る。いづれの戒をうくるとも、かならず三帰をうけてそののち諸戒をうくるなり。しかあれば、すなわち三帰によりて得戒あるなり」(正法眼蔵、帰依三宝)

三帰戒文
さんきかいもん

南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧
なむきえぶつ、なむきえほう、なむきえそう

帰依仏無上尊、帰依法離欲尊、帰依僧和合尊
きえぶつむじょうそん、きえほうりよくそん、きえそうわごうそん

帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟
きえぶっきょう、きえほうきょう、きえそうきょう

     
三聚浄戒(さんじゅじょうかい)

戒はふつうは止悪(しあく)を目的として制定されるものであり、具足戒もそこに重点が置かれているが、大乗戒は止悪、行善(ぎょうぜん)、利他(りた)の三つを目的としており、その目的をそのまま戒にしたのが三聚浄戒である。これは「衆生本来仏なり」をもう少し具体化したもの、国の法律でいえば憲法のごときものといえる。なお三聚浄戒の聚は集まり、浄戒は清浄の戒法を意味しており、すべての戒はこの三つに含まれるとしてこの名がある。

第一、摂律儀戒(しょうりつぎかい)。一切の悪不善を行うことなかれ。(摂の字はこの戒にすべてが含まれることを意味しており、一切の止悪の戒はこの戒に含まれるとするのであるが、とくに十善戒、十重禁戒、四十八軽戒の止悪の面を指すという)

第二、摂善法戒(しょうぜんぼうかい)。一切の福善を行うべし。(一切の善なるおこないはこの戒に含まれるが、とくに十善戒、十重禁戒、四十八軽戒の行善の面を指すという)

第三、摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)。一切の衆生を救済利益すべし。(一切の衆生を利益するおこないはこの戒に含まれるが、とくに十善戒、十重禁戒、四十八軽戒の利他の面を指すという)

     
十善戒(じゅうぜんかい)

十善戒は初期の仏教ですでに説かれていた十善の教えを、菩薩のための戒にしたものであり、三聚浄戒をさらに具体化したものといえる。なお殺したり盗んだりといった十善に反することを十悪(じゅうあく)という。

第一、不殺生戒(ふせっしょうかい)。殺すなかれ。

第二、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)。盗むなかれ。

第三、不邪淫戒(ふじゃいんかい)。邪淫するなかれ。
 
以上の三は身に関するもの。

第四、不妄語戒(ふもうごかい)。うそをつくなかれ。

第五、不悪口戒(ふあっくかい)。悪口を言うなかれ。

第六、不両舌戒(ふりょうぜつかい)。仲たがいさせることを言うなかれ。

第七、不綺語戒(ふきごかい)。飾った言葉、意味のない言葉、人におもねる言葉、を発するなかれ。(汚れた心から出た言葉の中で、上記の四、五、六に入らないものが綺語とされる)

以上の四は語に関するもの。

第八、不貪欲戒(ふとんよくかい)。むさぼるなかれ。

第九、不瞋恚戒(ふしんにかい)。怒るなかれ。

第十、不邪見戒(ふじゃけんかい)。愚痴の心を持つなかれ。

以上の三は意に関するもの。

     
達磨一心戒(だるまいっしんかい)

臨済宗で重視されている達磨一心戒あるいは無相心地戒(むそうしんちかい)と呼ばれる戒がある。これは大乗戒というよりも禅戒と呼ぶべきもので、達磨大師が南岳慧思(なんがくえし)禅師に伝えた戒とされ、達磨大師相承一心戒文(だるまだいしそうじょういっしんかいもん)という写本で伝わっている。

自性霊妙(じしょうれいみょう)、常住の法に於いて、断滅(だんめつ)の見を生ぜざるを名づけて不殺生(ふせっしょう)戒となす。

自性霊妙、不可得の法に於いて、可得の見を生ぜざるを名づけて不偸盗(ふちゅうとう)戒となす。

自性霊妙、無着(むじゃく)の法に於いて、愛着の見を生ぜざるを名づけて不淫欲(ふいんよく)戒となす。

自性霊妙、不可説の法に於いて、可説の相を生ぜざるを名づけて不妄語(ふもうご)戒となす。

自性霊妙、本来清浄の法に於いて、無明を生ぜざるを名づけて不飲酒(ふおんじゅ)戒となす。

自性霊妙、無過患(むかかん)の法に於いて、罪過の相を生ぜざるを名づけて不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい)戒となす。

