卯の花の歌
 
「卯(う)の花の、匂う垣根に」、ではじまる唱歌「夏は来(き)ぬ」は、一八九六年(明治二九年)に教育唱歌集で発表された、佐佐木信綱(ささきのぶつな)作詞、小山作之助作曲の歌。題名の夏は来ぬは夏が来たを意味する文語表現である。
 
この歌には、卯の花、橘(たちばな)の花、楝(おうち)の花、時鳥(ほととぎず)、さみだれ、早乙女(さおとめ)、蛍、水鶏(くいな)などの初夏の風物が歌いこまれていて、歌を聞いていると明治時代の農村の姿が目の前に浮かんでくるような気がする。それが大きな理由だと思うが、この歌は二〇〇七年に日本の歌百選に選ばれている。
 
ただし発表されたのが明治時代、しかも作詞が古文を専門とする国文学者ということで、意味の分かりにくい文語表現の部分があり、夏は来ぬという題名自体、夏は来ないという意味にとられかねない表現である。

  夏は来ぬ

卯の花の、匂う垣根に、時鳥、早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ

さみだれの、そそぐ山田に、早乙女が、裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ

橘の、薫るのきばの、窓近く、蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる、夏は来ぬ

楝ちる、川べの宿の、門(かど)遠く、水鶏声して
夕月すずしき、夏は来ぬ

五月闇(さつきやみ)、蛍飛びかい、水鶏鳴き、卯の花咲きて
早苗植えわたす、夏は来ぬ

 
この歌には、卯の花、橘の花、楝の花、という三種の樹木の花が出てくる。
 
卯の花はアジサイ科ウツギ属の低木であるウツギ(空木)の花のこと。名前にウツギが含まれる木は、タニウツギ、ノリウツギ、ニシキウツギなど二十種以上もあり、それらはすべてアジサイ科がスイカズラ科の植物であるが、もちろんウツギという名前の木は一つしかない。
 
この木は枝を折ると中心部が空洞になっていて、この空洞が空木の名の由来とされ、空洞の有無の確認が判別法の一つになっている。他のウツギ類は、中が髄(ずい。柔らかい組織)にはなっていても空洞にはなっていない。また丸い実の残骸がいつも枝に残っていることも、羽状複葉のように見える対生する葉も、見わけるためのいい材料になる。樹高は最大でも三メートルほど。ただし卯の花の匂う垣根にとあるが、この花はほとんど匂わない。
 
ウツギは私が住む町にもたくさん生えていて、林道脇の日当たりのいいところに多く、花期は初夏、日がよく当たるところほどたくさん花をつけ、花の色は心を引かれる清純な白。豆腐を作るときの副産物「おから」を卯の花と呼ぶことがあるが、これは、おからの白い色から来た呼び名であろう。このことはウツギが身近な植物だったことの証だと思う。
 
タチバナ(橘)はミカン科ミカン属の常緑樹、樹形はキンカンに似る。樹高は最大でも五メートルほど、初夏に五弁、星形の真っ白な花を開く。実の形もキンカンに似るが酸味が強くて生食には向かず、実よりも花や常緑の葉が愛でられた植物だと思う。ところがその酸っぱい実が古事記に不老不死の霊薬と記されていることから、京都御所の紫宸殿(ししんでん)の前庭に、右近の橘、左近の桜、としてタチバナが植えられているという。
 
古今和歌集に、「五月(さつき)待つ、花橘(はなたちばな)の香をかげば、昔の人の袖の香ぞする」、という詠み人知らずの歌がある。この歌以後タチバナの花は、昔の人の思い出、とくに恋人との思い出に結び付けて詠まれることが多くなったという。今ではほとんど見ることのないタチバナの木であるが、古い時代にはよく知られた植物だったようである。
 
オウチ(楝)はセンダン(栴檀)科センダン属の落葉高木センダンの古名である。高さ二十メートルになるセンダンは薬用植物として知られ、実はしもやけの薬、樹皮は虫下し、葉は虫除けに利用され、おもに西日本に自生し、植栽もされた。特徴のある二回あるいは三回奇数羽状複葉の葉をもつ覚えやすい木で、初夏に薄紫色の小さな花をたくさん付ける。
 
私の住む小浜市では、川崎の台場浜公園にこの木の大木が一本ある。また久須夜ヶ岳(くすやがたけ)のエンゼルライン入口付近には群生地もある。なお栴檀は双葉より芳し、という言葉のセンダンは白檀のこと、この木のことではない。
 
植物の話ではないが、三番の歌詞にある「窓近く、蛍飛びかい、おこたり諌(いさ)むる」の一節は、蛍の光、窓の雪、の明かりでもって勉学に励んだという蛍雪(けいせつ)の功の話を元にした歌詞である。

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