柿の木の歌
 
柿の木が登場する歌「柿の木坂の家」は、石本美由紀(いしもとみゆき)作詞、船村徹(ふなむらとおる)作曲、青木光一(あおきこういち)の歌でもって、一九五七年(昭和三二年)にレコードが発売された懐かしの歌。なお作詞者は男性である。

  柿の木坂の家

春には、柿の花が咲き
秋には、柿の実が熟れる
柿の木坂は、駅まで三里
思い出すなァ、ふる里のョ
乗合バスの、悲しい別れ

春には、青いめじろ追い
秋には、赤いとんぼとり
柿の木坂で、遊んだ昔
懐しいなァ、しみじみとョ
こころに返る、幼い夢が

春くりゃ、偲(しの)ぶ馬の市
秋くりゃ、恋し村祭り
柿の木坂の、あの娘(こ)の家よ
逢ってみたいなァ、今も尚ョ
機織(はたお)りながら、暮していてか

柿の木坂という心ひかれる名前の坂はどこにあるのだろうか。この歌の作詞者が生まれたのは、安芸(あき)の宮島がせまい海峡をへだてて対岸に見える瀬戸内海に面した広島県大竹市。そしてその隣町の廿日市市(はつかいちし)から、県道三十号線が津和野(つわの)へと向かって山地へ入っていく。
 
その津和野街道の坂の上にある明石峠(あかしとうげ)が、ネット上の情報によると、柿の木坂の原風景の地とされているらしい。峠と坂はちがうと言いたくなるが、昔は峠を坂と呼んでいたという。なおこの峠には汐見坂峠(しおみざかとうげ)の名もあるらしく、峠に立つ石碑には両方の名が彫られている。
 
ただしグーグルマップを見るかぎり、このあたりに柿の木坂という地名は存在せず、画像を見てもあたりに柿の木も生えていないようなので、柿の木坂は作詞家の心の中の峠なのかもしれないが、仮にこの峠が柿の木坂の原風景の地だとすると、駅まで三里という駅は廿日市市内にある山陽本線の駅のどれかということになる。
 
この歌詞を読んだとき私は、この歌は山形県あたりを舞台にした歌に違いない思った。その理由は、山形県を旅したとき柿の木がやたらと目についたのを覚えていることと、東北では馬の放牧が盛んだったことであるが、広島県でも昔は馬の放牧が盛んだったという。
 
なお東京都目黒区にも、高級住宅地になっている柿の木坂という地名の場所があるというが、もちろんここは柿の木ぐらいは生えているかもしれないが駅まで三里という場所ではない。
 
柿の木は北海道を除けば日本国中どこにでも生えている木。マメガキ(豆柿)やトキワガキ(常磐柿)などいくつか種類はあるが、普通のカキノキのこととして話を進めると、カキノキはカキノキ科カキノキ属の落葉高木、最大樹高が十二メートルほどの、光沢のある大きな葉をもつ見分けやすい木である。甘柿と渋柿があってともに多数の栽培品種があり、中国原産の植物とされるが野生化もしていて自生説もある。
 
柿の木は、大木にもならず、幹や枝が大して太くなることもなく、しかも枝はもろくて折れやすい、という貧相な木であるが、秋になるとやせた枝に惜しげもなくたわわに実をつけて提供してくれるありがたい木である。紙が高価だった昔、大きな葉を紙代わりにして字の練習をしたという話も残っている。
 
パキスタン北部を旅したとき、宿の庭に柿の木がたくさん植えてあって驚かされたことがあった。これらの木は日本からではなくカラコルム山脈を越えて中国から輸入されたものだと思う。なお晩秋に木のてっぺんに取り残しの実がいくつか付いているのを見ることがある。そうした実は木守り(きまもり)と呼ばれている。

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