カウンセリングの話

カウンセラー(面接療法者)のいちばん大切な心得は何もしないことだという。心を空っぽにして患者とただ一緒に居る。そしてただ話を聞く。するとたいていの心の病は治るという。批判がましいことは言わず、助言もせず、治してやろうとも思わず、ただ真剣に話を聞く、ということが大切であり、そのために必要とされるのは謙虚さだという。

だから熟練者だと自信を持っている人や、人生経験を生かして人助けをしてやろうなどと考えている人は、面接療法には不向きだという。だとすると逆にいえば、話がしっかり聞ける人なら経験がなくてもある程度は人助けができることになる。悩んでいる人から相談を受けたなら、すばらしい助言をしようなどと考えず、相手の話に耳を傾ければよいのである。

以上が面接療法に関する本を読みあさった末に、これが核心だろうと感じたことであった。悩みごとを聞く機会の多い人には、こうした面接療法の心得が役にたつかもしれないので、以下にもう少し詳しく書いてみる。

話を聞くだけなら誰にでもできると思いたくなるが、面接療法は楽しいお喋りをする訳ではない。聞きたくもない愚痴を聞かされて、死ぬほどいやな思いをした経験は誰にでもあると思う。そのような話をひたすら聞くというのは実はたいへんな仕事なのであり、助言や援助をするよりもはるかに大きな精神力を必要とする。

自分が非難されないと分かったとき、相手ははじめて物事を冷静に見ることができるようになる。だから良くても悪くてもまず相手の全てを受け入れなければならない。しかしそれは生やさしいことではなく、相手の悩みが自分の許容量を超えている場合は、他の人に任せた方がいいという。たとえば同性愛を許容できない人には、同性愛に関する面接療法はできない。

それと自分が経験したり本で読んだりしたことを、これしかないと思いこむことが一番こわいという。同じ人間はこの世に二人といないからであり、そのためカウンセラーにはたえざる自己否定が求められる。

またときには父性(ふせい)が必要になることもある。相手をやさしく受け入れるのが母性なら、叱ったり、怒鳴りつけたり、帰らせたり、など厳しく拒絶するのが父性であり、難しい相手には父性がないと対応できないという。逃げずに本気で対応しなければならないのであり、一般的に日本人は父性での対応が苦手、欧米人は母性が苦手とされる。

また最近は、無気力、無関心、無感動な人が増えていて対応に苦労することがあるという。恵まれすぎがそういう人を作りだしているのであり、人間は欲しい物がすべて与えられると感動も目標も無くなってしまうから、何でも買い与えるのは子供の生きる喜びを奪うことになる。

人生経験の豊かな人に相談し意見を聞くことは、難しい問題で悩んでいるときの一つの有効な方法である。しかし精神状態が病的な状態になってきたら専門家による治療が必要となり、それは訓練を必要とする専門的な仕事なので、本格的な治療は専門家に任せなければならない。ただしそのあたりの見きわめは素人には難しく、下手をすると相手を傷つけてよけい悪くすることもあるし、相手の病気や悩みを背負いこんで聞く側の精神状態が悪くなることもある。

医者の中でいちばん自殺が多いのは精神科の医者だといわれており、患者に殴られたり殺されたりしたカウンセラーもある。そうした危険を避けるために、専門家は前もって時間と場所と料金を設定してけじめを作る。その方が治療効果も上がるという。もっとも毅然とした態度をとっていれば、殴られることはまずないという。それと面接療法をする人は、自分も面接療法を受けて患者の立場を経験をしておくことが必要であり、それは危険を未然に防ぐことにも役立つ。

人生に安直なうまい解決法はない。問題を解決するには本人が変わらなければならず、変わるときは自分で変わる。変わるためには、自分で悩み、自分で答えを出し、自分で納得しなければならず、そのためには本人が問題の核心を見つめなければならない。その心の傷口に触れるつらい仕事を、励まし応援するのがカウンセラーである。

だから「何かいい方法はありませんか」と聞かれても、いい方法を提示したりはしない。世に言ういい方法とは脇道であることが多く、脇道に入ると正面から問題に取りくまなくなり、変わることができなくなるからである。だからといって突き放してしまうのではなく、傍にいて悩みをいっしょに背負う。どうしたら良いか分からないから患者は苦しんでいる。カウンセラーはその苦しみに共感し、痛みを分かち合うことで立ち直りを手助けするのである。

面接療法は外側から観察したり操作したりするのではなく、相手の悩みの中に入りこんでいく療法であるが、相手の悩みの中に入りながらも自分の足場を失わないのが専門家だという。

参考文献 河合隼雄氏の著書12冊。

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