お茶の木の歌
 
お茶の木が登場する「茶摘み」は、一九一二年(明治四五年。七月三十日からは大正元年)に発表された、歌詞も曲も作者不明の文部省唱歌。二〇〇七年に「日本の歌百選」に選ばれた歌の一つ。
 
八十八夜というのは立春の日を一と数えて八十八日目の夜のこと、今の暦では五月二日前後に当たる。八十八日ではなく八十八夜となっているのは、本来この言葉は遅霜(おそじも)に対する警戒を呼びかけるための言葉だったからだと思う。つまり霜は夜間に降りるということであるが、警戒したとしても何かできることがあるのだろうか。
 
そしてこの時期はお茶の新芽が出そろうとき、すなわち茶摘みの始まる時期でもある。新茶とか一番茶と呼ばれるこの時期に摘まれたお茶は栄養豊富でおいしくという。

  茶摘み

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠

日和(ひより)つづきの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ

チャノキ(茶木。茶樹)は、ツバキ科ツバキ属の常緑低木、樹高は栽培品種では二メートルほど、十二月ごろに小さな白花をつけ、翌年の秋に実が熟する。原産地は不詳で、中国西南部、インド、ベトナムなどが候補地にあがっている。利用法はもちろん葉を摘んで緑茶や紅茶にすること、また実から油を絞ることもできる。小浜市で茶畑を見たことはないが、自生しているような木を人里周辺で見ることがある。
 
チャノキには基準の変種が二種ある。一つは中国南部に自生するチャノキ、もう一つはインドのアッサム地方に自生するアッサムチャ、前者は中国種、後者はアッサム種とも呼ばれ、最大樹高は中国種が五・五メートル、アッサム種が十五メートルになり、中国種は緑茶、アッサム種は紅茶に向くとされ、日本で栽培されるのはほとんどが中国種である。
 
お茶は坐禅修行するときの心強い味方である。坐禅をしていて眠くなるほどつらいことはなく、お茶はその眠気をはらってくれるのである。
 
一一九一年に栄西(えいさい)禅師が再度の渡宋から帰国したとき、禅師はチャノキを持ち帰って各地に植えた。そのとき持ち帰ったのは苗木ではないかといわれ、禅師はそれを京都栂尾(とがのお)の明恵(みょうえ)上人にも贈ったので、今でも栂尾の高山寺(こうざんじ)には日本最古という茶畑が残っている。一般にはこれがチャノキの日本初伝とされる。
 
ところがそれよりもはるか以前から日本でお茶が飲まれていた記録が存在し、茶畑もすでにあったというが、一般に広まったのは栄西禅師以後とされる。何ごとも時節因縁を待たねばならぬということか。禅師は喫茶養生記(きっさようじょうき)を書いてお茶の効能を説いている。


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