具足戒の話
大戒(だいかい)とも呼ばれる具足戒(ぐそくかい)は、釈尊が出家修行者のために制定した戒とされており、具足という言葉には完全にそなわっているという意味がある。
今の日本の仏教は、戒がほとんど存在しないというべき状態になっているが、南方仏教では今でもこの具足戒を守ることが出家生活の眼目とされているのであり、自分たちの戒は釈尊が制定した戒をそのまま伝承してきたものである、というのが南方仏教の主張である。具足戒は小乗仏教の戒ということで小乗戒と呼ばれたこともあるが、小乗という言葉は今は使わないことになっている。
出家者が守るべき禁戒や日常生活のあり方などを記した文書群は、その全体を律と呼んでおり、漢訳の律には、四分律(しぶんりつ)、五分律(ごぶんりつ)、十誦律(じゅうじゅりつ)、摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)、根本有部律(こんぽんうぶりつ)などがある。これらを漢訳の五種の広律といい、源が同じであるからこれらの内容はよく似ている。その一つである四分律は中国や日本でとくに重視され、両国で成立した律宗の原典となった。
四分律は全六十巻からなり、その前半の三十巻は止持戒(しじかい。禁戒)を明らかにしている。この部分は経分別部(きょうふんべつぶ)と呼ばれ、比丘(びく。男性出家者)戒と比丘尼(びくに。女性出家者)戒に分けて、戒の条項、戒が制定された由来、戒文の解釈、戒の適用の仕方などが記されている。
法律が作られると抜け道を探す人間がかならず現れる。また病気の時はどうするかなどの判断に迷う事例も発生する。そのため個々の戒には多くのただし書きや判例がついており、戒とそれらの付帯事項を集成したものが経分別部である。なお禁戒の条文だけ抜き出したものを、戒本とか戒経とか波羅提木叉(はらだいもくしゃ)と呼んでいる。
後半の三十巻のうちの二十四巻は、サンガの行事や日常生活のあり方を定めた作持戒(さじかい)を明かにしており、この部分はケン度部(けんどぶ。ケンは牛ヘンに建。ケン度は章を意味する)と呼ばれる。ただしケン度部は全二十二章からなるが、そのうちの第一章はサンガ(教団)と戒の成立過程の記録、第二十一章は仏滅後一年に行われた第一回仏典結集の記録、二十二章は仏滅後百余年におこなわれた戒律の修正問題に関する会議(第二回結集)の記録、となっている。そして残りの六巻は内容の要約などの付随部分である。
ケン度部の第一章の内容をもう少しくわしく説明すると、釈尊は成道ののち五人の比丘に最初の説法をおこない、総勢六人のサンガが成立した。これが初転法輪である。それから千人の拝火教徒の改宗入門、舎利弗(しゃりほつ)尊者と目連(もくれん)尊者にひきいられた二百五十人の修行者の入門、などによってサンガが確立していった。
サンガ成立後の十二年間は、修行者に非行が存在しなかったため戒も存在せず、「来たれ。比丘よ」という釈尊のひと言で出家することができた。ところが十三年目に、家系を絶やさないでほしいと母親に泣きつかれた比丘が、出家する前の妻と子供を作る行為をなすという事件が発生した。それに対して釈尊は、「たとえ毒蛇の口の中に男根を入れることがあっても、女根の中に入れてはならない」とその比丘を呵責し、ここに初めての禁戒である淫戒(いんかい。淫をおこなってはならない)が制定された。
それ以後、修行者に非行があるたびに新たな戒が制定され、最終的には比丘の二百五十戒、比丘尼の三百四十八戒となり、出家するにはこれらを受戒しなければならないことになったとされる。
比丘二百五十戒
以下に比丘の二百五十戒をご紹介する。比丘戒は、四波羅夷法(し・はらいほう)、十三僧残法(じゅうさん・そうざんほう)、二不定法(に・ふじょうほう)、三十捨堕法(さんじゅう・しゃだほう)、九十単堕法(くじゅう・たんだほう)、四悔過法(し・けかほう)、百衆学法(ひゃく・しゅがくほう)、七滅諍法(しち・めつじょうほう)の八種に分かれており、以下の結戒の目的十ヵ条が繰りかえし記されている。
一には僧を摂取す(僧とはサンガのこと。サンガをおさめ守ることを意味する)。
二には僧をして歓喜せしむ。
三には僧をして安楽ならしむ。
四には未信のものをして信ぜしむ。
五にはすでに信あるものをして増上せしむ。
六には難調のものをして調順ならしむ。
七には慚愧するものをして安楽を得せしむ。
八には現在の有漏(うろ。煩悩)を断ず。
九には未来の有漏を断ず。
十には正法を久住せしむ。
