青森挽歌

宮沢賢治は大正十二年七月三一日に岩手県の花巻(はなまき)を出発し、カラフトへと向かった。旅の目的は彼が教師をしていた花巻農業高校の生徒のための就職活動だったが、旅の内容は前年の十一月に二四歳の若さで他界した、最愛の妹トシの死をいたむ傷心旅行というべきものだった。

死後八ヶ月が経過しているのに、そのとき作られた詩は深い悲しみに満ちており、これを読むと彼は旅のなかでトシと交信することを考えていたように思われる。彼の口語詩の中で私がいちばん好きな青森挽歌は、その旅行で作られた詩群オホーツク挽歌の中に含まれている。かなり長い詩であるし未完成の部分もあるので、ここでは抜粋してご紹介したい。

      青森挽歌

 (前略)

あいつはこんなさびしい停車場を

たったひとりで通っていったらうか

どこへ行くともわからないその方向を

どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを

たったひとりでさびしくあるいて行ったらうか

 (草や沼やです

  一本の木もです)

 《ギルちゃんまっさをになってすわってゐたよ》

 《こをんなにして眼は大きくあいてたけど

  ぼくたちのことはまるでみえないようだったよ》

 《ナーガラがね 眼をじっとこんなに赤くして 

  だんだん環をちひさくしたよ こんなに》

 《し 環をお切り そら 手を出して》

 《ギルちゃん青くてすきとほるようだったよ》

 《鳥がね たくさんたねまきのときのように 

  ばあっと空を通ったの

  でもギルちゃんだまってゐたよ》

 《お日さまあんまり変に飴いろだったわねえ》

 《ギルちゃんちっともぼくたちのことみないんだもの

  ぼくほんとうにつらかった》

 《さっきおもだかのところであんまりはしゃいでたねえ》

 《どうしてギルちゃんぼくたちのことみなかったらう

  忘れたらうかあんなにいっしょにあそんだのに》

かんがへださなければならないことは

どうしてもかんがへださなければならない

とし子はみんなが死ぬとなづける

そのやりかたを通って行き

それからさきどこへ行ったかわからない

それはおれたちの空間の方向ではかられない

感ぜられない方向を感じようとするときは

たれだってみんなぐるぐるする

 《耳ごうど鳴ってさっぱり聞けなぐなったんちゃい》

さう甘えるように言ってから

たしかにあいつはじぶんのまはりの

眼にははっきりみえてゐる

なつかしいひとたちの声をきかなかった

にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり

それからわたくしがはしって行ったとき

あのきれいな眼が

なにかを索めるように空しくうごいてゐた

それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかった

それからあとであいつはなにを感じたらう

それはまだおれたちの世界の幻視をみ

おれたちのせかいの幻聴をきいたらう

わたくしがその耳もとで遠いところから声をとってきて

そらや愛やりんごや風 すべての勢力のたのしい根源

万象同帰のそのいみじい生物の名を

ちからいっぱいちからいっぱい叫んだとき

あいつは二へんうなづくように息をした

白い尖ったあごや頬がゆすれて

ちひさいときよくおどけたときにしたやうな

あんな偶然な顔つきにみえた

けれどもたしかにうなづいた

   《ケッヘル先生!

   わたくしがそのありがたい証明の

   任にあたってもよろしうございます》

 仮睡珪酸の雲のなかから

凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は……

  (宗谷海峡を越える晩は

  わたくしは夜どほし甲板に立ち

  あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり

  からだはけがれたねがひにみたし

  そしてわたくしはほんたうに挑戦しよう)

たしかにあのときはうなづいたのだ

そしてあんなにつぎのあさまで

胸がほとってゐたくらゐだから

わたくしたちが死んだといって泣いたあと

とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ

ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで

ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない

そしてわたくしはそれらのしづかな夢幻が

つぎのせかいへつゞくため

明るいいゝ匂のするものだったことを

どんなにねがふかわからない

   (中略)

《黄いろな花こ おらもとるべがな》

たしかにとし子はあのあけがたは

まだこの世かいのゆめのなかにゐて

落ち葉の風につみかさねられた

野はらをひとりあるきながら

ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ

そしてそのままさびしい林のなかの

いっぴきの鳥になっただろうか

   (中略)

それらひとのせかいのゆめはうすれ

あかつきの薔薇いろをそらにかんじ

あたらしくさはやかな感官をかんじ

日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ

かがやいてほのかにわらひながら

はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを

交錯するひかりの棒を過ぎり

われらが上方とよぶその不可思議な方向へ

それがそのやうであることにおどろきながら

大循環の風よりもさはやかにのぼって行った

わたくしはその跡をさへたづねることができる

そこの碧い寂かな湖水の面をのぞみ

あまりにもそのたひらかさとかがやきと

未知な全反射の方法と

さめざめとひかりゆすれる樹の列を

ただしくうつすことをあやしみ

やがてはそれがおのづから研かれた

天の瑠璃の地面と知ってこゝろわななき

紐になってながれるそらの楽音

また瓔珞やあやしいうすものをつけ

移らずしかもしづかにゆききする

巨きなすあしの生物たち

遠いほのかな記憶のなかの花のかをり

それらのなかにしづかに立ったらうか

   (中略)

もうぢきよるはあけるのに

すべてあるがごとくにあり

かゞやくごとくにかがやくもの

おまへの武器やあらゆるものは

おまへにくらくおそろしく

まことはたのしくあかるいのだ

     《みんなむかしからのきょうだいなのだから

      けっしてひとりをいのってはいけない》

ああ わたくしはけっしてしませんでした

あいつがなくなってからあとのよるひる

わたくしはただの一どたりと

あいつだけがいいとこに行けばいいと

さういのりはしなかったとおもひます

            (1923、8、1)

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