自性霊妙、平等の法に於いて、自他の見を生ぜざるを名づけて不自讃毀他(ふじさんきた)戒となす。

自性霊妙、真如遍法界(しんにょへんほっかい)に於いて、一相の慳執(けんしつ)を生ぜざるを名づけて不慳貪(ふけんどん)戒となす。

自性霊妙、無我の法中(ほっちゅう)に於いて、実我を計らざるを名づけて不瞋心不受懺謝(ふしんしんふじゅざんしゃ)戒となす。

自性霊妙、一切法中に於いて、生仏(しょうぶつ。衆生と仏)の二見を生ぜざるを名づけて不謗三宝(ふぼうさんぼう)戒となす。

     
十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)

つぎに梵網経の十重禁戒と四十八軽戒を要約してご紹介するが、戒文がやたらと長かったり、一つの戒にいくつもの要素が含まれていたりして、主旨がどこにあるのかはっきりしない戒ばかりなので、名前から主旨を判断して要約した。

十重禁戒の内容は十善戒とよく似ているが、十善戒にある語に関する四つの戒、第四不妄語戒、第五不悪口戒、第六不両舌戒、第七不綺語戒が、十重禁戒では第四故心妄語戒、第六談他過失戒、第七自讃毀他戒の三つになっており、新たに第五コ酒生罪戒が加わっている。

第一、快意殺生戒(けいせっしょうかい)
仏子、自ら殺し、人をして殺さしめ、あるいは方便して殺し、殺すことを讃嘆し、殺すことに同伴し、呪して殺す、などのことをしてはならない。菩薩は慈悲心をおこして一切衆生を救うべきであるのに、自らほしいままなる心、快き心をもって殺生するは菩薩の波羅夷罪(はらいざい。極重罪)なり。(十善戒の不殺生戒に相当する)

第二、劫盗人物戒(こうとうにんもつかい)
汝、仏子、一針一草にいたるまで、みずから盗み、人をして盗ませてはならない。菩薩は一切の人を助けて福と楽を生じさせるべきであるのに、人の財物を盗むは菩薩の波羅夷罪なり。(十善戒の不偸盗戒に相当する)

第三、無慈行欲戒(むじぎょうよくかい)
汝、仏子、自ら婬し人をして婬をさせてはならない。菩薩は一切衆生を救い、浄法を人に与うべきであるのに、人に婬を起こさしめ、婬を行じて慈悲心なきは、菩薩の波羅夷罪なり。(十善戒の不邪淫戒に相当する)

第四、故心妄語戒(こしんもうごかい)
汝、仏子、自ら妄語し人をして妄語させてはならない。菩薩はつねに正語正見を生じ、また一切衆生に正語正見を生じさせるべきであるのに、一切衆生に邪語、邪見、邪業を起こさせるは菩薩の波羅夷罪なり。(十善戒の不妄語戒に相当する)

第五、コ酒生罪戒(こしゅしょうざいかい。コは配の字の己のかわりに古。酒を売ったり買ったりする意味がある)
汝、仏子、自ら酒を売り人をして売らせてはならない。酒は罪を起こす因縁なり。菩薩は一切衆生に智慧を生じさせるべきであるのに、一切衆生に顛倒の心を生じさせるは菩薩の波羅夷罪なり。

第六、談他過失戒(だんたかしつかい)
汝、仏子、自ら出家在家の菩薩、比丘比丘尼の罪過をみずから説き人をして説かしめてはならない。菩薩は人を教化して大乗の善信を生ぜしむべきであるのに、自ら仏法中の罪過を説くは菩薩の波羅夷罪なり。(十善戒の不悪口戒に相当する)

第七、自讃毀他戒(じさんきたかい)
汝、仏子、自らをほめ他をそしることを、自ら行ったり人にさせたりしてはならない。菩薩は悪事を自分が受け、好事を人に与うべきであるのに、おのれが徳を挙げ他人の好事を隠してそしりを受けさせるは、菩薩の波羅夷罪なり。