四波羅夷法(しはらいほう)
破戒するとただちにサンガから追放となり、再出家も許されないという四つの戒が四波羅夷法である。そのためこれらは四棄法(しきほう)とも呼ばれ、罪は波羅夷罪(はらいざい)と呼ばれる。なお四分律には戒の名が付いていないので、ここでは慣用的な名が付けてある。波羅夷法だけ原文も記載した。
第一、婬戒(いんかい)
「若し比丘、比丘と与に、戒を共にし戒を同じくして、戒を捨てず、戒よわきに自ら悔いずして、不浄行を犯し淫欲法を行ぜば、ないし畜生と共にせんも、是は比丘の波羅夷にして共に住せざれ」
まず一番に出てくるのが最初に制定された戒、婬戒である。在家の五戒にある不邪淫戒(ふじゃいんかい)は、浮気をするなかれといった趣旨であるが、淫戒は同性愛をふくむ一切の性交を禁止する戒であり、制定された因縁は先に書いた通りである。この戒があるため日本でも明治になるまで出家は妻帯できず、子供をもらってきて後継者を育てるということが行われていた。私の寺にはそうした小僧のための部屋が中二階に残っている。
この戒を犯すと追放処分となり再出家もできない。しかし道心堅固な出家でも誘惑されたらつい破ってしまうのがこの戒であり、サンガとしても有望な人材を失うことにもなりかねない。そこで捨戒(しゃかい)という方法が考え出された。つまりたとえ事の直前であっても、戒を捨てればその時点から出家でなくなるのだから破戒にはならない、として再出家の道を残したのである。戒を守れなくなれば還俗(げんぞく)し、菩提心が起こればまた出家すればいいということであるが、比丘尼は捨戒すると再出家できない。
第二、盗戒(とうかい)
「若し比丘、集落の中に、若しは閑静処に在りて、与えられざる物を盗心を懐きて取り、不与取法に随いて、若しは王や王の大臣の捉える所と為りて、若しは殺され、若しは縛され、若しは国を駆出され、汝はこれ賊なり、汝は癡なり、汝は所知なしとさる。比丘にして是の如くに盗まんには、波羅夷にして共に住せざれ」
第二は盗むなかれであり、五銭以上のお金、あるいは五銭以上の価値のものを盗むと波羅夷罪が適用される。この五銭という金額の現在における価値は分からないが、当時の社会法では五銭盗むと死罪になったという。
結戒の因縁によると、この戒は住屋を作るために国王の資材を盗んで捕まった比丘があったことから制定されたという。なお破戒した比丘は追放処分になったのち、社会法によって裁かれることになる。
第三、殺戒(せつかい)
「若し比丘、ことさらに自ら手ずから人命を断つ。刀を持ちて人に授与し、死の快さを嘆じ誉めて死を勧む。『咄男子よ。この悪活を用いていかんせん。むしろ死して生きざれ』と。是の如く心に思惟を作し、種々に方便して、死の快さを嘆じて死を勧むれば、是は比丘の波羅夷にして共に住せざれ」
人を殺したり、人を殺させたり、人に自殺を勧めたり、を禁じる戒であり、人間以外の生き物の殺生には別の戒が適用される。蚊の一匹といえどできるだけ殺生しないのが仏様の教えであるが、蚊一匹で追放処分にしていたらサンガが消滅してしまうからである。
この戒の因縁として次のような話が伝えられている。ある修行者が不浄観(ふじょうかん。肉体の不浄を観想することで、自分あるいは異性の肉体に対する執着を離れる行)を修行したところ、自分の体に対する嫌悪感から死を求めるようになり、たまたまそこにやって来たニセの修行者に頼み、衣を与える約束で自分を殺してもらった。ニセ修行者はそれに味をしめ、死を勧めては殺害し衣を手に入れるということをくり返すようになった。
そのため釈尊はこの戒を制定し、同時に厭世観を生じやすい不浄観のかわりに数息観(すうそくかん。呼吸を数えて心を調える修行法)を勧めるようになったという。この話は殺戒の因縁としては少し的はずれのように思うが、すべての律に出てくるという。
第四、妄語戒(もうごかい)
「若し比丘、実に知るところなきに、自ら称して言う。『我は上人法を得たり。我は已に聖智勝法に入りたり。我は是を知り、是を見たり』と。彼は異時に於いて、若しは問われ、若しは問われざるも、自ら清浄ならんと欲する故に、是の如き説を作して言わん。『我は実に知らず、見ざるに、知れりと言い、見たりと虚誑妄語せり』と。増上慢を除きて、是は比丘の波羅夷にして共に住せざれ」
妄語はウソを意味しており、大妄語(だいもうご)と呼ばれる「私は悟りを開きました」というウソは波羅夷罪になる。ただし慢心のために誤って公言するのはウソではないとして無罪とし、大妄語以外のウソには別の戒が適用される。この戒は多くの喜捨を受けたいがために、悟りを開いているとか神通力を持っているなどと、ウソをついた弟子があったことから制定された。
