独接心の話

山などにこもって一人で坐禅修行に打ちこむことを独接心(どくぜっしん)という。この修行をするときまず問題になるのは、独接心ができる場所を探すことであるが、幸い私が独接心をしたときには、坐禅仲間の紹介で最適のお堂を四国の山奥で見つけることができた。

四国には大して高い山はないが、山はけっこう深くてけわしい。しかも庭先からお芋をころがしたら谷底まで転がっていくだろう、と思うような急斜面にも人が住みつき畑を耕している。耕して天にいたるという言葉は、四国の山里のためにある言葉だと思ったほどであり、ふと見上げた山の上に人家を見つけて驚かされたことが何度もあった。そのような所には平家の落武者伝説が残っていたりする。

独接心をしたお堂は、そうした急斜面を開いて作られた集落の最後の家から、さらに四キロほども山に入ったところにあった。このお堂のある山は、弘法大師が根本道場を建てるとき和歌山の高野山とともに候補にあがったことがあるとか、大師が修行したことがあるとか、伝えられている山である。

この根本道場の話はあり得ないことではないと思う。大師の生まれ故郷に近い山であるし、山上は高野山と同じように広い台地になっているし、寺を建てるための木材資源にも恵まれているし、しかもその台地の上は高野(こうや)と呼ばれているからである。またこの山は山頂は平らで面白味に欠けるが、山腹は滝が連続する切り立った岩場になっていて、滝行に最適の滝もある。だからここで修行をしたという話もかなり信用できる。

そしてその滝行のできる滝のそばの景色のいいところに、大師をまつるお堂が建っている。そのお堂を十三日間、借りたのであった。お堂には宿泊のできる建物が付属していて、そこの囲炉裏で煮炊きができるし、水も引いてあるし、電気も来ているし、新しい夜具まで備えられていた。

ところがその宿泊所の屋根裏にムササビが棲みついていて、夜になると屋根裏で暴れ回るので困った。気性の荒い生き物なので暴れ方がひどいのである。そこでこの夫婦者と思われる二匹のムササビを、寝るまえに追い出すことにした。天井をたたいておどかしてやると、窓の上のすき間から飛び出して谷底に向かって滑空していく。そして翌朝、山の端が少し明るくなったとき、トンと音をたてて屋根の上に帰ってくる。

私はその音で目を覚まし、あとはひたすら坐禅をし、眠くなると滝に打たれた。滝に打たれるのは始めての経験だった。お盆のあとの残暑の厳しいときとはいえ山の水は冷たく、落下してくる水の勢いは強く、よほど腹を据えてかからないと滝に負けてしまう。だから滝に打たれるといっぺんに眠気が吹っ飛び、しかも体もきれいになる。

初めて滝に入ったとき心配したのは、上から石が落ちてきたらどうしよう、ということだった。下らない心配だと思うかもしれないが、あり得ないことではなく、小さな石といえど直撃すれば大変なことになる。しかし大声でお経を読んでいるとそうしたことはすぐに忘れてしまう。ところが数日すると原因不明の肩こりにおそわれるようになり、夜はとくにひどくなった。原因は滝で肩を冷やしたことだったと後になってから気がついた。

そこは西に開けた場所なので、日の出を見ることはできないが、日没を眺めるには最適の場所であった。とはいえ人里離れた山の中で、ひとりで沈む夕日を眺めているのは寂しいものだった。

このお堂を紹介してくれたのは、ここで何度か断食修行をしたことがある真言宗の和尚であった。「山の霊気が修行を助けてくれる」とその和尚は言っていたが、たしかに怠けることなく坐禅を続けられたのは山の霊気のおかげだった。少なくとも周囲数キロまったく人気のない山の中なので、明るいときは何とも思わないが、日が暮れてあたりが闇に包まれてくると、寂しさとともに恐怖心も湧いてくる。そしてそれが緊張感となり一心に修行する原動力ともなった。ならば山の霊気とは寂しさと恐怖心のことなのかとなるが、的外れではないと思う。

このお堂を借りるとき世話になったのは、お堂の世話人をしている修験道の行者さんだった。お経も読めば護摩も焚くという在家の人で、子供がいないせいかそうしたことにたいへん熱心であり、お堂のまわりに石仏を配置して小さな霊場も作っていた。その人が手作りの箒を見せながらこんなことを言っていた。こういう現金収入のない山の中では、できるだけお金を使わずに生活しなければならない。だからこのあたりの人は自分で何でもする。箒もこうして自分で作ると。

至道無難禅師がこんな歌を残している。「悟りをも開かで山に入るひとは、けだものとなるしるしなりけり」。修行には正しい師匠が必要であり、初心者が一人で修行すると必ず道をまちがえる。また充分に修行のできた人であっても仲間と一緒に修行するべきだといわれる。一人でいると「小人、閑居して不善をなす」となったり、わがままな人間になったりするからである。

だとすると私の独接心も良くないことになるのだが、短期の修行だから問題はないのであり、悪いどころかとてもいい修行になったと思うし、また坐禅に対する心構えが自発的なものに変わったとも思う。

道場でする坐禅は、とくに入門したてのころは、どうしても無理やり修行させられるという感じの坐禅になりやすい。もちろん時間を決めてみなで一緒に坐禅をすることは必要なことであり、それでなければ修行が続かないのであるが、自発的な心構えの修行にどこかで切り替える必要がある。だからある程度修行した人は、期限を切って覚悟を決めて、独接心に挑戦してみては如何だろうか。白隠禅師もしばしば独接心をおこない、大きな力を得ている。

修行中の食べ物として持参したのは、米と梅干しと塩昆布だけなので、毎日お粥ばかり食べていたが、空腹感はそれほど感じなかった。世話をしてくれた人から何度か野菜をもらい、それもお粥に入れて食べたが、それでも野菜不足のせいか終わるころには歯茎がはれてきた。十年後、その世話をしてくれた人が亡くなったという通知が奥さんからあり、お世話になったお礼とお悔やみの言葉を添えて香典をお送りした。

もどる