第八、慳生毀辱戒(けんしょうきにくかい)
汝、仏子、自ら慳(やぶさか)にし、人をして慳ならしめてはならない。菩薩は人の来たって乞うを見ては一切を与うべきであるのに、悪心や怒りの心をもって一銭、一針、一草をも施さず、一句、一偈、一微塵の法も説かず、更にののしり侮辱するは菩薩の波羅夷罪なり。(十善戒の不貪欲戒に相当する)

第九、瞋不受謝戒(しんふじゅしゃかい)
汝、仏子、自ら怒り人をして怒らせてはならない。菩薩は善根無諍(むじょう。争いの無いこと)の事を生ぜしむべきであるのに、人が悔い改めて謝罪してもなお怒って解けざるは、菩薩の波羅夷罪なり。(十善戒の不瞋恚戒に相当する)

第十、毀謗三宝戒(きほうさんぼうかい)
自ら三宝をそしり、人をしてそしらせてはならない。菩薩は一言の仏をそしる声を聞けば、三百の剣をもって胸を刺すがごとくあるべきなのに、邪見の人を助けて三宝をそしるは菩薩の波羅夷罪なり。(十善戒の不邪見戒に相当する)

     
四十八軽戒(しじゅうはちきょうかい)

第一、不敬師長戒(ふきょうしちょうかい)。師、先輩、同輩に対しては恭敬の心をもって如法に接しなければならない。

第二、飲酒戒(おんじゅかい)。酒を飲んだり飲ませたりしてはならない。

第三、食肉戒(じきにくかい)。肉を食べてはならない。肉を食せば大慈悲の仏性の種子を断じ、無量の罪を得る。

第四、食五辛戒(じきごしんかい)。五辛を食べてはならない。(五辛はニンニク、ネギの類)

第五、不挙教懺戒(ふこきょうさんかい)。戒を犯した人を見たら、教えて懺悔させなければならない。

第六、住不請法戒(じゅうふしょうほうかい)。常に大乗の法師を請じて供養し、説法してもらう事を怠ってはならない。

第七、不能遊学戒(ふのうゆうがくかい)。新学の菩薩は経や律を持って一切の説法の所へ行き、聴受しなければならない。

第八、背正向邪戒(はいしょうこうじゃかい)。大乗の経律にそむく二乗、声聞、外道の悪見の禁戒、邪見の経律を受持してはならない。

第九、不瞻病苦戒(ふせんびょうくかい)。病気の人を見たら仏に対するごとく供養し救済しなければならない。八福田(はちふくでん)のなか看病福田は第一の福田なり。(八福田とは、仏、聖人、和尚、阿闍梨《あじゃり》、僧、父、母、病人の八つ。これらを恭敬供養すれば無量の福を受く)

第十、畜殺生具戒(ちくせっしょうぐかい)。殺生をするための武器や道具を蓄えてはならない。

第十一、通国使命戒(つうこくしみょうかい)。国や軍隊に対し戦争のための協力をしてはならない。

第十二、悩他販売戒(のうたばんまいかい)。奴隷、家畜、棺桶などを売ってはならない。

第十三、無根謗毀戒(むこんほうきかい)。根拠もなく他の人が七逆罪(しちぎゃくざい)、十重禁戒を犯したと言ってはならない。(七逆罪は、出仏身血、殺父、殺母、殺和尚、殺阿闍梨、破和合僧、殺聖人)

第十四、放火損生戒(ほうかそんしょうかい)。放火してはならない。

第十五、法化違宗戒(ほうけいしゅうかい)。すべての人に大乗の経律を教えなければならない。小乗の経律、外道邪見の論などを教えてはならない。

第十六、貪財惜宝戒(とんざいしゃくほうかい)。好心をもって大乗の威儀経律を学び、広く義味を開解すべし。利養のために答えるべきを答えなかったり、経文の文字をさかさまに説くなどの三宝をそしることをしてはならない。