十三僧残法(じゅうさん・そうざんほう)
僧伽婆尸沙法(そうぎゃばししゃほう)とも呼ばれる僧残法は、性的な悪習やサンガを分裂に導くような行動を規制するもので、重罪ではあるが懺悔すれば僧伽(そうぎゃ。サンガ)に残ることができることから僧残法と呼ばれるが、繰りかえせば追放処分もありうる。また僧残罪を犯したことを隠していると、隠した日数だけサンガの一隅で別住し謹慎するという禁固刑のような罰則が課される。出罪には二十人以上の比丘が集合し、その全員の賛成を必要とする。
一、性的な自慰行為をしてはならない。
二、異性の体に触れてはならない。
三、異性と猥談をしてはならない。
四、異性に体を供養することを求めてはならない。
五、仲人やポン引きなど男女間の仲を取り持つことをしてはならない。同様にとはいえないが馬や猿のタネ付けも不可。
六、自分で庵を作る時は大きすぎてはならず、場所はサンガの承認を必要とする。
七、施主があって庵を作ってもらう時は大きさの制限はなく、場所は承認を必要とする。
八、根拠なくして他比丘が波羅夷罪を犯したと誹謗(ひぼう)してはならない。
九、連想やこじつけで他比丘が波羅夷罪を犯したと誹謗してはならない。(この説明では意味が分からないが、結戒の因縁によると、ある比丘がひつじが交尾するのを見て、自分の憎む比丘が波羅夷罪を犯したと誹謗したことから制定されたという)
十、サンガの和合を破る主張をなし、三度いさめられても主張を捨てないと僧残罪になる。
十一、サンガの和合を破る者の仲間になり、三度いさめられても主張を捨てないと僧残罪になる。
十二、謹慎処分になった比丘が不平を述べ、三度いさめられても従わないと僧残罪になる。
十三、サンガの警告を無視し、三度いさめられても従わないと僧残罪になる。
二不定法(に・ふじょうほう)
不定法は秘かな場所で女性と二人で居ることを禁ずる戒である。二つあるのは破戒した場所によって罪の範囲に違いが生じるためであり、そのため不定法と呼ばれる。
第一は男女の交接が可能な場所に適用され、波羅夷罪の第一、僧残罪の第二・第三・第四、捨堕法の第四・第二十六・第四十四により裁かれる。
第二は交接が不可能な場所に適用され、僧残罪の第二・第三・第四、捨堕法の第四で裁かれる。
三十捨堕法(さんじゅう・しゃだほう)
捨堕法は尼薩耆波逸提法(にさつぎはいつだいほう)とも呼ばれ、衣などの不正所得を禁ずる戒である。犯した者はサンガに違反した物を提出したうえで懺悔出罪する。規定以上に所持している物、あるいは禁止されているのに所持している物を長物(じょうもつ)といい、無用の長物(ちょうぶつ)という言葉はここから来ている。
一、一組の三衣(さんね)以外の衣を持ってはならない。
二、原則として三衣はいつも所持していなければならない。(袈裟は比丘の身分証明書みたいなものだからだろう。一番大きな衣は夜具を兼ねていたためかなりの重量があり、年老いた比丘は持ち歩くのが大変だったという)
三、衣を作るとき布地は一月以上にわたって蓄えてはならない。
四、血縁でない比丘尼から交換以外の方法で衣を取ってはならない。
五、血縁でない比丘尼に衣の洗濯などをさせてはならない。
六、血縁でない在家者に、急に衣を無くしたとき以外は衣を求めてはならない。
七、急に三衣を失い施与されるとき、二衣以上もらってはならない。
八、衣を布施しようとしている在家者に「もっと良い衣を」と注文をつけてはならない。
九、衣を布施しようとしている二家に、協力して高価な衣を作るように言ってはならない。
十、(比丘はお金の所持が禁止されているため)代理の人が施主からお金を受けとって衣を作る場合、六度以上は代理人に衣を請求してはならない。(ではどうすればいいのかというと、施主にその旨を告げてお金を取り戻してもらうのが良いとする)
十一、絹を用いた臥具を新作してはならない。(既製の品を使用するのは可)
十二、純黒の羊毛の新臥具を作ってはならない。
十三、臥具には黒と白の羊毛だけではなく、褐色の羊毛も混ぜなければならない。
十四、新しい臥具は六年以上用いなければならない。
十五、新座具を作るときには、古い座具の一部を貼りつけて壊色(えじき。価値を損ずること)しなければならない。
十六、道中で羊毛を得たとき、三由旬(ゆじゅん。三由旬はおよそ三十三.六キロ)以上自分で運んではならない。
