イソップ物語

小学生のころを思い出しながらイソップ物語を読み返してみた。子供向けのおとぎ話として読まれているイソップ物語だが、おとぎ話にしてはひどく辛口の話ばかりであり、本来は子供向けではなかったのかもしれない。イソップが二千五百年前のギリシアの奴隷だったことを知って、辛口の理由がなんとなく納得できたようにも思う。

     
アリとキリギリス

夏の暑い盛りにアリが汗水ながして働いていた。近くの涼しい草むらではキリギリスが「スイッチョン、スイッチョン」とのんびり歌って過ごしていた。「アリさん。アリさん。どうしてそんなにあくせく働くの。まだまだ冬はやって来ませんよ」

ところがいつの間にか季節は移りかわり冬がやって来た。野の草は枯れ果て、キリギリスは食べるものがない。しかたなくアリの所へ行き、ホトホトと扉を叩いて言った。

「アリさん。何か食べるものを分けてもらえませんか」

「おやキリギリスさん。食べ物がないのですか。あなた、夏の間はどうしていたの」

「夏の間は歌って過ごしました」

「だったら冬は踊って過ごしなさい。アリは物をもらわないし、物をあげたりもしない」と言って扉を閉めてしまった。

今年は西暦二千一年、二一世紀の最初の年である。小学生のとき、あなた方が五〇歳になったとき二一世紀になるのですよ、と先生に言われ、五〇歳なんて歳に自分がなるわけがない、と思ったのを覚えている。私はキリギリスだったらしい。

     
オオカミと鶴

オオカミが骨を喉に刺してしまった。何も食べることができず、このままでは餓死してしまう。そこで近くにいた鶴に話しかけた。「鶴さん、鶴さん、わたしは骨を喉に刺して難儀している。あなたは長いくちばしをお持ちだから、それで骨を抜いてもらえんだろうか。お礼ははずみますぞ」

お礼ははずむという言葉に釣られて、鶴はオオカミの口に頭を入れて骨をとってあげた。オオカミは、これで楽になった、餓死しなくてすむ、と大喜びである。それを見て鶴が催促した。「早くお礼をください」

するとオオカミは怒り出した。「お前はなんてバカなんだ。お礼はすでにやったではないか。わしの口に頭を入れたとき、お前を食い殺すことができたのだ。命を助けてやったのが一番のお礼ではないか」

鶴はくたびれ損だったと飛び去った。

この話は、オオカミの口に頭を入れるような馬鹿をするな、と言いたいのだろうか。お礼はすでにやった、というオオカミの言葉には一理あると思う。

     
オオカミと子羊

子羊が川のほとりでオオカミに出合った。オオカミが言った。

「お前はけしからん奴だ。わしが飲む水を濁らせてしまったではないか」

「オオカミさん、それは無理な話です。川下にいる私がどうして水を濁らせることができましょう」

「半年前に、お前の母親が水を濁らせたことがあるのだ」

「半年前、私は生まれておりませんでした。それは私の責任ではありません」

「お前は草を食って野や山を荒らしておるではないか」

「羊が草を食うのは仕方のないこと。オオカミさんは草を食べないのだから良いではありませんか」

「理屈ばかり言う奴だ。とにかくお前を今日の晩飯にすると決めたのだ」

こうして子羊は食べられてしまった。

力のない者がどんなに正しいことを言っても、ごまめの歯ぎしりでしかないとこの話はいいたいのだろう。

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