菩提樹の歌

菩提樹(ぼだいじゅ)は、オーストリアの作曲家シューベルトの歌曲集「冬の旅」の第五曲。この歌曲集はドイツの詩人ビルヘルム・ミュラーの詩に曲を付けたもので、失恋した若者が住みなれた町を捨てて孤独な旅をする姿が歌われている。日本語の歌詞は明治時代に近藤朔風(こんどうさくふう)が翻訳した歌詞が広まっており、私が学校で習ったのもこれであった。

  菩提樹

泉にそいて、茂る菩提樹
慕い行きては、うまし夢見つ
幹には彫(え)りぬ、ゆかし言葉
うれし悲しに、訪(と)いしその陰
訪いしその陰

今日も過(よぎ)りぬ、暗き小夜中(さよなか)
真闇(まやみ)に立ちて、まなこ閉ずれば
枝はそよぎて、語るごとし
来(こ)よ、いとし友、ここに幸(さち)あり
ここに幸あり

面(おも)をかすめて、吹く風寒く
笠は飛べども、捨てて急ぎぬ
はるか離(さか)りて、たたずまえば
なおもきこゆる、ここに幸あり
ここに幸あり

この歌に出てくる菩提樹の樹種は、おそらくセイヨウボダイジュ(西洋菩提樹)であろう。西洋ではこの種が街路樹や公園樹として広く植栽されていると図鑑にあるのがそう思う理由で、この種は欧州・西アジア原産のナツボダイジュとフユボダイジュの雑種とある。
 
セイヨウボダイジュは、アオイ科シナノキ属の高木、樹高は最大で十五メートルになり、花や実は花を保護する苞(ほう)とよばれる葉の中央付近からぶら下がって付く。北欧を旅したとき街路樹として植えられたセイヨウボダイジュと思われる木を見たことがある。それは六月のことで、花が終わりかけで実ができかけている状態であった。
 
菩提樹という樹種名は仏陀がその木の下で悟りを開いたことに由来する名である。そのため菩提樹は仏教の三霊樹の一つに数えられ、東南アジアの仏教寺院には必ず植えられている。東南アジアのお寺には、仏教の象徴である仏像と仏塔と菩提樹の三つが必ずそろっていて、参拝者はこの三つにお参りするのである。
 
ところが仏教が中国に伝わったとき、中国人は菩提樹を寺に植えることができなかった。その理由は、菩提樹は南方の植物なので寒さに弱く中国では育たないこと、日本国内でも沖縄以外では育たない。そのため中国人はよく似た葉をもつアオイ科シナノキ属の木に菩提樹の名をつけて寺に植え、その木が日本に伝わったことでその木の日本における正式な植物名も菩提樹になってしまった。
 
つまり日本や中国で菩提樹と呼ばれている木、菩提樹の名で日本のお寺に植えられている木は、実は仏陀の悟りとはまったく無関係の木であり、西洋菩提樹はその木の仲間なのである。ということで仏教に縁のない欧州に、菩提樹というきわめて仏教的な名前でありながら、仏教とは無関係の木がたくさん存在することになったのである。もちろんこの木の欧州における名前は仏教とは無関係の名前である。
 
ならば釈尊の悟りに関係する本当の菩提樹の日本名は何かというと、インド菩提樹が正式な植物名になっていて、これはクワ科の植物である。

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