十七、血縁でない比丘尼に羊毛の洗い、染め、解きほぐし、などをさせてはならない。
十八、金、銀、銭を、自手で受け取ること、受け取りを口で承認すること、人に受け取らせること、をしてはならない。(金、銀、銭に関することは禁句なのである。ならばどうすれば良いのかというと、「賢者、これを知れ」と言って在家の人にお金の使用や処理を頼む)
十九、金、銀、宝物を交易してはならない。
二十、十九戒以外の物品の交易をしてはならない。出家間でこれらを交換するのは可。
二十一、乞食(こつじき)用の鉢は一つしか持ってはならない。三衣一鉢(さんねいっぱつ)が原則である。
二十二、漏水していないのに新しい鉢を求めてはならない。
二十三、衣を作るための布を、織物師に織らせてはならない。
二十四、施主が衣の布を織らせているとき、勝手にその布地に注文をつけてはならない。
二十五、他比丘に衣を与えたあとで、怒りによって取り戻してはならない。
二十六、薬(七日薬)は七日間のみ所持し、非時(ひじ。午後)にも食すことができる。
二十七、雨浴衣(雨期に雨で洗浴するとき使う衣)は、作るのも使うのも早すぎてはならない。
二十八、安居が終わった後の一ヶ月を衣時と呼び、在家者が比丘に衣を布施する期間になっている。そのとき施主の事情によっては衣時の十日前からもらっても良い。
二十九、盗賊のおそれのある林間静所で修行する比丘は、六夜まで衣を民家などに預けておくことができる。
三十、サンガに寄進された物を自分の所得にしてはならない。
九十単堕法(くじゅう・たんだほう)
単堕法は波逸提法(はいつだいほう)とも呼ばれ、一人から三人の比丘の前で懺悔すれば出罪する。サンガは四人以上の比丘の集まりで成立するから、単堕罪の出罪にはサンガの成立を必要としないことになる。
一、うそをついてはならない。この戒は波羅夷罪や僧残罪にならない小妄語(しょうもうご)を禁じている。
二、他比丘の悪口を言ってはならない。
三、両舌(りょうぜつ。和合を破るための中傷)を言ってはならない。
四、女性とおなじ部屋で寝てはならない。(親きょうだいを含めて)
五、男の在家者や沙弥であっても三晩以上同宿してはならない。
六、在家者や沙弥とお経を一緒に読んではならない。(法事などのとき私は経本を配って一緒にお経を読んでいるが、それはいけないのである)
七、他比丘の犯した罪を在家者に語ってはならない。
八、修行の証果を比丘以外の者に語ってはならない。
九、女性しか居ない所で五・六語以上の説法をしてはならない。(男性が居れば可)
十、地面を掘ったり、人に掘らせてはならない。(理由は生き物を殺すから。だから家を建てるときは「これを知れ」と工事人に命じなければならない。除草を頼む時なども同様)
十一、草木を殺したり殺させてはならない。(だから果物や芋をそのまま食べることができない。切って出されたものは可)
十二、その場に関係のない言葉や行動で他を悩ませてはならない。
十三、知事(サンガで配給などをする係)を嫌ったりののしってはならない。
十四、サンガの備品である寝台や椅子、敷物を使用した後は元に戻しておかなければならない。
十五、僧房の中で使用した敷物などはきちんと処理しなければならない。
十六、先に止宿比丘のある狭い止宿所に、了解なく割り込んで迷惑をかけてはならない。
十七、先住比丘のある房舎にあとから来て、先住比丘を理由なく追い出してはならない。
十八、脚がはめ込み式の寝台や椅子を僧院の二階で使ってはならない。(理由は寝台の脚がはずれて床にぶつかった衝撃で二階が落ちてけが人が出た事があるから。補強すれば可)
十九、虫のいる水を使ったり泥や草の上にかけてはいけない。(理由は虫を殺すから。水は必ず布でこしてから使う)
二十、房を作るとき、屋根や壁は四重以上におおってはならない。
二十一、サンガの指名なくして比丘尼に教授してはならない。
二十二、サンガに指名されて比丘尼に教授するときでも、日没を過ぎてはならない。
二十三、諸比丘は飲食のために比丘尼に教授する、とそしってはならない。
二十四、血縁でない比丘尼に衣を与えてはならない。
二十五、血縁でない比丘尼のために衣を作ってはならない。
二十六、屏所(びょうしょ。人目につかない所)で比丘尼と二人で坐してはならない。
二十七、あらかじめ約束して、比丘尼と同行してはならない。危険な所は可。
二十八、あらかじめ約束して、比丘尼と一緒に船に乗ってはならない。渡し船は可。
