薬師如来の話
薬師如来は、東方薬師瑠璃光如来(とうほう・やくし・るりこう・にょらい))とも呼ばれるように、東方の浄瑠璃世界の仏さまである。あらゆる病気や障害を治して下さる医者の仏さまであり、そのため左手に薬壺(やっこ。くすりつぼ)を持っていることが多い。

薬師は「くすし」とも読み、これは医者を意味していた。そして医者に看護婦さんや薬剤師さんなどの補佐が欠かせないように、薬師如来の衆生済度の活動には、日光(にっこう)菩薩と月光(がっこう)菩薩の補佐が欠かせず常にこの二人が付き従っており、また十二神将(じゅうにしんしょう)という守護神もいる。そのため薬師如来を本尊とする寺では、これらの菩薩や守護神もまつることが多い。十二神将は十二人の武神であり、それぞれが七千の夜叉を従えている。

薬師信仰の功徳を説く代表的なお経は、玄奘(げんじょう)三蔵訳の薬師如来本願功徳経である。この経によると、薬師如来の体は清浄にして瑠璃の如く、その光明は日月よりも明るく無量の世界を照らし、十二の大願を発して一切の人々を迷いと苦しみの闇から救うとある。

薬師如来は東方から世界を明るく照らす仏さまであるから、昇る朝日を擬人化した仏さまではないかと思う。また東から西へ移動する太陽の動きから、薬師如来は西の阿弥陀如来の極楽浄土へ人々をみちびくとも言われる。

私が参禅している道場の老師が朝日を見ることを勧めている。朝日は心身ともに清らかに元気にしてくれるからというのであり、胎教として朝日を見ることも勧めている。生まれてから修行をさせて悪い所を直していくのは手間がかかる。生まれる前から胎教でもって教育しよう、という作戦なのであるが、いつも朝日が見えるとは限らず、仕事の都合で見られない人もいるからと、朝日を描いた掛け軸まで用意している。

日の出を拝むことをご来光(らいこう)を拝むといい、山上で拝むご来光はとくにすばらしく、そのためそれを目的に山に登るという人もある。石川県の白山に登ったとき、山頂ですばらしいご来光を拝んだことがある。遠くに小さく見えている槍ヶ岳の横から光が射してきたと思ったら、燃え上がるように朝日が昇ってきたのであり、太陽が放射する巨大な熱を実感し、太陽が命の源であることを納得させられた。それから白山神社の神主さんといっしょに万歳を三唱しお神酒を頂戴した。朝日を拝んで薬師如来から一日の元気をもらい、夕日を拝んで阿弥陀如来の極楽浄土に思いをはせながら休息する、というのが生活の基本なのかもしれない。

薬師如来が住む浄瑠璃世界の大地はすべて瑠璃でできているという。瑠璃というのは七宝(しっぽう)の一つのラピスラズリであり、その代表的な産地はアフガニスタンである。この宝石の紫がかった紺色のことを瑠璃色といい、インド人は瑠璃の涼しげな色に強いあこがれを持っていたようである。

私たちが住む世界は娑婆(しゃば)世界と仏教では呼ばれている。娑婆はインドの言葉サハーを音写したもので忍土(にんど)と意訳され、「この世は娑婆とて堪忍(かんにん)国土、忍をなすゆえ人ではないか」と白隠禅師が歌っているように、忍なくしては生きられない世界である。

娑婆世界の教主は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)であったが、すでに般涅槃(はつねはん。完全なる悟り)に入られたため、娑婆世界は現在、教主のいない無仏の時代である。一つの仏国土には一人の仏さまという原則があって、娑婆世界のつぎの仏は弥勒仏(みろくぶつ)と決まっているが、弥勒仏はまだ兜率天(とそつてん)で修行中であり、弥勒仏が出現するのは五十六億七千万年後のことなので、それまで地蔵菩薩が娑婆のめんどうを見ることになっている。

しかし大乗仏教は空間的にも時間的にも無限ともいうべき大きな宇宙を説いている。たとえば薬師如来の浄瑠璃世界は、ガンジス川の砂の数の十倍もの仏国土を越えた先にあるとされるように、宇宙には無数の仏国土が存在していて、そこでは今も無数の仏さまが説法し、私たちを見守ってくれているのであり、その代表が薬師如来や阿弥陀如来なのである。

宮沢賢治に「銀河鉄道の夜」という童話がある。彼がこの童話の中で、宇宙を暗黒の死の世界ではなく、多くの命と物語に満ちた世界として描いているのは、こうした仏教的な宇宙観を身に付けていたからだと思う。

夜空を見上げるとたくさんの星が見える。私たちが属する銀河は、二千億から三千億の星の集まりであり、直径は約二十万光年、凸レンズの形をしていて核を中心に自転している。そしてこのような銀河が宇宙には無数に存在しているという。こうした現在の天文学が教えてくれる宇宙の姿は仏教が説く宇宙とよく似ている。

   
薬師如来和讃(やくしにょらい・わさん)

帰命頂礼(きみょうちょうらい)薬師尊 三界衆生の父ははよ

一度、名号きくひとは 万病除ひて楽を得る

我等がために普くも 十二の大願立てたまふ

日光菩薩は付き添ひて 無明の暗(あん)を照らさるる

月光菩薩は涼しくも 苦熱の煩悩掃(はら)はるる

子丑寅卯(ねうしとらう)の十二神 年月、日時(ひとき)に守らるる

七千夜叉の面々も 刹那も休息、在(まし)まさず

あら有り難や瑠璃の壺 甘露を湧(わか)して淋(そそが)るる

此の信念のかたければ 我が身も瑠璃光如来なり

七ぶつやくし無上尊 現当二世(げんとうにせ)を助けたまへ

(註)最後の行の「七ぶつやくし」は、薬師瑠璃光七仏本願功徳経に出てくる東方世界の七人の仏さまのことで、この中に薬師如来も含まれる。「現当二世」は現在世と当来世(とうらいせ。来世)。

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