地蔵盆の話

「地蔵盆」を平凡社の百科事典で引いたら、次のようなことが書いてあった。「地蔵盆は京都を中心とする近畿地方で、子どもによって行われている。地蔵が子どもに関係の深い仏だからという。福井県小浜市ではどの堂にも賽銭箱が用意されていて、おとなが近づいていくと、参ってんのう、参ってんのう、と参拝をせがまれるという。日本海側では地蔵を絵の具などできれいに化粧するところが多い」。
 
上記の説明文が書かれたは、おそらく40~50年も前のことだと思うが、その頃は子どもの数が多かったこともあって、私の住む小浜市は百科事典で取りあげられるほど地蔵盆の盛んな土地であったらしい。ところが最近は子ども数の減少が最大の原因であるが消滅の危機に瀕している。
 
なお地蔵菩薩の縁日は一般には24日とされているが、小浜市では23日に地蔵盆が行われている。これは法要などを午後とか夕方におこなう場合は、前日に修行することになっているからだと思う。つまり前夜祭のような形で前日の夕方から始めていたのが、いつしか23日が地蔵盆の日になってしまった、ということだと思う。
 
つぎに地蔵盆という言葉の意味や由来を説明しようと思ったのだが、この言葉を解説した文書がどこにも見つからず、はっきりとしたことは分からなかった。そこで私の推測を述べてみると、お盆の月に行われる地蔵祭りということで地蔵盆と呼ばれるようになった、ということではないかと思う。つまり地蔵菩薩の縁日は年に十二回あるが、その中のお盆の月に行われる地蔵祭りを特に地蔵盆と呼んで、その代表的な祭りにしたということである。
 
なお、お盆も仏教の重要行事の一つであるが、これもどこで始まったのかよく分からない行事である。一般には釈尊の時代にインドで始まったとされていて、それだと二千四百年まえに始まったことになるが、シルクロードを仏教が伝播してくるとき、ペルシアあたりの先祖供養の行事が取り込まれてお盆になったのでは、というような説もあってはっきりしていない。お盆のような先祖供養の行事は、世界中どこででも行われているため、始まりの時期や場所を特定するのが難しいのである。

   
地蔵菩薩とは
 
それでは地蔵菩薩とは何か、その生まれはどこかというと、地蔵菩薩が生まれたのは遥か南のかなたのインドの国、その素性はプリティビーという名の女神であったとされる。なんとお地蔵さまは実は女神であったという。
 
日本にはヒンズー教(インド教)の神さまがたくさん仏教の守護神となって伝来していて、その中の帝釈天(たいしゃくてん)とか毘沙門天(びしゃもんてん)などの天のつく神は、天に住む神、天を司る神である。それに対してお地蔵さまの元になったこの女神は、地にすむ神、地を司る神、豊穣の神であったらしい。
 
そして仏教に取りこまれた後の地蔵菩薩の名前、つまりお地蔵さまのインドでの呼び名はクシャティガルバといい、クシャティは大地、ガルバは子宮を意味するというから、やはり女性的な名前である。
 
漢字名の地蔵は、よく善根を生ずること大地の徳のごとし、ということで付けられた名前とされる。大地が豊かな作物やさまざまな植物、金・銀・宝石などの宝ものを生みだすように、豊かな恵みを生みだす菩薩、ということで付けられた名前ということである。
 
地蔵菩薩に対する信仰はインドで始まったが、インドではあまり広まらなかったらしく、しかも仏教は千年ほど前に、仏教の故郷であるインドから姿を消してしまったので、インド国内に地蔵菩薩の像や絵は残っていないようである。要するに古文書に名前が出てくる程度ということらしい。
 
地蔵信仰がシルクロードを運ばれて、中国に伝わったのは五世紀ごろ、広まったのは唐の時代(7~10世紀)とされ、日本に伝わったのは奈良時代(8世紀)、広まったのは平安時代末期(12世紀)とされる。だから日本においても千年以上の歴史がある。
 
地蔵菩薩や観音菩薩は、一切の生きとし生けるものの救済を誓願する菩薩であり、大慈悲心でもって衆生の苦しみを代わって受けてくれる大悲代受苦(だいひだいじゅく)の菩薩ともいわれる。それが身代わり地蔵や身代わり観音が存在する理由である。他人の不幸には誰しも冷淡なものであるが、お地蔵さまや観音さまは人の不幸を放っておけない性分なのである。
 