二十九、比丘尼が自分を誉めたたえた事によって自分に布施された食を、食べてはならない。
三十、あらかじめ約束して、婦人と同行してはならない。
三十一、施一食所(出家に一宿一食せしめる所)で一食以上うけてはならない。
三十二、ある家の施食の請いを受けながら、その前に他家で食したりしてはならない。
三十三、分派独立の疑いをもたれるような集まりで食事をしてはならない。
三十四、食べ物は三鉢以上もらって帰ってはならず、そのように沢山もらったときには、それを皆で分けて他比丘がおなじ家に行かないようにしなければならない。
三十五、正式に食事をした後は、午前中といえども食事をしてはならない。(比丘は一日一食が原則)
三十六、他比丘に前三十五戒を犯させるような食を勧めてはならない。
三十七、正午を過ぎれば翌日の日の出まで固形物を食してはならない。(これを非時食戒《ひじじきかい》といい、タイのお寺で修行した人によると、午後に食べ物をとらなくても仕事をしないのでそれほど空腹にはならず、夜の時間がおどろくほど有効に使えるとか)
三十八、今日得た食を翌日食べてはならない。(何であれ物を蓄えてはならない)
三十九、持ち主のいない食べ物でも、自分で取って食べてはならない。(誰かが取って与えてくれる物を食すべし)
四十、病気でもないのに美食を在家者に求めてはならない。求めずして得るは可。
四十一、外道(げどう。仏教以外)の出家者に自手で食を与えてはならない。
十二、無断外出して食事の時間に遅れてはならない。
四十三、男女が一緒に居る家に、強いて坐り込んではならない。
四十四、夫婦の住む家で、その妻と人目につかない所に坐ってはならない。
四十五、女人と二人で一緒に露地(ろじ。屋外)に坐ってはならない。
四十六、在家の接待に共に行くように誘っておきながら、村に入ってから気が変わったからと食を与えず追い返してはならない。
四十七、四月薬(夏期四ヶ月の安居で許される薬)は期間を過ぎて受けてはならない。
四十八、行きて軍隊の陣を見てはならない。
四十九、特別な事情があって軍陣にとどまる場合でも、三宿してはならない。
五十、事情があって軍陣にとどまる場合でも、合戦や軍の行進を見てはならない。
五十一、お酒を飲んではならない。(十の酒の過失を四分律は記している。一、顔色悪。二、少力。三、眼視不明。四、現瞋恚相。五、壊田業資生法。六、増到疾病。七、益闘訟。八、無名称悪名流布。九、智慧減少。十、身壊命終堕三悪道)
五十二、水の中で遊んではならない。(比丘は泳いではならない)
五十三、指でもって他比丘をくすぐってはならない。
五十四、他比丘の忠告は謙虚に聞かなければならない。
五十五、他比丘を恐がらせることをしてはならない。
五十六、半月に一回以上、理由なくして洗浴してはならない。
五十七、露地で火を焚いてはならない。(病気で身体を暖める時は可)
五十八、戯れであっても他比丘の衣鉢などを隠してはならない。
五十九、浄施の方便として他比丘に与えた衣でも、許可を得てから着なければならない。
六十、新しい衣を得たならば、不好色に染めなければならない。(価値をなくすため)
六十一、故意に動物を殺してはならない。
六十二、虫が棲んでいる水を飲んではならない。(虫を殺さぬため)
六十三、他比丘を悩ませる事を言ったりしたりしてはならない。
六十四、他比丘が波羅夷罪や僧残罪を犯したのを隠していてはならない。
六十五、二十歳未満の者に具足戒を授けてはならない。
六十六、すでに滅諍法(めつじょうほう。争いを解決する法)により解決した事を、再び争いのタネにしてはならない。
六十七、賊と知りながら同行してはならない。
六十八、「仏陀の教えでは淫欲を行じても修道のさまたげにはならない」と言ってはならない。
六十九、前戒のごとき悪見を持ち罪を認めない者を、止宿させたりサンガに加えてはならない。
七十、前々戒のごとき悪見のため追放処分となった沙弥を、そのことを知りながら弟子にしたり一緒に宿したりしてはならない。
七十一、他比丘から如法にいさめられた時、そのような戒は知らないとか、ほかの比丘に聞いてみる、と言って拒否してはならない。
七十二、波羅夷罪と僧残罪以外の軽い戒を、軽視する言動をしてはならない。
七十三、「そのような戒のあることは知らなかった」と言い逃れしてはならない。犯した罪の上に無知罪を増す事になる。
七十四、サンガの決定で他比丘に物品が与えられた事に対し、後で文句を言ってはならない。
