窮すれば通ず
「チーズはどこへ消えた」という本がよく売れているという。著者はアメリカ人、登場するのは二匹のネズミと二人の小人だけ、という単純な内容の絵本のような本であるが、それでもビジネスマン向けの本だという。
迷路のなかに住むネズミと小人は、毎日、迷路を歩きまわってチーズを見つけて食べていた。ある日彼らはすばらしいチーズを発見した。それはおいしくて、しかも一生かかっても食べきれないほどの巨大チーズだった。
そのため彼らはそれからは毎日そのチーズのある場所へ直行し、ついに二人の小人はチーズの近くに住みついてしまった。一方のネズミたちは相変わらず毎朝やって来て、チーズとその周辺を注意深く嗅いでまわり、いつでも逃げ出せるようにしながら食べていた。
ところがある日チーズは忽然と姿を消し、ネズミも小人も驚いてあたりを探し回ったがどこにも見つからなかった。二匹のネズミはチーズが無くなったことを納得すると、すぐに新しいチーズを求めて新たな迷路へ向かって出発し、小さなチーズを見つけて食べながら未知の迷路を探検し、ついに前よりもおいしいチーズを見つけることができた。
ところが小人はネズミのように単純ではなく、そのためそこを離れられなかった。チーズはなぜ無くなったのか、どうして我々はこんな目にあわなければならないのか、誰の責任なのか、などと議論は尽きず、またここにチーズが現れるかもしれない、新しい迷路は危険だ、ここが我々の場所だ、などと言って動こうとしなかった。しかし二度とそこにチーズが現れることはなく、彼らはどんどんやせ衰えていく。
たまりかねた一人はその場所に見切りをつけて新たな迷路に挑戦し、不安にかられながらも一人で迷路を突き進み、新しいチーズのある場所にたどり着いた。ところが残った一人は相変わらずその場所を動こうとしなかった。そして・・・話はおしまいである。
なぜこのような本が売れているのだろうか。
チーズは財産や仕事といった人々が望むものを表しており、迷路は現代社会である。変化してやまない現代社会では、チーズのある場所も常に変化しつづけているが、人間の方はすぐには変われない。しかし変われない人ばかりだと、その会社は変化から取り残されてしまう。そこでこの本の出番となる。この本に出てくるネズミを見習いなさいというのである。
この本がビジネスマンによく売れているのは、ビジネスの世界でも変化をきらう人が多いからであろう。この本をアメリカ人が書いたは、変化に対して積極的と思われているアメリカ人でさえ、たやすくは変化を受けいれないからであろう。人は誰しも変化を嫌い、強制された場合はつよく反発する。その反発心が問題なのである。
人生は「あみだくじ」のようなものだと思う。前進してぶつかったら横へ行き、そしてまた前進するのであるが、そのためには、これしかないという思い込みをすてなければならない。だから頭をぶつけて泣きを見るのは歓迎すべきことかもしれない。それでなければ人間は変われないからである。
私が住職している寺に小さな鎮守堂があり、その前に小さな金属製の賽銭箱が立っている。先日、久しぶりにその賽銭箱を開けてみて驚いた。なんと小鳥の巣が入っていた。賽銭箱にはお金を入れる縦二センチ横五センチの穴しか開いていないのであり、本当にこんな小さな穴から鳥が出入りできるのかと、すぐには信じられなかった。賽銭バコが小鳥の巣箱に似ていることに、そのとき初めて気がついた。巣の主は雀ではないかと思う。
巣は乾燥した苔のうえに動物の毛をていねいに敷き詰めて作られており、じつに居心地が良さそうである。巣を作った鳥は、初めのうちは、すばらしい安住の地を見つけたと喜ぶとともに、自分の頭の良さを誇りに思ったかもしれない。ところがそこは、いつ頭の上から硬貨が降ってくるか分からない危険な場所だった。お札が降ってくることは決してないのである。やがて卵を産むべき場所は五円玉や十円玉に占領され、そのため鳥はお金の上にさらにコケと毛を積み重ねたが、その上にまた賽銭が降ってきて、ついに賽銭バコの中はコケと毛で一杯になってしまった。
賽銭バコを開けたとき巣のまん中に、賽銭が小鳥の卵のように寄り添ってたまっており、賽銭を集めていたら巣の下の方から、割れていない乾燥した小さな卵が二つ出てきたから、親鳥は身を挺して卵をまもったようであるが、すべての努力は無駄になり鳥はあきらめて巣を放棄したらしい。あの小さな穴から賽銭箱一杯のコケと毛を運び入れるには大変な時間と労力がいる。最初のお金が降ってきたとき、鳥は計画の変更を考えるべきだったのである。
ブッダいわく「古いものに執着するなかれ。新しいものを喜ぶなかれ」
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