ぐみの木の歌
 
ぐみの木が登場する童謡「砂山」は、北原白秋(きたはらはくしゅう)作詞、中山晋平(なかやましんぺい)と山田耕筰(やまだこうさく)作曲の歌。作曲者が二人いる理由は、この歌に二つの曲が付いていること、その二曲ともユーチューブで聞くことができ、よく知られているのは中山晋平の曲。他にも曲をつけた人が二人いるというがそれらはユーチューブに入っていなかった。
 
大正十一年六月、北原白秋が新潟市で開かれた童謡音楽会に招かれたとき、新潟県にちなむ歌をぜひ作ってほしいと懇願され、そのときに立ち寄った寄居浜(よりいはま)から眺めた、遠くにかすむ佐渡の島、日本海の荒波、その手前に広がる荒涼とした砂山、などの景色に着想を得てこの歌詞を書いたという。
 
その寄居浜は地図で見ると新潟市のほとんど中央に位置する海岸。現在そこは海ぞいに作られた西海岸公園の一部になっていて、その中にある護国神社の境内に「砂山」の歌碑が立っているという。
 
この砂山というのは、波と海風が海岸ぞいに作った砂の山のこと、太平洋側でも見かけるが日本海側で見ることが多く、青森県津軽の十三湖(じゅうさんこ)という湖の周辺には「十三(とさ)の砂山」という民謡も伝わっている。
 
新潟市は日本一の大河である信濃川と、これも大河である阿賀野川(あがのがわ)の河口にできた町なので、白秋の時代この町の海岸には、二つの大河が運んできた砂が寄って砂浜が発達し、場所によっては砂山の大きな盛りあがりが三重に並び、風の強い日には砂が吹雪のように舞い、砂の移動を防ぐための黒松やグミが植樹されていたという。
 
寄居浜があるのはそうした砂浜の中心部、信濃川河口のすぐ横であり、名前からしても砂が寄ってきそうな浜であるから、白秋はここで大きな砂山を眺めたのであろう。だから歌詞に出てくるぐみ原は砂防のためのぐみ原だったと思うが、現在は川の護岸工事などがすすんだことで砂が供給されなくなり、砂山どころか砂浜も消滅しつつあるという。

  砂山

海は荒海、向こうは佐渡よ
すずめ啼け啼け、もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ

暮れりゃ砂山、汐鳴(しおな)りばかり
すずめちりぢり、また風荒れる
みんなちりぢり、もう誰も見えぬ

かえろかえろよ、茱萸原(ぐみわら)わけて
すずめさよなら、さよならあした
海よさよなら、さよならあした

図鑑でグミを調べたら、グミ科グミ属の項に十種の木が載っていて、その中のナツグミとアキグミの説明の中に、海岸の砂防のために植えられるとあったので、歌詞に出てくるぐみ原のグミはナツグミかアキグミの可能性が高い。グミは窒素固定菌と共生するための根粒を根に作り、そこから養分を得ることができるので痩せた土地でもよく育つ。そのため海岸の砂防樹としてよく植えられるとあるのだが、私は砂防のためのグミ原を見たことがない。
 
ナツグミとアキグミは、グミ科グミ属の落葉低木、高さはナツグミが八メートル、アキグミが四メートルほどになり、実は生食したり果実酒にできる。ナツグミは夏、アキグミは秋に実ができ、それが名前の由来である。ぐみの木の特徴は葉の裏が銀色や金色に輝いていること、そのため判別は難しくはない。私の寺の裏山ではアキグミ、ナワシログミ、ツルグミ、オオバグミの自生を確認しているが、実がなっているのを見たことがない。
 
ビックリグミというグミの苗木を売っていたので、実を食べてみようと植えてみた。するとびっくりするほど大きく育ち、特大のおいしい実もできたが、実が熟して食べごろになると先に鳥に食べられてしまい、結局ほとんど食べることができない。だから野生のグミの実を見たことがないのは鳥が原因かもしれない。このビックリグミはナツグミの変種のダイオウグミのこと、グミの木には変種が多い。

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