七十五、サンガが何かを決定しようとするとき、委任せずに立ち去ってはならない。(決定には全員の賛成が必要なので決議が不成立になる)
七十六、会議に参加せず委任しておきながら、後で不平を言ってはならない。
七十七、人の話を立ち聞きしたり、その内容を人に話してはならない。
七十八、他比丘を殴ってはならない。
七十九、他比丘に対し両手をあげて殴るふりをして脅かしてはならない。
八十、他比丘が僧残罪を犯したと、腹立ちまぎれにうそを付いてはならない。
八十一、王様の寝室に勝手に入ってはならない。
八十二、金、銀、宝石などの装身具に触ってはならない。
八十三、時ならぬにサンガに無断で村落に入ってはならない。
八十四、寝台の高さは四十センチ以上にしてはならない。
八十五、寝具、坐具、椅子などに綿を入れて作ってはならない。
八十六、骨、牙、角で針入れの筒を作ってはならない。
八十七、坐具は大きすぎてはならない。
八十八、体から膿の出る病人がつかう衣は大きすぎてはならない。
八十九、雨で洗浴するときに使う衣は大きすぎてはならない。
九十、仏衣とおなじ大きさ、あるいはそれ以上の大きな衣を作ってはならない。
増補一、サンガの許可なくして比丘尼の住処に入ってはならない。
増補二、サンガに施与された物を、勝手に個人比丘に与えてはならない。
四悔過法(し・けかほう)
悔過法は波羅提提舎尼法(はらだいだいしゃにほう)とも呼ばれ、これらを破戒したときには、一人の比丘に向かって次の言葉で懺悔して出罪する。その言葉は「大徳よ。我は悔過法を犯せり。為すべからざる所なり。我いま大徳に向かいて悔過す」である。
一、血縁関係のない比丘尼から食の施与を受けてはならない。
二、比丘たちが在家者から食事の接待を受けているとき、比丘尼が施主にあれこれ指図をしていたら、これを止めさせなければならない。
三、学家(資財を惜しまずサンガに供養し尽くしたので、資産が回復するまで乞食しないようにサンガが決定した篤信の家)で特別な理由なくして食してはならない。
四、賊の危険のある所に住む比丘が施食を受ける時には、食を運ぶ施主にそのことを告げておかなければならない。
百衆学法(ひゃく・しゅがくほう)
これは衆多学法とも呼ばれ、日常生活の威儀進退に関して注意をうながす程度の軽い戒である。そのため結句が「まさに学すべし」となっており、これらを故意に違反した場合は一比丘の前で懺悔し、故意でない場合は自分自身で反省すればよい。これを読むと昔のインドでどのような事が不作法とされていたかが分かる。
一、斉整に内衣を著けんと、まさに学すべし。
二、斉整に三衣を著けんと、まさに学すべし。
三、衣の一端を肩にかけたまま在家者の家に入ってはならないと、まさに学すべし。
四、衣の一端を肩にかけたまま在家者の家に入り坐ってはならないと、まさに学すべし。
五、衣の一端を首に巻いて在家者の家に入ってはならないと、まさに学すべし。
六、衣の一端を首に巻いて在家者の家に入り坐ってはならないと、まさに学すべし。
七、頭を覆って在家者の家に入ってはならないと、まさに学すべし。(理由は盗賊に似ていると非難されたから)
八、頭を覆って在家者の家に入り坐ってはならないと、まさに学すべし。
九、跳びはねながら在家者の家に入ってはならないと、まさに学すべし。
十、跳びはねながら在家者の家に入り坐ってはならないと、まさに学すべし。
十一、在家者の家でうずくまって坐ってはならないと、まさに学すべし。
十二、両手を腰に当てて在家者の家に入ってはならないと、まさに学すべし。
十三、両手を腰に当てて在家者の家に入り坐ってはならないと、まさに学すべし。
十四、身体を揺すぶりながら在家者の家に入ってはならないと、まさに学すべし。
十五、身体を揺すぶりながら在家者の家に入り坐ってはならないと、まさに学すべし。
十六、腕を前後に振りながら在家者の家に入ってはならないと、まさに学すべし。
十七、腕を前後に振りながら在家者の家に入り坐ってはならないと、まさに学すべし。
十八、身体をきちんと衣で覆って在家者の家に入ることを、まさに学すべし。
十九、身体をきちんと衣で覆って在家者の家に入り坐ることを、まさに学すべし。
二十、左右を見まわして在家者の家に入ってはならないと、まさに学すべし。
二十一、左右を見まわして在家者の家に入り坐ってはならないと、まさに学すべし。
二十二、静かに黙して在家者の家に入ることを、まさに学すべし。
二十三、静かに黙して在家者の家に入り坐ることを、まさに学すべし。
