日々これ好日

私が住んでいる町には、北川と南川という二つの大きな川が流れており、気候のよいときその堤防のうえや川の周囲に広がる田んぼの中を、自転車で走るのは気持ちのよいものである。ヒザを痛めて正坐ができなくなったとき、自転車で走り回っていたら完全に治ってしまった。体重をかけずにヒザの運動ができるのが自転車の長所であり、ヒザの悪い人には自転車がお勧めである。

ある日のこと、いつものように堤防の上をさっそうと走っていたら自転車がパンクした。タイヤに釣り針が刺さっていた。修理道具は積んでいないし、周囲には田畑が広がっているだけで一軒の家もなく、しかも雨までぱらついてきた。仕方がないので押して歩いたが、自転車は乗るものであって押すものではない。広大な田んぼの中の道をパンクした重い自転車を押して歩くのは惨めな仕事だった。こんなことを平静な心でできる人がいたらその人は偉人だと思った。

自転車屋さん曰く。「電話してもろたら車で駆けつけます。買ったとき説明したはずです。ここに電話番号が貼ってあるでしょ」。人の話はよく聞かなければいけないのである。修理が終わって走りだしたときは本当にうれしかった。自転車は走って当たり前だが、当たり前のありがたさがよく分かった。

人生どこに災難が転がっているか分からない。しかし何が起ころうと無心で生きていきたいと思う。無心であれば「日々これ好日」である。

なお禅語の「日々是好日」は、「ひびこれこうじつ」「にちにちこれこうじつ」「にちにちこれこうにち」などの読み方ができるが、どれがいいともいえないのが日本語の難しさである。

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