お地蔵さまが子どもを守ってくれるという信仰が、いつどこで始まったのかということはよく分からない。こうした民俗学的なことは記録が残りにくく確認が難しいのであるが、もとはインドの女神であったことと、子どもを守る菩薩とされることには、何らかの関係があると思う。またお地蔵さまは特に地獄で人々を救ってくれる菩薩といわれるが、そのことと地蔵菩薩の前身が大地を司る神であったことには、やはり関係があると思う。
 
そしてこの二つが合わさって、「賽の河原、地蔵和讃」で説かれるように、あの世のどこかにある賽の河原で、子ども達が石を積んで塔を作り功徳を積んでいると、地獄の鬼が現れて塔をつきくづす。そのときお地蔵さまが現れて子ども達を守ってくれる、というようになったのではないかと思う。
 
あるいは逆に、この和讃が広まったことで子どもを守る菩薩といわれるようになった、ということも考えられる。

   
五色旗
 
地蔵盆で使われる地蔵旗(じぞうばた)と呼ばれる五色旗(ごしきばた)は、仏旗(ぶっき)とか仏教旗と呼ばれる仏教を象徴する旗でもある。その色はは緑、黄、赤、白、紫となっていて、お寺で使われる五色幕(ごしきまく)も同じ五色である。
 
この五つの色は、仏さまがその偉大な力を行使するとき、その体からこれら五色の光を放つと、小部(しょうぶ)経典という経の中に説かれていることに由来するという。
 
1950年にスリランカで第一回世界仏教徒会議が開催されたとき、国際的な仏旗が制定されたという。それまで使われていた細長い五色旗では不便だからと、このとき普通の旗の形の仏旗が制定されたのであり、この旗は日本ではあまり使われていないが、その色は、青、黄、赤、白、樺色(かばいろ。赤みを帯びた黄土色)の五色である。

   
地蔵盆のこれから
 
今の人は病気になったらすぐに病院に駆け込むことができる。私自身のことを考えても、医者の世話にならなかったらこの歳まで生きていなかったかもしれないと思うが、昔の人は多くが医者にかかるお金もなく、医者にかかったとしても医学が未発達なため病気の多くは治らず、重病になれば死を待つのみという状態になり、あとは神様、仏様にお任せするしかないということになったと思う。もちろんお任せしても病気はたいてい治らないのだが、安らぎを得ることはできるのである。そしてそのお任せする仏様の中に、地蔵菩薩も含まれていたと思う。
 
また子供の死亡率の高かった時代には、幼くして亡くなった子供の冥福を祈る人がたくさんいたはずで、そういう人達が祈りを捧げる対象として選んだのも地蔵菩薩であったと思う。
 
だからそのような時代には、地蔵盆は篤い信仰心でもって熱心に行われていたと思うが、医学や科学の発達によって地蔵信仰が消滅しつつある今の時代、そして子供数の激減がそれに拍車をかけている時代に、地蔵盆をおこなう意義をどこに見出したらいいのかということは、難しい問題だと思う。


最後にインドの哲学や宗教の、究極の教えというものをご紹介したい。仏教のふるさとであるインドは、哲学の国であり宗教の国である。そのインドの哲学や宗教の究極の教えは何かというと、それは「汝がそれである」という教えである。
 
つまり神さまを求めている人には、「汝が神である」。仏さまを求めている人には「汝が仏である」。宇宙の根本原理を求めている人には「汝が宇宙の根本原理である」。宇宙の中心はどこかと求めている人には、「汝が宇宙の中心である」。創造主を求めている人には「汝が宇宙の創造主である」。真実の自己を求めている人には「汝が真実の自己である」。そして地蔵菩薩とは何かと求める人には「汝が地蔵菩薩である」ということである。
 
修行をしてどこまでも心を磨いていったとき、最後の最後に残るものが、神であり、仏であり、宇宙の根本原理であり、宇宙の中心であり、創造主であり、真実の自己であり、そして地蔵菩薩だということである。

一切の生きとし生けるものを救いたいという誓願を立てたお地蔵さまとは、私たち自身だということである。


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