二十四、歯を露わに笑いながら在家者の家に入ってはならないと、まさに学すべし。
二十五、歯を露わに笑いながら在家者の家に入り坐ってはならないと、まさに学すべし。
二十六、心をこめて食を受けんと、まさに学すべし。
二十七、鉢をまっすぐにして飯を受けんと、まさに学すべし。(食物をこぼさないため)
二十八、鉢をまっすぐにして煮物を受けんと、まさに学すべし。
二十九、飯とおかずとおなじ速さで食べることを、まさに学すべし。
三十、鉢の中のあちこちに手をつけずに端から食べることを、まさに学すべし。
三十一、鉢の中央をえぐるように食べてはならないと、まさに学すべし。
三十二、病気でもないのに自分のため飯と煮物を求めてはならないと、まさに学すべし。
三十三、飯で煮物を隠してさらに煮物を求めてはならないと、まさに学すべし。
三十四、鉢の中の食物の量を見くらべ不満を抱いてはならないと、まさに学すべし。
三十五、よそ見をせずに食べることを、まさに学すべし。
三十六、大きなかたまりにして食べてはならないと、まさに学すべし。
三十七、食べ物を口に運ぶとき大口を開けて待っていてはならないと、まさに学すべし。
三十八、食べ物を口に入れたまま喋ってはならないと、まさに学すべし。
三十九、食べ物を口に放りこんで食べてはならないと、まさに学すべし。
四十、食べ物の半分を口に入れ半分は手中にあるような食べ方をしてはならないと、まさに学すべし。
四十一、頬がふくらむほど口に食べ物を入れてはならないと、まさに学すべし。
四十二、声を出しながら食べてはならないと、まさに学すべし。
四十三、食べ物を吸って食べてはならないと、まさに学すべし。
四十四、舌で食べ物をなめてはならないと、まさに学すべし。
四十五、手を振りながら食べてはならないと、まさに学すべし。
四十六、飯粒を散らかして食べてはならないと、まさに学すべし。
四十七、食べ物が付いている手で食器を持ってはならないと、まさに学すべし。
四十八、鉢を洗った水を在家者の家の中に棄ててはならないと、まさに学すべし。
四十九、生きた草の上に大小便やつばをかけてはならないと、まさに学すべし。
五十、浄水中に大小便やつばをしてはならないと、まさに学すべし。
五十一、立って大小便をしてはならないと、まさに学すべし。(男もしゃがんで小便しなければならない)
五十二、衣の一端を肩にかけた不遜な態度の人に説法してはならないと、まさに学すべし。
五十三、衣の一端を首に巻いた人のために説法してはならないと、まさに学すべし。
五十四、覆面をした人のために説法してはならないと、まさに学すべし。
五十五、髪が見えないように頭を包んでいる人のために説法してはならないと、まさに学すべし。
五十六、手を腰に当てた不遜な態度の人に説法してはならないと、まさに学すべし。
五十七、革の靴をはいている人に説法してはならないと、まさに学すべし。
五十八、木の靴をはいている人に説法してはならないと、まさに学すべし。
五十九、馬に乗った人に説法してはならないと、まさに学すべし。
六十、守護のためを除き仏塔の中に宿してはならないと、まさに学すべし。
六十一、仏塔の中に財物を蔵してはならないと、まさに学すべし。
六十二、革靴をはいて仏塔に入ってはならないと、まさに学すべし。
六十三、革靴を持って仏塔に入ってはならないと、まさに学すべし。
六十四、革靴をはいて仏塔のまわりを行道してはならないと、まさに学すべし。
六十五、装飾をほどこした靴をはいて仏塔に入ってはならないと、まさに学すべし。
六十六、装飾をほどこした靴を持って仏塔に入ってはならないと、まさに学すべし。
六十七、仏塔の下で食して周囲を汚したりごみを捨ててはならないと、まさに学すべし。
六十八、死体を担いで仏塔の下を通ってはならないと、まさに学すべし。
六十九、塔の下に死体を埋めてはならないと、まさに学すべし。
七十、塔の下で死体を焼いてはならないと、まさに学すべし。
七十一、塔に向かって死体を焼いてはならないと、まさに学すべし。
七十二、塔に臭気が来るような所で死体を焼いてはならないと、まさに学すべし。
七十三、死人の衣を持って塔の下を通ってはならないと、まさに学すべし。
七十四、塔の下で大小便をしてはならないと、まさに学すべし。
七十五、塔に向かって大小便をしてはならないと、まさに学すべし。
七十六、塔に臭気が入ってくるような所で大小便をしてはならないと、まさに学すべし。
七十七、仏像を持って便所に行ってはならないと、まさに学すべし。
