蘇鉄の木の歌
 
「赤い蘇鉄(そてつ)の、実も熟(う)れる頃」で始まる「島育ち」は、有川邦彦(ありかわくにひこ?)作詞、三界稔(みかいみのる)作曲、田端義夫(たばたよしお)の歌でもって、一九六二年に発売された歌。島というのは奄美大島、加那(かな)は人名ではなく愛しい人を意味するこの島の方言、ということで、この歌は奄美大島の方言が多出する珍しい歌である。

  島育ち

赤い蘇鉄の、実も熟れる頃
加那も年頃、加那も年頃
大島育ち

黒潮(くるしゅ)黒髪(くるかみ)、女身(うなぐみぬ)愛(かな)しゃ
想い真胸(まむね)に、想い真胸に
織る島紬(しまつむぎ)

朝は西風、夜は南風
沖ぬ立神(たちがみ)ゃ、沖ぬ立神ゃ
また片瀬波(かたせなみ)

夜業(よなべ)おさおさ、織る筬(おさ)の音
せめて通わそ、せめて通わそ
此の胸添えて

ソテツは二億年前から生存しているとされる、生きた化石とも呼ばれる、ソテツ科ソテツ属の常緑低木。樹高は最大で八メートルほどになり、雌雄異株で秋に赤い実をつけ、羽状複葉(うじょうふくよう)の葉をもち、小葉の先はするどく尖る。だから庭に植えると掃除のたびに後悔することになる。
 
この木は九州南部から沖縄に自生するとあり、宮崎県か鹿児島県のあたりを旅したとき、海岸の崖を這いのぼるように群生するソテツを見たことがある。その群生する様は、黒潮に乗って流れてきた実が打ち寄せられて芽を出し、崖の上へと生存場所を広げている状態というように見えた。また静岡県の清水のあたりで、真っすぐ上に伸びるように育てられた魅力的なソテツの植え込みを見たことがある。
 
ソテツは実や幹に多量のデンプンを含み、そのデンプンは飢饉のときの食料にされた。乾燥した荒れ地でも育つソテツを飢饉の備えとして荒れ地に植えていたというから、沖縄の離島で見たソテツは人が植えたものだったのかもしれない。ただし実も幹も毒を抜かないと食べられない。
 
小浜市近辺で有名なソテツは常神(つねかみ)の蘇鉄である。常神集落は若狭町、常神半島のいちばん先にある集落。この集落の路地裏に国の天然記念物になっている樹齢千年以上という蘇鉄の木がある。植栽されたものかどうかは不明とあったが、場所から判断するとおそらく植栽されたものであろう。

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