善の話
善とは二世(にせ。今世と来世)にわたってその人を幸せにするものと、成唯識論(じょうゆいしきろん)では定義されている。だから逆に言えば、善の実践を心がけていれば人生は自ずと幸せなものになるはずである。
 
ただしここでは、善の実践とは何かではなく、心の働きとしての善とは何かを、成唯識論とその解説書である法相二巻抄(ほっそうにかんしょう)からの引用でもって紹介する。これらは善を実践する上での道しるべとなるもので、成唯識論では善の心を以下の十一に分類している。なお善の心の内容の多くは、煩悩の心の内容と背中合わせの対になっている。

一、信(しん)。真理に対する素直で清らかな心。成唯識論には、「実と徳と能において深く認し楽し欲し、心をして浄ならしむを以て性となし、不信を対治し善をねがうを以て業となす」とある。また法相二巻抄には「世の常に信を起こすというはこれなり。誠の道、大乗の法を見聞して、貴くめでたい事と深く認識し願いて、澄み清き心なり」とある。
 
つまり信とは「澄み清き心」であるが、いくつか付帯説明が付いているのは、信じてはならないものを信じるなかれと言いたいがためである。そして目の前に提示されている教えが、真実の道理と徳と働きを具えているのかどうかを判断するのは智慧の働きであるから、信と智慧とは不可分のものである。そのため大智度論には「仏法の大海は、信をもって能入となし、智をもって能度となす」とある。
 
二、慚(ざん)。自分自身と真理に恥じてもろもろの罪を作らない心。無慚の心を対治する。
 
三、愧(き)。世間に恥じて罪を作らない心。無愧の心を対治する。
 
慚と愧はともに恥じる心であるが、恥じる対象に違いがある。「慚があれば必ず愧もあるが、愧があれば慚もあるとは限らない。故に慚が最も大切である。瑜伽論」。「慚ある者は不退なり。退は羞恥すべきが故なり。大乗荘厳経論」。つまり愧よりも慚の方が重要とされている。
 
四、無貪(むとん)。むさぼらない心。自分と自分のものに執着せずに善をなす心。貪りの心を対治する。
 
五、無瞋(むしん)。瞋(いか)ることのない心。心にかなわぬこと、我にそむく人、自分を苦しめること、があっても腹を立てずに善をなす心。瞋りの心を対治する。
 
六、無痴(むち)。おろかでない心。万のことに明らかな心。道理をよくわきまえて善をなす心。愚痴の心を対治する。なお無貪、無瞋、無痴の三つを、貪瞋痴(とんじんち)の三毒を対治する善心ということで三善根(さんぜんこん)と呼ぶ。
 
七、勤(ごん)。精進する心。勇敢・純一に善を修し、悪を断じる心。懈怠(けたい)の心を対治する。だから悪に対する努力は精進ではなく懈怠という。仏教の歴史は不惜身命(ふしゃくしんみょう)の精進の歴史である。
 
八、軽安(きょうあん)。禅定に入ったときに生じる、煩悩をはなれて身も心も軽くさわやかな、修行に集中する心。昏沈(こんちん)の心を対治する。なお善の心所はすべてが一緒に働くとされるが、唯一この軽安は禅定に入ったときにのみ働く。
 
九、不放逸(ふほういつ)。放逸ならざる心。善悪をわきまえて精進する心。悪を断じ、善を修し、放逸の心を対治する。そのため不放逸は「精進と三善根」のこととされる。
 
十、行捨(ぎょうしゃ)。とらわれのない心。好き嫌いを捨てた安らかな心。精進と三善根を平等・正直・無功用(むくゆう。力まないこと)の状態に保つ静かな心。落ちつきのない心を対治する。
 
十一、不害(ふがい)。害することのない心。すべての生き物に対して、怒ったり悩ませたりすることのない心。他の悲しみの分かる、あわれみの心。害の心を対治する。

以上が善の心である。あまり善の話らしからぬ内容のように思うかもしれないが、ここで説かれているのはあくまで心の働きとしての善とは何かである。そしてこれらの項目や説かれる順番を眺めていると、これらは修行の心構えや順番になっているように思う。
 
つまり「衆生本来仏なり」と信じることから出発し、現在の自分の未熟さに対する慚愧の心を原動力として、貪りの心、怒りの心、愚痴の心を対治するために、無一物にむかって不退転の精進を続け、軽やかなとらわれのない心で慈悲を実践する、という具合である。
 
なお善には有漏善(うろぜん)と無漏善(むろぜん)の二つがあるとされ、漏は煩悩のことであるから、有漏の善は見栄をはるとか見返りを期待するなどの我執の心が根底にある善、無漏善は無心なる心の働きから出てくる善とされる。そのため有漏善は「世間の善」、無漏善は「出世間の善」と呼ばれ、有漏善は未来に楽果をもたらすもの、無漏善は涅槃を得るのに役立つものとされる。
 
とはいえ白隠禅師曰わく、「小善とても捨てず積め」。たとえ小さな有漏善であっても捨てずに積むべきだと思う。

参考文献
「凡夫が凡夫に呼びかける唯識」太田久紀 大法輪閣 昭和60年
「唯識三十頌要講」太田久紀 中山書房 平成12年
「成唯識論要講全4巻」太田久紀 中山書房 平成11年
「唯識とは何か」横山紘一 春秋社 一九八六年

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