七十八、塔下で楊枝を使ってはならないと、まさに学すべし。
七十九、塔に向かって楊枝を使ってはならないと、まさに学すべし。
八十、塔を回る四辺で楊枝を使ってはならないと、まさに学すべし。
八十一、塔下につばを吐いてはならないと、まさに学すべし。
八十二、塔に向かってつばを吐いてはならないと、まさに学すべし。
八十三、塔を回る四辺でつばを吐いてはならないと、まさに学すべし。
八十四、仏塔に向かって脚を伸ばして坐ってはならないと、まさに学すべし。
八十五、仏像の上の階に住してはならないと、まさに学すべし。(これは日本でもよく守られている。お寺の本堂は屋根が高く作られており、屋根裏に部屋や物置を作ろうと思えば作れるが、そのような本堂は見たことがない。どうしても上に階を作りたいときは、仏像の上を吹き抜けにしたり、仏像を安置する場所を建物の後ろに出したりしている)
八十六、人は坐し己は立ちて説法してはならないと、まさに学すべし。
八十七、人は横になり己は立ちて説法してはならないと、まさに学すべし。
八十八、人は座にあり己は非座にあって説法してはならないと、まさに学すべし。
八十九、人は高座にあり己は下座にあって説法してはならないと、まさに学すべし。
九十、人は前にあり己は後ろにあって説法してはならないと、まさに学すべし。
九十一、人は高き経行処(きょうぎょうしょ。坐禅の合間に歩くための場所)にあり己は下の経行処にあって説法してはならないと、まさに学すべし。
九十二、人は道にあり己は非道にあって説法してはならないと、まさに学すべし。
九十三、手をつないで道を歩いてはならないと、まさに学すべし。
九十四、人の頭より高く木に登ってはならないと、まさに学すべし。(獣などに追いかけられた時は可。だから樹上で坐禅をしてはならない)
九十五、杖に荷物をぶら下げ肩に担いで歩いてはならないと、まさに学すべし。
九十六、杖を持った人に説法してはならないと、まさに学すべし。
九十七、剣を持った人に説法してはならないと、まさに学すべし。
九十八、鉾(ほこ)を持った人に説法してはならないと、まさに学すべし。
九十九、刀を持った人に説法してはならないと、まさに学すべし。
百、蓋(がい)を持った人に説法してはならないと、まさに学すべし。(この戒は理解できない。蓋は「ふた」であるが、あるいは傘のことか)
七滅諍法(しち・めつじょうほう)
滅諍法は戒に含まれているが、内容はもめ事を解決するための方法である。「もし比丘、争いごとの起こること有らば、即ちまさに除滅すべし」と、もめ事が起これば速やかに解決することが求められており、次の七つの解決法が提示されている。
一、地域サンガの全員が出席し、争いの当事者も双方ともに出席した上で、仏法と律のあるべき立場を明らかにすることにより話し合いで争いを裁く解決法。これが解決法の基本であり、全員の賛成を原則とする。
二、比丘が罪を犯したと告発された場合、その比丘の記憶が明らかであれば、記憶を元にしたアリバイを認めて無罪とする解決法。
三、発狂していた時や、精神錯乱の時、極度の苦痛で精神の平静を欠いていたと認められた場合は、いかに重罪であっても無罪にするという解決法。
四、裁判長に相当する比丘が、告発されている比丘に罪を認めるかどうかを尋ねる解決法。自発的に罪を認めて懺悔すれば争いは消滅する。
五、被告が言を左右にして答えが定まらない場合などのための、罪を告白するまで謹慎処分にするという解決法。
六、多数決による解決法。どうしても全員一致で決定しない時は、やむを得ず投票でもって採決するが、サンガを分裂に導くおそれがあるため実際に行われた記録は少ない。アショカ王の時代に教理上の問題で決選投票がおこなわれ、これによりサンガが上座部と大衆部に分裂したと伝えられている。
七、争いが争いを生み、相互に対立して収拾がつかなくなった場合、地を草で覆うように互いに自らの欠点を懺悔し合い、一切を水に流して和解する解決法。争う全員が和解を承認すれば成立する。
戒経はつぎの言葉で終わっている。「我はすでに戒経を説けり。衆僧は布薩(ふさつ)し終われり。我はいま戒経を説けり。所説の諸功徳を、一切衆生に施し、皆共に仏道を成ぜん」
参考文献
「仏典講座四律蔵」 佐藤密雄 昭和55年 大蔵出版
「国訳一切経 律部一〜四」 昭和4年 大東出版社
「仏教用語の基礎知識」 水野弘元 1980年 春秋社
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