第十七、依勢悪救戒(えせいあくぐかい)。権力ある者に取りいって、飲食、財産、名誉などの利を求めてはならない。

第十八、虚偽作師戒(こぎさくしかい)。戒を学ぶ者は菩薩戒をたもち、その義理、仏性の性を解すべし。一切の法を解せずして、人のために師となったり戒を授けたりしてはならない。自分をも他人をも欺くことになる。

第十九、闘諍両頭戒(とうじょうりょうずかい)。持戒の比丘や賢人を、そしったり欺いたりしてはならない。

第二十、不救存亡戒(ふぐそんもうかい)。慈悲の心をもって放生(ほうじょう。生き物を助けること)し、人にも放生させなければならない。一切の男子はこれ我が父、一切の女人はこれ我が母、我れ生々にこれに従って受生せざることなし。故に六道の衆生はみな我が父母なり。殺ししかも食せば、すなわち我が父母を殺しまた我が故身を殺すなり。もし父母兄弟死亡の日は、法師を請じて菩薩戒経律を講ぜしめ、福をもって亡者をたすけ、諸仏を見たてまつり、人、天上に生ずることを得せしむべし。

第二十一、不忍違犯戒(ふにんいぼんかい)。怒りをもって怒りに報い、打をもって打に報いてはならない。たとえ父母兄弟が殺されても報復してはならない。

第二十二、慢人軽法戒(まんにんきょうぼうかい)。家柄がよく聡明で財産がある新学の菩薩といえども、たとえ先学の法師が家柄が悪く貧しく歳が若くても、徳があり一切の経律を知っているならば教えを請わなければならない。

第二十三、軽蔑新学戒(きょうべつしんがくかい)。仏滅の後、一人で菩薩戒を受けんと思う者は仏菩薩の像の前で自ら誓って戒を受くべし。ただしそのとき好相を見なければ戒を受けたことにならないが、法師の前で受戒する時は好相をみる必要はない。法師は新学の菩薩が来て経律の義を問うときは、悪心、慢心でもって問いを無視してはならない。

第二十四、怖勝順劣戒(ふしょうじゅんれつかい)。大乗の教えを捨てて邪見の二乗、外道、俗典を学んではならない。

第二十五、為主失儀戒(いしゅしつぎかい)。和合を乱して争いを起こしたり、心をほしいままにして三宝物を私用してはならない。

第二十六、領賓違式戒(りょうひんいしきかい)。信者の人が衆僧を供養してくれる時は、客僧も一緒に供養を受けさせねばならない。客あるいは新来の菩薩、比丘が来た時は丁重に供養すべし。

第二十七、受他別請戒(じゅたべつしょうかい)。自分だけ請を受けて供養を独り占めしてはならない。それは十方の僧の物を自分の物とすることである。

第二十八、自別請僧戒(じべつしょうそうかい)。特定の僧だけを請じて供養してはならない。七仏に別請の法なし。

第二十九、邪命養身戒(じゃみょうようしんかい)。男女の色を売ること、占いや呪術、毒薬を作る、などの仕事をしてはならない。

第三十、詐親害生戒(さしんがいしょうかい)。六斎日(ろくさいにち。八、十四、十五、二十三、二十九、晦日)と三長斎月(さんちょうさいげつ。一、五、九月)は特に戒を犯さないように気を付けねばならない。

第三十一、不救尊厄戒(ふぐそんやくかい)。外道や悪人が仏像、菩薩像、経律の本を売っていたり、比丘、比丘尼、菩薩などを奴隷としているのを見たら、これを買い取って救わねばならない。

第三十二、横取他財戒(おうしゅたざいかい)。武器をたくわえたり、いかさまなマスやハカリを売ったり、権力をたのんで財産を奪ったり人を苦しめたりしてはならない。

第三十三、虚作無義戒(こさむぎかい)。けんか、争い、戦争などを見てはならない。音楽などを聴きに行ってはならない。かけ事や占いをしてはならない。盗賊の味方をしてはならない。

第三十四、退菩提心戒(たいぼだいしんかい)。常に菩提心をおこし、一念といえど二乗、外道の心を起こしてはならない。常に大乗の善信をおこし、自らはこれ未成(みじょう)の仏、諸仏はこれ已成(いじょう)の仏なりと知るべし。

