天地同根、万物一体の話
裏庭の掃除をしていたとき、大きなミミズが何かから逃げようと、転げまわってもがいているのを見つけた。ミミズがこんなに速く動けるのかと驚いたほどの暴れかたであり、何ごとかと近づいてよく見ると、ミミズの体に細いひもがくっついていた。さらによく見るとそれはひもではなくヒルだった。
ヒルはらせん状にミミズにからみつき、滑るようにミミズの頭に近づいていく。そしてヒルの先端がミミズの頭に達したとき、ミミズはがっくりと動かなくなった。ミミズの悲鳴が聞こえたような気がした。それからヒルの食事が始まった。ヒルの口は頭の先端ではなく少し下に付いているように見えた。食事はすぐに終わり食べ残しに蟻が群がってきた。その横でヒルは体を太短くちぢめて食後のヒル寝を始めた。ヒルの体の伸縮自在なことに驚かされた。
ヒルもミミズもただでさえ気持ちのいい生きものではないのだから、見ていて寒気のするような光景だった。ヒルとミミズは近い親戚だというが、どういう関係であれ弱いものは強いものの餌になる運命なのである。
ファーブル昆虫記には虫の世界の仁義なき生存競争が克明に描かれている。それを読んでいると、その残酷さと不条理さに嫌悪を感じるほどであり、「神さまは何故このような世界を作られたのか」とファーブルが嘆く気持ちがよく分かる。生き物はなぜ殺し合わなければならないのか。世界はなぜこのようになっているのか。この苦に満ちた世界をどう考えたらいいのだろうか。
世界は多様性に満ちている。この世界を理解するのに一番ぴったりの言葉は多様性だと思う。しかもそれは人間が理解したり受け容れたりできないほど大きな多様性である。しかしどんなに多様に見えても、すべての生き物は「天地同根、万物一体」というべき一つの大きな命を生きているのであり、たとえ食ったり食われたりの残酷で不条理な弱肉強食の世界に見えても、大きな目で眺めれば、この世界は互いに助けあってなりたっている調和のとれた世界なのである。
とはいえ、みんな一つの命を生きる仲間なのだから、できるだけ他の生き物とも仲良くやっていきたい。そして他の犠牲の上に私たちは生きているのだから、自分が犠牲になる番がきても文句は言えないのである。
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