平常心是れ道

この言葉にはいくつかの読み方がありますが、普通は「へいじょうしん、これどう」と読みます。平常心を守って生きていくことが人の道だということです。
 
いつの間にか私も、後期高齢者などと呼ばれる歳になり、ここまで生きられたことには感謝するしかないのですが、最近は、目はかすむ、耳は遠くなる、膝は痛い、でなかなか大変です。老いの身のせつなさを今しみじみと味わっています。
 
誰しも歳をとると、体力も気力も美しさも失われ、居場所も出番もなくなり、友だちも楽しみも減る一方で、誇りも未来への希望も消滅し、残るは孤独と絶望のみという状態になってきます。こうしたとき、こうしたことを、平常心で受けいれていくには相当の修練が必要なようです。
 
私の場合、今いちばんの問題は眠りが浅くなったことでしょう。寝付きはいい方ですが、夜中に決まって目が覚めるようになり、そのままいつまでも眠れないことがあるのです。もっとも眠れないのは加齢現象で仕方のないことなので、問題とすべきはそのときの心の状態なのでしょう。
 
眠れなくても平常心でいることができれば、心の中に何も出てこなければ、つまり不安や思いわずらう心が出てこなければ、問題はないのです。
 
それでは夜中に平常心を維持するにはどうすればいいのかというと、呼吸に心を集中する随息観(ずいそくかん)という瞑想法が、寝ているときの最適の調心法ではないかと思います。またお念仏を心の中で唱えるのもいいと思います。
 
なお、お酒を一定以上飲むと平常心が失われます。アルコールが分解されるとき、アセトアルデヒドという毒素が生じ、その毒素が心を濁らせる、ということようです。そして悪夢を見たり、不安な心が出てきたりします。良くても悪くても人生はつかの間の夢でありますが、悪夢はできるだけ見ない方がいいのです。

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