北欧の旅
二〇二四年六月、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーを旅してきた。この北欧三か国の中でいちばん長く滞在した国はノルウェーだったので、今回の旅行がノルウェーを中心に組まれたものであったのは間違いなく、そして旅行社がこの国を中心にした理由はこの国を回ったとき理解できた。
三か国とも美しい国であったが、とくにノルウェーはおとぎの国を旅しているような気分になる美しい国であった。またこの国の水資源の豊かさには、豊富な水を見慣れている日本人の私でさえ圧倒された。雪解けの季節だったからかもしれないが、この国で見たいくつかの滝の水量の多さには驚かされた。
ノルウェーには千七百のフィヨルド(氷河の浸食でできた複雑な地形の湾)があるとガイドが言っていたが、ノルウェーの旅の目玉はそのフィヨルド観光である。フィヨルドというとソグネフィヨルドが有名であるが、大きすぎるとフィヨルドもただの海になってしまうので、比較的小さなフィヨルドが観光の対象になっていて、今回の旅では二つのフィヨルドを船で巡った。
今回の旅でいちばん感心したことは、道路にゴミは落ちていても、海にはゴミがまったく浮いていないことであった。これは日本とは大違いで、たとえば私の住む町は海に面しているが、その海岸にはペットボトルや発泡スチロールなどのゴミが大量に打ち上げられている。この違いはどこから来るのかと思った。
発泡スチロールに関しては、使用してるのも一切見かけなかったので、北欧では使用が禁止されているのではないかと思った。旅行中、朝食や昼食がお弁当になることがあったが、弁当箱の素材は紙、ナイフやフォークは木でできていた。海における発砲ストロールゴミの始末の悪さは最悪である。このゴミはすぐに砕けて小さなかけらになり、そのかけらが砂や石に混じると取りのぞくことはほとんど不可能になる。これは決して放置していい問題ではない。
なお北欧の海はどこも黒っぽい濁った色をしていて、お世辞にもきれいな水とは言えなかったが、これが北海やバルト海の本来の水の色のようである。
ノルウェーにはヨーロッパ中からたくさんのキャンピングカーが集まって来ていた。なぜヨーロッパ中からと分かるのかというと、添乗員があの車のナンバーはどこどこの国、というように教えてくれたからで、そしてこの国はそうした大量のキャンピングカーを受けいれるだけの充分な数のキャンプ場を備えている。特大のオートバイでやって来てテントを張っている人もいた。まちがいなくノルウェーはヨーロッパ人の憧れの旅行先になっている、夢のように美しい遠い北の大地に憧れてヨーロッパ中から人が集まって来ていると感じた。
最初の訪問地スウェーデンの首都ストックホルムで印象的だったのは、完備した広い自転車専用道路、この国は雨の降らない国なのかと思った。現地ガイドが、車より自転車に気をつけてください。速度を出して走ってくるし、専用道路ということで優先意識も高い。ここでは車より自転車の方が危ない、と言っていたが、たしかにその通りであった。この町で西洋菩提樹を初めて見た。並木として植えられていて、花が終わりかけで実ができかけているという状態であった。
ストックホルムからデンマークの首都コペンハーゲンへは列車で移動した。この二つの国は列車で結ばれているのであるが、地図を見ると両国のあいだには広い海がある。そこは橋と海底トンネルで通過したらしい。その国境になっているあたりに、バルト海から北海へ抜ける航路があるはずだが、島が多すぎて地図を見てもどこが航路になっているのか分からない。日露戦争のときロシアのバルチック艦隊は、どこを通ってバルト海から外海に出たのだろう。
コペンハーゲンでは、時間があったので町を数時間散歩した。道路には意外とたくさんゴミが落ちていた。ゴミ箱がたくさん設置されているのに、である。この国の歩行者用信号の青信号の時間は短く、膝を痛めている私の足では渡りきれなかったが、これが世界標準なのである。
デンマークからノルウェーは船で渡った。陸地に囲まれた内海の水路を行く一泊の船旅である。出航してしばらくすると、シェークスピアのハムレットの舞台とされる古い城、クロンボー城が見えてきた。この城は海岸に作られた水城であり、ここの水路を利用してバルト海に出入りする船から、通行料を徴収するために作られた城だという。ハムレットの舞台がデンマークとは知らなかった。
そうした景色を眺めながら、甲板で冷たい海風に吹かれたのが原因かカゼを引いてしまい、旅の後半は健康の大切さを思い知らされる旅になったが、体がだるく頭も働かないカゼ引き旅行もいい思い出になった。外国のカゼはしつこく、帰国してからは夏カゼということになったが、まだ雪がごっそりと残る国で引いたのだから、引いたときは夏カゼではなかった。
今回の旅行では三か国とも現金を使える所がほとんどなかった。料金先払いの団体旅行で現金を使うのは、食事のときの飲み物代と、みやげ物代ぐらいであるが、現金を受け付けないところがほとんどで、関西空港で両替した三か国の現地通貨の使い道に困り、日本も遠からずこうなるだろうと思った。
ところが帰国した日本では、巨費をかけて新札への切りかえ準備をしていたので、これは壮大なるムダ、壮大なる勘ちがいだと思った。自動販売機を使って商売している人などたいへんな出費である。二〇年に一度、新札に切り替えるなど借金大国のすることではない。
今回の旅はカタール航空利用なので、行き帰りともカタールのドーハで乗り継ぎをした。ロシアの上空は戦争中ということで飛行できず、北欧の旅は遠回りを強いられているのである。
そのドーハの空港で、これから関西空港へ向かう最後の飛行というとき、なぜか添乗員がバタバタ走り回っていた。「どうしました」。「お客さんが一人、行方不明」。「もうとっくに搭乗、始まってますよ」。添乗員はまた走り出し、私はひょっとするとこれがこの添乗員さんとの今生の別れかと思いながら飛行機へ向かうバスに乗った。
ここからは関空に着いてから聞いた話。どうしても見つからず、搭乗口の係員に「最後のバス、あと何分」ときくと、「あと六分」といわれ、これは近くしか探せないと、念のためすぐ隣の搭乗口を探したらそこに居たという。搭乗口を一つまちがえていたのである。もし見つからなかったらどうしたのだろう。置いていくのだろうか。
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