第三十五、不発願戒(ふほつがんかい)。大乗の教えを解し、法のごとく修行し、堅く仏戒をたもち、むしろ身命を捨てるとも念々に心を捨てず、という願を起こさなければならない。

第三十六、不生自要戒(ふしょうじようかい)。一切女人と不浄の行いをしてはならない。破戒の身をもって檀家信者から一切の供養、礼拝を受けてはならない。破戒の心をもって色、声、香、味、触の対象に執着してはならない。願わくは一切の衆生ことごとく成仏せんことをと願を起こさなければならない。

第三十七、故入難処戒(こにゅうなんじょかい)。修行あるいは遊行のときには常に十八種物(じゅうはちしゅもつ)を身にしたがえ、危険な所に入ってはならない。(十八種物とは、楊枝《ようじ。歯ブラシを兼ねる》、洗剤、三衣、水筒、鉢、坐具、錫杖、香炉、水を漉す布、手巾《しゅきん。手ぬぐい》、剃髪や爪切りなどに使う刀子、火打ち石、毛抜き、携帯用の椅子、経典、戒本、菩薩像、仏像の十八である。初期の仏教で比丘に許された個人所有物は、一組の三衣、鉢、坐具、水を漉すための布、の六物《ろくもつ》であった。なおこの戒には布薩の方法も書いてある)

第三十八、坐無次第戒(ざむしだいかい)。席順は年齢や身分にかかわらず、先に受戒した者は前に、後に受戒した者は後ろに坐らなければならない。

第三十九、不行利楽戒(ふぎょうりらくかい)。いかなる災難や事態であろうとも、大乗の経律を読誦し講説しなければならない。衆生を教化し、僧房を建立し、仏塔を立つべし。

第四十、摂化漏失戒(せっけろしつかい)。七逆罪(しちぎゃくざい)を犯した者以外は、いかなる者であっても授戒を拒否してはならない。

第四十一、悪求弟子戒(あくぐでしかい)。利養や名聞のために、一切の経律を知っているように装って弟子を求め、戒を授けてはならない。自らを欺き、他を欺くことになる。(この戒には十重禁戒と四十八軽戒を犯した時の懺悔の仕方も書いてある)

第四十二、非処説戒戒(ひしょせつかいかい)。未だ菩薩戒を受けない者や外道悪人の前でこの大乗戒を説いてはならない。

第四十三、故違聖禁戒(こいしょうきんかい)。ことさらに聖戒を破ってはならない。信心をもって出家し、仏の聖戒を受けていながら、ことさらに聖戒を犯したならば、信者の供養を受けることなかれ。国王の地の上を行くことなかれ。国王の水を飲むことなかれ。

第四十四、不重経律戒(ふじゅうきょうりつかい)。大乗の経律の本は、常に受持し読誦し、恭敬の心をもって如法に扱わなければならない。

第四十五、不化有情戒(ふけうじょうかい)。菩薩は大悲心をもって衆生を教化し、菩提心をおこさせねばならない。一切衆生を見れば三帰十戒を受けるように勧め、畜生といえども菩提心を起こすように勧むべし。

第四十六、説法乖儀戒(せっぽうけぎかい)。在家の人のために説法する時は、地面に立ったままではなく、高座の上に坐って如法に説法しなければならない。

第四十七、非法立制戒(ひほうりっせいかい)。国王、百官の好心をもって仏戒を受けた者は、三宝を破る罪を作ってはならない。たとえば高貴をたのんで戒律を破滅したり、仏像、仏塔、経律を作らせなかったり、出家させなかったり、出家を使用人のごとく使う、などのことをしてはならない。

第四十八、自破内法戒(じはないほうかい)。仏戒を守ること、一子を守るごとく、父母に仕えるごとくせよ。人に破法の因縁を教えたり、自ら仏戒を破るが如きは、仏子みずから仏法を破す。獅子身中の虫の、自ら獅子の肉を食らうが如し。たとえ地獄に入りて百劫を経ることになろうとも仏戒を破する声を聞かざれ。

参考文献
「国訳一切経律部十二、梵網経」 昭和五年 大東出版
「禅宗聖典」 来馬琢道編 昭和五十一年 平楽寺書店
「仏教用語の基礎知識」 水野弘元 一九七二年 春秋社

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